第九話 魔霧の森
「 …… だって、杜若が飛び蹴りなんかするからだろう!」
「 …… だってじゃないだろ! 藍白!」
「うわぁ、杜若が本気で怒った! アレクシリス助けてよ!」
「静かにしなさい。藍白の自業自得です」
香澄は、にぎやかな声で目が覚めた。ぼんやりと、自分の顔を覗き込むのがアレクシリスだと分かりほっとして声をかけた。
「 …… アレクシリスさん?」
「カスミ?! 気が付きましたか? 気持ち悪かったり、痛むところはありませんか?」
「 …… はい。大丈夫です。ちょっと頭がぼんやりしてますが …… 」
それから香澄は、アレクシリスに膝枕されていると気が付くまで、たっぷり三分はかかった。
「あれ? えっ! あれ?」
香澄は、あわてて飛び起きようとして、目眩を起こして、再びアレクシリスの太腿に着地した。
「香澄、無理しないで下さい。まだ動かないほうがいい」
「 …… すみません。アレクシリスさん」
「カスミちゃん、大丈夫? ごめんね。杜若のせいで、カスミちゃんを落としちゃったよ。でも、地面に激突する前にちゃんと拾ったから大丈夫だったでしょう?」
香澄は、ぼんやりした頭で周りを見た。アレクシリスの他に二人の青年がいた。青年の一人が、うつ伏せに倒れたもう一人の青年の背中をグリグリと踏みつけていた。香澄は、何やら落とされて、気を失って今に至ったことだけ何とか理解した。ひどい話だと思った。
「貴様! 今、香澄を落としたのは誰のせいだと言った! 誰の!」
「きゃあ! 助けてよ、アレクシリス!」
「藍白、こんな事をした理由を正直に話してくれれば、命だけは助けてあげましょう。杜若もだよ …… !」
「 …… アレクシリスが本気で黒い! 杜若、何とかしてよ!」
「 …… ちっ!」
杜若と、呼ばれた青年は舌打ちした。濃紺の短髪にスラリと細身の長身を、上下黒い衣服で包み、腰には日本刀の様な物を提げていた。
もう一人は、藍白と呼ばれていた。さっきの白竜と同じ名前だ。不思議な白にほんのり青味のかかった長髪を、背中で一つに結び、濃厚のラインがアクセントになった白い服を着ているようだ。現在、杜若に背中を踏まれてうつ伏せになっているから、衣装の細部まではわからない。
香澄は、二人ともタイプは違うが美化だと思った。アレクシリスの様子も知りたかったが、気配が怖くて、そちらを見ることができなかった。
「藍白? さっきの、白竜と同じ名前なんですね」
「嫌だな~、カスミちゃん。僕は、さっきの白竜だよ」
踏まれた青年は、無邪気な金色の瞳を向けていた。香澄は、その輝きに見覚えがあった。
「藍白?! 竜は、人間に化けられるの?」
「ちっがぁ~う! 化けてるんじゃなくて、二つの姿を持ってるの!」
「ぎゃあ、ぎゃあとうるさい。藍白、黙れ!」
「ぐっ! がぎづばだ、の、いけずぅ …… 」
確かに、白竜の藍白は、金色の瞳だったし声も同じだと香澄は思った。そうならば、杜若と呼ばれた青竜は、藍白をギリギリと踏みつけている青年なのだろう。香澄は、段々はっきりしてくる状況に気力をふり絞り、もう一度起き上がってみた。アレクシリスは、そんな様子を察して、香澄を抱き起こしてくれた。
「ありがとうございます。重いでしょうから、下ろしてください」
アレクシリスの伸ばした片方の太腿の上に座り、膝を立てている方を背もたれにして、肩に手をまわされ支えられた姿勢は、まるで座ったままのお姫様だっこだった。
「そんな青い顔色で、動こうとしないで下さい。それに、結界の範囲が狭いので、どうかこのままでいてください」
「結界?」
香澄は、改めて周りを見まわした。藍白に閉じ込められた時と同じ虹色の薄い膜が、家族用のキャンピングテントくらいの範囲にふんわりと拡がっていた。その膜の向こう側は、暗く鬱蒼とした森だった。白い濃い霧が木々の間を流れていた。香澄は、異世界転移をした朝の濃霧を思い出した。
「ここは、『魔霧の森』の中です。『魔素』の濃い霧が、晴れることなく森の木々の間を漂っている、前人未踏の森です。脱出には、魔力と結界が揃っていれば問題ありません」
「『魔霧の森』?『管理小屋』のある森ですか?『管理小屋』の近くなんですか?」
「『魔霧の森』は、普通の森とは違う、特殊な森なんです。この魔霧の森の中に、生き物が一歩足を踏み入れると、二度とは出られないと言われています。ここが『管理小屋』からどのくらいの位置なのかは、解りません」
「それは、迷子になるからですか?それとも、怪奇現象ですか?」
「わかりません。『魔霧の森』に二百年ほど前に国の調査隊が、どこまでも伸縮可能な魔道具のロープを付けて、森の中へと分け入った事があります。ですが、調査隊の人影が目視出来なくなった直後に、ロープの先は途切れてしまったそうです。それから百五十年後のある日、調査隊は当時のままの姿で帰って来ました」
それは怪奇現象でしょう! と、香澄はアレクシリスにツッコミたかった。
「彼らの証言では、『結界の中に籠り、魔力で満たせば森に異物として排出される』と、『魔女』に教えられて、半信半疑で試してみると森の出口が見えたそうです。それ以来、『魔霧の森』に迷い込んだ場合の脱出方法として、この方法が確立しています」
「結界魔法の得意な俺と、魔力豊富なアレクシリスがいれば、こんな不気味な森なんかすぐ脱出できる。香澄は、安心して待てばいい」
藍白を踏みつけたまま、杜若が言った。
「魔力豊富な竜族が、人間をあてにしないで下さい。余計な無駄口たたかないで、藍白も協力して下さい。そして、森を出たらきちんと釈明なり、謝罪なりして下さいね …… 」
アレクシリスは、杜若に黒い笑顔を浮かべながらそう言って、竜族二人を震え上がらせた。香澄はそんな様子から、三人は以前からの知り合いで、仲も良さそうに感じた。
「アレクシリスさん、魔法が生活に使われる世界なのに、『魔女』ってどういう意味なんですか?」
「『魔女』は、精霊と契約した女性の賢者を指します。ああ、遊帆殿も誤解されてましたが、この世界の『魔女』は尊敬の対象なのですよ」
「精霊もいるんですね …… ファンタジーです」
「幻想? ああ、異世界には精霊や妖精の概念があるのに、存在しないなんて不思議ですね。『魔素』もないのに魔法を知っていたり、興味深い世界ですね。遊帆殿は、『ラベノ』の知識で魔術研究を極めて、今や魔術師団の団長です」
「遊帆さん、そんな偉い役職なんですか?」
「国の組織の中でも、魔術師団は純粋に実力主義なのです」
「アレクシリス!」
杜若が濃霧の森の一点を見つめながら、声をかけてきた。彼の視線の先の木立の間が、徐々に明るくなってきていた。
「出口か …… ! 行きましょう」
「きゃっ!」
アレクシリスは、香澄を抱きしめたまま立ち上がった。突然だったので、香澄はびっくりして小さく悲鳴をあげた。
「すみません。決して落としませんから、このままでいてください。良いですね、香澄」
「は、はい」
香澄は、アレクシリスに耳許で囁かれて心の中で羞恥に絶叫していた。絶対にこのメンバーの中で自分が一番重く、五十過ぎのおばさんが、イケメン王子様にお姫様抱っこされているのはイタすぎると思った。しかし、アレクシリスの決定に、抵抗する気力もない香澄だった。
「行くぞ! 藍白」
「もう! 結界張ってるの僕もなんだから、当たり前でしょう! って、杜若、殺気が、視線だけで殺そうとしないでよ!」
アレクシリスが、後ろを振り返りもせず歩くので、香澄からは見えないが、竜族の二人も後からついて来ているようだ。森の出口は霧が薄まり、光が眩しくなってきたので、香澄は目を閉じた。
『真実を求めるならば …… 誰も信じるな …… 』
森を抜ける直前、香澄にだけ聴こえる声があった。
お読みいただき、ありがとうございます。