第十話 竜族の長
香澄は、幽かな声の主の姿を探したが、アレクシリスにお姫様抱っこで運ばれている状況では無理だった。
しかも、この場の誰も気にしていない様子から、香澄にしか聴こえない声の魔法の類いかもしれないと考えられた。特徴のない、不思議な、おそらく女性の声だった。もしかしたら、魔霧の森の脱出方法を教えたという、『魔女』の声かもしれないと香澄は思った。『誰も信じるな』とは、ずいぶんと不穏な忠告だった。
それにしても、アレクシリスの足どりはしっかりしていて、意外と力持ちさんなのだと香澄は妙に感心していた。
「ここは、何処だ?『管理小屋』 …… ではないな。厄介な場所でなければいいが …… 」
杜若が、不機嫌そうに呟いた。アレクシリスは、無言で歩き続けた。やがて、木々がまばらになり視界が開けてきた。
藍白が、彼らの脇を駆け抜けて振り返り、ニヤリと口の端をつり上げながら香澄達に言った。
「ここは、『キプト』の町だよ。目的地に到着だよ、香澄ちゃん♪」
「『キプト』?」
「まさか藍白、狙って森の出口を『キプト』にしたのか? いや、あり得ないな。偶然なのか?」
「う~ん。そうなればいいなとは、思っていたけど、やっぱり偶然かもね」
「藍白、香澄を『キプト』に連れてきて、いったいどうするつもりなのですか?」
「 …… さあ? でも、アレクシリス。『キプト』の町では、盟約で『キプト』の長の許可なく『竜騎士』は勝手な行動は出来ないって、知ってるよね」
藍白は、さっきまで杜若に踏まれていた鬱憤を晴らすかの様に言った。
「最初に『管理小屋』に侵入した、貴様が言うな!」
「ええ~。杜若が入れてくれたんでしょう?」
「外からこっそり見るだけって、約束だった!」
「そうなんだよ。こっそり見てたら香澄ちゃんに見つかっちゃって、もっと良く見てみたら一目惚れしちゃた♪」
「ふざけんな!」
「杜若の短気! おこりんぼ!」
二人とも、美形の青年なのに、中身が非常に残念な感じだなと香澄は思った。
藍白と杜若が、わぁわぁ騒がしい間も、アレクシリスは難しい顔をしたまま無言だった。
この場所は、魔霧の森の外れで一番高台の丘になっていた。丘陵を緩やかに下った先に町が拡がっていた。統一感のある赤茶色の素焼き風の屋根瓦に、煉瓦や漆喰の壁の家々が寄り添い、鐘楼がある塔が町の中心にあった。規模は小さめだが、こじんまりとした優しい印象の町だった。道幅が広いのは、竜の姿でも歩いても、すれ違いが出来るようになのだろう。実際、竜と人が連れだって歩いているのが遠目にも見えた。
更に、拓けた町の周りは、全て濃霧が漂う魔霧の森に囲まれていて異様だった。しかし、短い丈の草花を揺らす風は穏やかで、高原の避暑地の様に爽やかだった。
突然、頭上をバサバサという大きな羽音と大きな影がさして、目の前に赤竜の巨体が降り立った。香澄は驚たが、アレクシリス達はその場に留まっていた。
一瞬、空間が歪み赤竜の巨体が消えて、暗褐色の髪の壮年の男性へと姿を変えた。
「『キプト』の町にようこそ。竜族の長、蘇芳と申します」
いつの間にか、香澄達は十人前後の竜族に囲まれていた。蘇芳と名乗った男性は、静かな物腰で近づいて、香澄を抱えるアレクシリスと対峙した。
「ご無事でなにより、アレクシリス=ヒンデル=ハイルランデル公爵。盟約に基づき、『竜騎士』は大使館にご滞在いただきます。そちらのお嬢さんは、こちらに引き渡していただきましょう」
「蘇芳=バルシャ竜族長殿、お久しぶりです。盟約を盾にされるのなら、我がファルザルク王国が保護した『落ち人』に、竜族は干渉が出来ないのではありませんか?」
「それは、彼女が『落ち人』ならば …… でしょう」
「では、香澄は何者だと仰るのでしょう?」
「全ては、盟約の精霊が証明してくれます。藍白、お嬢さんをお連れしなさい」
香澄は、『お嬢さん』と呼ばれ、『落ち人』ではないと言われ、アレクシリスから引き離される現状に大混乱していた。盟約とは? ファルザルク王国とは? 竜族長が、いったい何の理由があって自分に関わるというのだろう?
藍白が、香澄を受け取ろうと腕を伸ばすが、アレクシリスは動かなかった。アレクシリスの横顔を見つめながら香澄は、自分が小さく震えている事に気がついた。不安でしかたなかったのだ。
「香澄は、この世界に落ちてきた時に負った怪我を完治させて、意識を回復したばかりです。しかも、この世界の常識や言語でさえ、何も理解していない状態です。私は、彼女の『管理者』です。その様な理不尽な要求にはお応えしかねる。藍白のしたことも許せません。貴殿方は、我々を『管理小屋』へ、速やかに帰すべきでしょう」
アレクシリスは、なるべく感情を表に感じさせない口調て話し合いを続けていた。蘇芳は、一歩も引く気の無いアレクシリスを見て、深くため息を吐いてから言った。
「ハイルランデル公爵。ファルザルク王国には、正式に通達いたしましょう。お嬢さんは、我々の『客人』です。竜王リングネイリアが、命と引き換えに召喚した、世界の為の『鍵』です」
「 ……!」
香澄を抱えるアレクシリスの腕に力が入った。アレクシリスは表情には出さなかったが、かなり動揺している事が感じられた。
香澄は、新たな情報を処理しきれず途方にくれた。竜王リングネイリア? 『鍵』? アレクシリスは、何故そんなにも動揺しているのだろうか?
ふわりと風が香澄を包み込んだ。次の瞬間、香澄は藍白の腕の中にいた。
「藍白、香澄を返しなさい!」
「カスミちゃんは、竜族が大切に護るよ。だから、アレクシリスはさっさと帰れば?」
アレクシリスは杜若に視線を向けた。杜若は、首を激しく横に振っている。何も知らない、知らされていないと言う意味だと、香澄にも分かるくらい杜若も動揺していた。
「たとえ竜族でも召喚術は禁忌のはずです。しかも、世界の為の『鍵』などとあり得ない。それを、竜王でもあったリングネイリアが犯したのですか? 彼女の死が、どれだけランスグレイルの心を傷つけたとお思いです? 何故、竜族はそんな愚かな真似を彼女に赦したのです?!」
冷静に態度を崩さなかった、アレクシリスが激昂していた。周りを囲む竜族が、強くなるアレクシリスの魔力に警戒を強めて殺気だった。
蘇芳は、黙ったまま何も答えなかった。ただ、握りしめた拳が白く色を変えていった。
「藍白、お嬢さんを早く休ませてあげなさい」
そう言って香澄を見た蘇芳の瞳は、疲れ果てた虚ろな色をしていた。しかし、穏やかに微笑みを浮かべながら、落ち着きのある態度を崩さなかった。
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