第十一話 香澄と藍白
香澄は、久しぶりにスッキリと目覚めた。ベッドの中で伸びをしながら、四十代から増えはじめた独り言をつぶやいた。
「ああ、朝起きて準備して、働いて、働いて、三食たべて、おやつも食べて、お風呂入って、お布団で寝て、また働く為に目覚まし時計で起きる生活が始まるんだなぁ。変な面白い夢をずっと見てた気がするよ。む~ん」
「おはよう。香澄ちゃん」
「うーん? まだ、寝ぼけてました。おやすみなさい」
香澄は、ごそごそと掛け布団を肩までかけ直して二度寝の態勢に入ろうとした。
「……ちゅっ」
「……何? 今の音? 何か当たったよ? く、口! 唇に? だっ、誰? ち、近い、近い、近い! 目の前に、顔が、キラキラ輝く美形のお顔の持ち主は誰! うひゃ!」
「面白いなあ、香澄ちゃんって。昨日もずっと一緒だったのに忘れちゃたの? もうそろ、お昼になっちゃうから起きよう? お腹も空いてるでしょう?」
香澄は、まだ夢の続きなのかと頭を振った。こちらを見ている、満面の笑みの美形は消えなかった。
「あ、藍白! 今っ、何をしたのっ?」
「朝のあいさつだよ」
「あいさつで、キスするの?」
「香澄ちゃん、まず聞くことがそれなの?」
「えっと、ここはどこ?」
「キプトの僕の家だよ」
「藍白の家?」
見渡した部屋の雰囲気は、全体的にとても落ち着いた大正ロマン風だった。漆喰の壁に焦げ茶色の腰板が張られ、さりげなく柱に装飾があったり、格子天井に寄せ木細工があしらわれていた。香澄は、内装に凝った意匠がそこかしこにあるのに感心していたが、藍白に簡単に誤魔化されたのに気がついた。
香澄がいるベッドの横で、腰に手を当てて、子供みたいにふんぞり返った美青年は、瞳を輝かせながら更にこう言った。
「早くみんなに僕のお嫁さんを、紹介したいから準備しよう!」
香澄は、いきなりキスで起こされ、自分の子供であっても可笑しくない年齢の青年の発言に、かなりイライラしていた。思わず心の声が、口から駄々漏れになった。
「何を言い出すんだ。この、残念美形。あ、だんだん思い出してきた。この藍白は、『管理小屋』に不法侵入して、わたしを拐かした犯罪者ですよね。アレクシリスさん達にもいきなり炎を吐くし、略奪婚じゃあるまいし、こんなおばさんをいきなり嫁呼ばわりしてからかうなんて、失礼極まりないでしょう!」
「あれれ? どうして不機嫌に、なっちゃうかな?」
上半身を起こしてベッドに座り、俯いて呟いている香澄の顔を、藍白は、首を傾げて覗きこみながら言った。心底不思議そうな声色に、溜まりに溜まっていた香澄の何かがキレた。
「……わり」
「えっ?」
「先ずは、そこに座って正座!! お座り!!!」
「ぎゃあ!」
香澄は命令口調で、ビシッと板張りの床を指差した。藍白は、迫力負けしたらしく本当に床に急いで正座をした。
「昨日、どうしてわたしを拐かしたの? って聞いたら、『世界を救ってもらう為?』って言ってたよね」
「う、うん。なんだか、香澄ちゃん、怖いよ?」
「怒ってますから!」
「えっ! 怒ってるんだ?!」
「話の腰を折らない!」
「は、はいっ!」
「それが、どうして藍白の嫁呼ばわりされることになるの?」
「えっと、良く見たら、香澄ちゃんは結構可愛いし、将来は凄い美人になりそうだし、僕と年の釣り合いも取れるし、僕だって、お嫁さん欲しいからねっ!」
「ねっ! じゃない! 藍白は、いろいろと間違っている! まず、わたしは、可愛いくもなければ、将来美人にもならない! 藍白と、釣り合いの取れる年でもなければ、お嫁さんにもなれません! 何故なら、わたしは、五十歳の既婚者で、人生の折り返し地点を過ぎて、あとは、おばあさんになって、余生を送るだけなんです!」
怒りにまかせて捲くし立てた香澄だったが、内容は大変残念だった。息切れしてゼイゼイと息をする香澄に、藍白は上目遣いで話しかけた。
「うーん。香澄ちゃん。まだ、寝ぼけてる?」
「起きてます! それに、ハイルランデル公爵にファルなんちゃら王国とか、竜王が、命と引き換えにして召喚した、世界の為の『鍵』って何なの?!」
「アレクシリスの公的な身分がハイルランデル公爵で、国の名前は、ファルザルク王国だよ。先代竜王としてのリングネイリアの事は、僕も詳しくは知らないんだ」
「詳しい人は、誰かいないの?」
「蘇芳かな?」
「その、蘇芳さんには会える?」
「うん。香澄ちゃんが起きたら会いたいって言ってたよ」
「アレクシリスさんは、今どこにいるの?」
「キプトの町には、ファルザルク王国の大使館があるんだ。昨日からそこに居るよ」
「アレクシリスさんには、すぐ会える?」
「蘇芳に会った後なら多分、大丈夫だよ」
香澄は、神妙に正座をして見上げる藍白の言動を観察していて違和感を感じていた。アレクシリスや杜若と同年代かと思っていたが、意外ともっと子供なのかもしれないと考えた。
藍白の大きな金色の瞳は、好奇心に溢れているのに、通った鼻筋と薄い唇は酷薄な印象を香澄に与えていた。純白に一滴の藍を落とした様な不思議な色の髪は、無造作に背中で結ばれているのに、動くとサラサラと流れていった。藍白の少年期を抜けたばかりの幼さと、大人の中間のような容姿は、香澄の胸の奥をそわそわさせて、落ち着かなくさせた。
アレクシリスが完璧な王子様なら、藍白は繊細な美貌の神官職、ついでに杜若はストイックな戦士だなと、香澄はどうでもいい分析をしていた。その隙に、藍白はゆっくりと立ち上がり、甘く微笑みながら香澄の頬を両手でそっと挟んだ。
「香澄ちゃん、落ち着いて」
藍白の中の少年が消え去り、怪しい艶を含んだ男の声で囁かれ、香澄の背中をかけ抜けた。ちっとも落ち着けないうえに、急に藍白に触れられて香澄は固まった。藍白は、にっこり微笑みながら言った。
「こっちにお風呂と、着替えの用意してあるから、入っちゃいなよ?」
「はっ! そういえば、お風呂に何日間入ってなかったの?! 今さらだけど、においとか大丈夫? とりあえず、休戦するだけだからね。後できっちり話し合いをするんだよ。わかった? 藍白、約束!」
再起動した香澄は、案内されたお風呂への扉を閉めながら、次は藍白に、アレクシリスと杜若達との関係を詳しく聞こうと思った。
登場人物で一番残念な大人は、香澄です。(いいえ、作者です)
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