5:逃げ続けた悪役令嬢は一歩踏み出す。(転生、恋愛無し、昼ドラ風味)
久しぶりに時間がとれました。
短編と言うか、プロローグみたいなノリですが。
転生物語って、主人公の難易度がイージーかハードの極端に分かれるのよね。
いやまあ、なぜそうなのかってのはわかるのよ。
自分が書きたいものをただ書いていくってスタンスはともかく、基本的には読み手を楽しませたい、ドキドキさせたい、その感情を揺さぶりたい……そういう意図の上で書くんだもの。
やる気のない小学生が書く夏休みの日記のような生活をだらだらと描写されても、読み手は退屈なだけだしね。
もちろん、上手な人は平穏な日常生活の中のちょっとした起伏をとらえて作品に仕上げるけど……どちらかと言えば、短編のイメージよね。
どちらにせよ、平穏な人生ってのは物語の主人公には不向きってことよ。
……うん。
そういうこと……なのよ。
……どうせ転生するなら、難易度イージーの創作世界に転生したかった。
涙がこぼれそうになるのを、ぐっとこらえた。
泣いちゃダメ。
泣いちゃダメよ。
「……みどり、どうかしたの?」
すぐに笑顔を作る。
振り返って、首を振る。
「ううん、なんでもないよ、お母さん」
「……そう?」
心配そうに、こちらを見つめる……私の母親。
いや、私の義母……?
育ての親……?
世間一般的には、実の親子なんだけどね!
『私』から見ても、ちょっと過保護気味ではあってもいい母親なんだけどね!
吹けば飛ぶような母子家庭。
経済的困難の中で、私を精一杯育ててくれた。
自分に注がれる愛情に疑いはないし、感謝もしている。
一応、私は『良い子』だと思う。
前世の経験と言うか記憶があるから、母親の苦労を推し量ることができた。
母親の苦労を増幅させるような言動は極力慎んだし、家事の手伝いなんかも自分からやってきた。
母と娘が支え合う……どこにでもある、母子家庭の範疇。
じっと私を見つめたまま、母親が近づいてくる。
私は、笑顔を崩さない。
抱きしめられる。
強く、きつく。
私の顔を自分の胸に押し付けるようにして、母が泣く。
『ごめんね』と『大丈夫』と『どこにもいかないで』を繰り返しながら。
意味不明としか思えない母親の行動の理由を知っているから、『不安なんだろうな』と、おとなしくそれを受け入れる私。
おとなしく受け入れはするが……さすがに、数日に1度のペースでこれをやられると少々うんざりもする。
まあ、仕方ないんだけどね。
私は小学6年生。
季節は晩秋。
来年の春に、私は中学生になる。
さっき、私が泣きそうになった理由。
『原作の開始時間が近づいてまいりました』
いや、本当は既に原作は始まっているのだ。
母が泣いている理由と、私が泣きたくなる理由は、根っこは同じでも別のモノ。
も、もちろん、まだ希望はあるのよ。
私がただ前世の記憶を持っているだけという可能性が。
私が知っている『愛憎ドロドロの昼ドラ』の舞台にそっくりとか、外見や名前がそのままだけど、全く関係ない世界っていう可能性がね!
人はいつだって、希望を胸に、前を向いて生きていくべきだと思うの。
でも、万が一を考えて、それに備えて生きていくべきだとも思うの。
母親の抱擁から解放されるまで十数分。
『ご、ごめんね。みどりに苦労させてるって思ったら……お母さん、変よね』などと、自分の行動が不審だと自覚のある母親がさらなる挙動不審に陥る。
これもいつものこと。
今度は私が、母親を抱きしめる。
その胸に顔を埋め、左腕で身体を抱き、右手で背中を優しく叩く。
子供をあやすように、優しく優しく叩いていく。
仮に、この世界があの昼ドラの世界で、私が悪役令嬢であるとすれば。
私と彼女の関係。
複雑な関係と言うより、複雑骨折したかのような関係。
……彼女は、誘拐犯だ。
生まれたばかりの私を、誘拐した犯人。
私の『父親』に捨てられて(圧力で別れさせられた)……精神的に不安定な状況が続いて、私の『母親』の赤ん坊を誘拐するという凶行に及んだ。
幸か不幸か、愛する男(私の父親)の子供に触れ、育てるという環境が、彼女の精神を良くも悪くも安定させて……紆余曲折を経て今に至る。
彼女が私へ注ぐ愛情に疑いはない。
歪みに歪んでいることにも疑いはないけどね!
そこ、『昭和のドラマにはありがちな設定よね』とか言わない。
この昼ドラ、『やり過ぎ』とか『怖いもの見たさで、見続けてしまう』とか、『何故続編まで作ったんだ!?』とかの評価が一般的だったのよ。
この程度、ドロドロと言うか、まだ沼の入り口に過ぎないわ。
慎ましく生きている母子家庭で育った私が『悪役令嬢』になるんだから、父親と母親の実家の格と言うか階級はお察しよね。
あと、父親が本当に愛してたのは母親じゃなく彼女の方で、母親は母親で夫の愛情を疑い、別れたというかつての恋人を憎み、授かった娘を誘拐されるとか、精神的にも病むわよ。
ただ……母親が精神的に病んでしまったから、父親がやらかしてしまう。
早い話、『誘拐された娘が見つかったぞ!』という茶番をね。
つまり、名目的には『誘拐事件』は解決してるのよ。
というか、『事件』として表沙汰になってない……少なくとも、原作ドラマではそうだった。
無事に(?)子供が戻ってきたことで母親は精神的に安定し、2人目の子供も授かって……なんというか、砂上の楼閣って言葉がぴったりの状況。
当然、そのおとぎ話をぶっ壊す存在が、『私』だ。
ちなみに、原作の『私』は『早く大人になって、今まで苦労を掛けたお母さんに楽をさせてげるんだ』とか笑顔で語る、天使のようなヒロインなんだけどね。
そんな天使が……ほんの数年で悪役令嬢に悪堕ちする境遇が待ち受けているのが原作ドラマ。
『転生者らしく悪堕ちしなければ』とか、考えたくもない。
むしろ、最高の笑顔で原作ドラマ以上の惨劇を作り出せそうな……。
あ、これ以上考えると私が病みそう。
……正直、このままずっと子供でいたい。
これが、ピーターパンシンドロームね、きっと。
大丈夫。
重要なのは、父親との出会い。
そこさえ外せば……物語は始まらない。
そう思いたい。
でも。
この考えは、甘いんだろうなって思う。
とりあえず、原作の『私』とは髪型を変えている。
『母親』の面影を消すというより、一見でわからないように隠すためだ。
成績は良いけど、トップを狙うようなことはせず、クラスの中心的存在になるようなことは避けてきた。
母子家庭だからって理由で、少々居心地の悪い思いはしたけどね。
相手が小学生だと思えば、笑って許せる。
大人の場合は、前世とは時代が違うと思えば流せる。
腹が立たないわけじゃないけどね。
原作ドラマの境遇に比べれば、マシだと思うの。
私は、中学生になった。
今日も私は、するりと横道に滑り込み、高級車をやり過ごす。
運転手ではなく、後部座席に座る男性。
私の父親、か。
とりあえず一言。
『上流階級の人間が、黒塗りの高級車でクッソ下町の中学校の周辺をうろつくのやめてもらえませんかね!』
もしかしたら、父親ではないかもしれない。
そんな淡い期待をしていたが、これだけニアミスが繰り返されると嫌でも『運命力』を感じてしまう。
そもそも、私が通ってた小学校は中学校と同じ地区にある。
なのに、中学校に上がったらいきなり黒塗りの高級車が現れまくるとか、どう考えても不自然でしょ。
季節が巡る。
ニアミスが増えていく。
登校時間を変えてもニアミスは続く。
何としてでも、『私』を原作ドラマに関わらせようとする執念じみたものを感じる。
先日は、私が横道に身を隠した瞬間に、高級車のタイヤがパンクを起こしてくれた。
ご丁寧に、横道への入り口をふさぐ場所で、だ。
当然スルーして、私はそのままその場を離れる。
ただ、視線を感じた。
父親に、じっと背中を見られた……そんな感覚。
自意識過剰かもしれない。
しかし、ひたひたと自分の後を追いかけられているような息苦しさがある。
私は、逃げる。
いや、逃げているつもりだけかもしれない。
逃げるのではなく、ただ避けている。
学校で連絡を受け、病院へと向かう。
母の無事を願う。
いや、無事なのは確かだ。
胸の鼓動。
私の勘違い。
私の間違い。
唐突なニアミス。
増え続けるニアミス。
父親が探していたのは、私ではなく……母親だったのではないのか?
病院。
受付。
病室。
そこに。
父親を前に、錯乱した母がいた。
運命に追いつかれた。
そう思いながら、私は母親を抱きしめた。
母がそうしたように、私のまだ薄い胸に顔を押し付ける。
きつく抱きしめて、私はここにいるのだと。
『大丈夫』と声をかけ、背中を優しく叩く。
こんな状況で、私は、自分が思っている以上に母親を愛していたことを気づいた。
母を落ち着かせる。
優しく、愛おしむように。
子供のように。
赤子のように。
泣きつかれたのか、母が眠りにつく。
視線を感じる。
医者。
看護師……いや、看護婦か。
そして父親。
振り返らない。
私は振り返らない。
「帰ってくれませんか」
自分でもびっくりするような冷たい声が出た。
医者が、看護婦が、そして父親が委縮したのが手に取るようにわかった。
ああ、そうか。
声、か。
私の声は、『母親』の声と似ているんだった。
冷たく、怒っているときの声が特に似ていて……父親は、その声をよく知っている。
もう、戻れない。
母の胸に抱かれて過ごす、穏やかな日々。
眠る母を見つめた。
私の声を聞くたび、母は何を思っただろうか。
成長していく私の顔を見るたび、母はどんな想いを抱いただろうか。
この人は、赤ん坊の私を誘拐した犯罪者で……苦労しながら私を育てた母親だ。
世の中は、現実は……子供向けの物語のように、善と悪にはっきり分かれていることの方が少ない。
振り返る。
私を見て、父が目に見えて動揺したのがわかった。
声の次は、顔。
「君は……まさか君はっ」
ぱぁんと、手のひらを打ち合わせた。
病室の空気が震える。
眠り続ける母を確認してから、医者と看護婦に席を外してもらうように頼む。
それでようやく、父親は他人に聞かせてはならないことを口走ろうとしたことに気づいたようだ。
それと同時に、私が『何らかの事情』を知っていることにも気づいただろう。
病室で、父親と向かい合う。
私の母が誘拐なんかしなければ。
私の『父親』が、母と別れなければ。
『父親』と『母親』の周囲が、母に圧力をかけなければ。
『父親』がその圧力をはねのけていれば。
もし……。
いくつものIFがあり、それを越えてたどり着いた現実がある。
もう一度、母の様子を確認した。
「君は……」
震える声。
それを遮った。
「今さら、母に何の用ですか?」
全てを壊す言葉。
微笑みを浮かべて、口に出す。
「お父様」
某物語の、事故で義手になった恋人が口で手袋を取るシーンが大好き。(昭和趣味)
ただ、自分で書くと精神がやられそうな気がします。