第二十一話 ラグランジュ家にて
アキラは、その夜はハルトヴィヒ宅に泊まることになった。
であるから、思う存分相談ができる。
「殺菌した飲料水、濃縮レモン果汁、ハチミツの他に、何かあるかな……」
「とにかく水分が少なければ日持ちするわ。あるいは糖分がうんと多いか」
「ああ、そういうことならフルーツシロップなら保存が利くな」
「ああ、さっき言ってた、梅とかクワの実とかを砂糖に漬けてつくるやつね」
「うん。果物を砂糖漬けにしておくと、果汁が砂糖に吸われて出てくるんだよ。だから、果汁が多い果物なら何でもできるはずなんだ」
これは浸透圧の関係である。
浸透圧とは、『濃度の低い方から高い方へ水分が移動する力のこと』と『携通』に載っている。
「つまり、糖度が低い果物の方から糖度が高い砂糖へと水分(果汁)が移動するわけだ」
これにより、砂糖漬けにした果物の果汁をふんだんに含んだシロップが出来上がる。
「果汁の多い果物を探せばいいわけね」
「そうなんだが、今の季節だとあまりないんだよな……」
「そうね。クワの実は初夏だし、イチゴも初夏よね。リンゴはもう少し先かしら」
「グリーンレモンがあるぞ?」
ハルトヴィヒが言った。
「あ、それがあったわね」
現代日本の場合、温室栽培や熱帯・亜熱帯地方からの輸入品を除くと、レモンの出荷は10月頃から始まるようだ。
最初は皮が緑色のグリーンレモン(早採りレモン)である。
爽やかで酸味と香りが強く、苦味が少ないという。
「それならハチミツレモンを作れるな」
この場合の『ハチミツレモン』は清涼飲料水ではない。
作り方は簡単で、輪切りにしたレモンをハチミツに漬け込むだけだ(容器の滅菌やレモンの洗浄は必要)。
冷暗所においておけば、一晩で食べられるようになる。
糖度の高いハチミツにレモンの果汁分が染み出し、レモン風味のハチミツと、ハチミツの甘さが染み込んだレモンとができあがる。
ハチミツは水やお湯で薄めて飲んでもいいし、レモンはそのまま食べられる。
「今度はハチミツレモンを持っていくとしよう」
* * *
そろそろ夕食の支度を、と言ってリーゼロッテは席を立った。
時刻は午後4時。
夕食ができるまでの時間、アキラはハルトヴィヒと続けて話し合う。
「そういえば、実家へ里帰りしてきたんだって?」
「ああ、アニー(ヘンリエッタの愛称)を両親に見せてやりたかったからな」
少し、世間話もまじえて……。
「喜んだろう?」
「もちろん。僕の両親もロッテの両親も、大喜びしてくれたよ」
「それはよかったな」
「それに、友好国で爵位を受けたことも喜んでくれた」
「そうだろうな……」
ハルトヴィヒの明るい顔に、アキラも嬉しくなった。
「でもやっぱり一番はアニーを連れて行ったことだったな。なにせ、孫たちはみんな男の子だったそうだから」
「へえ……そういうこともあるんだな」
「そうなんだよ」
遺伝的なものなのか、あるいは偶然か。アキラには判別がつかなかった。
「もちろんロッテの両親も喜んでくれたしな。ロッテは末の娘だったから、兄弟たちからも可愛がられていたそうだ。それが娘を連れて帰ってきたもんだから、大騒ぎというか大歓迎だったよ……」
「ちょっとわかる気がする」
「……で、だ」
ここで、声のトーンが少し落ちる。
「ロッテの実家はハイリンゲン地方にあるわけだが、例の飛行場にも近くてね」
「ああ、帝国でも飛行機を開発していると言ってたな」
「そうなんだな。……で、噂で聞いたんだが、帝国では水上機を開発したらしい」
それ以上のことは国家機密だから知ることはできなかった、とハルトヴィヒは言った。
「水上機か……湖ならいいが……波があると離着水は厳しいだろうに」
技術者ではないアキラにも、それくらいの想像はつく。
「ハイリンゲン地方は内海に面しているからな、開発には向いているんだろう」
内海とは陸地と陸地との間に挟まれ、狭い海峡によって外洋と繋がっている海域、と『携通』には載っていた。
瀬戸内海もその名のとおり内海である。
なお、読み方は『ないかい』となる。
* * *
「ぱぱー、ままがもうすぐできるから、てをあらってしょくどうへきて、だって。アキラさまも、どうぞー」
「ああ、もうそんな時間か」
いつの間にか外は真っ暗になっていた。
もうまもなく6時である。
「日が短くなったなあ」
そう言いながらアキラとハルトヴィヒは食堂へ向かった。
夕食はゲルマンス帝国風のものに、アキラの好きなお米料理を合わせたものだった。
まずピラフ風に調理したお米。
ラグランジュ家自家製のソーセージ。
マウルタッシェ(伸ばしたパスタ生地の中にひき肉やほうれん草、玉ねぎ、パセリなどを練って詰め、専用のスープで煮込んだもので、洋風水餃子といえる)。
そして自家製ザワークラウト(キャベツの漬物)だ。
ゲルマンス帝国風の料理はまだまだあるが、今夜の献立はアキラの好みに合わせてものと言っていい。
「では、再会と、健康と、未来を祝って、乾杯」
「乾杯」
「乾杯!」
「かんぱいー!」
家長であるハルトヴィヒが音頭を取り、ビールで乾杯が行われた(ヘンリエッタはりんごジュース)。
「うん、リーゼの作ったザワークラウト、久しぶりに食べたな。美味しいよ」
「よかったわ」
「ザワークラウトってさ、ビタミンCも摂れるから、船乗りたちの壊血病予防にもなったらしいよ」
「それも『携通』?」
「そうさ」
「オレンジやレモンの砂糖漬けなんかもよさそうね」
「ああ、いいかもな」
ちょっとだけ仕事の話を交えながら、和気あいあいとした会話が飛び交う。
ラグランジュ家の夜は賑やかに更けていった。
お読みいただきありがとうございます。
次回更新は2026年5月16日(土)10:00の予定です。
20260509 修正
(誤)「ああ、そういうことならフルーツシロップなら保存が効くな」
(正)「ああ、そういうことならフルーツシロップなら保存が利くな」
(誤)「ああ、アニー(ヘンリエッタの愛称)を両親に見せてやりたかったらな」
(正)「ああ、アニー(ヘンリエッタの愛称)を両親に見せてやりたかったからな」




