第四話 『落ち人』
香澄は、アレクシリスの否定に、呆然とした。
「あの、わたしは覚えてないです。本当にそんな重体で、数日後には、なんともないなんて、そんな事信じられません …… 」
そうだ、命に関わる程の重体が、薬を飲んで眠ったくらいで、傷痕一つ無く完治するなんてあるはずがない。香澄は、アレクシリスの言葉を疑っていた。
「嘘でも冗談でもありません。貴女が、死の淵から助かったのは、様々な幸運や偶然があったからです。本当に、運が良かった」
アレクシリスが真実を言っているなら、知らぬ間に一度死にかけた事になるわけだ。香澄の背筋を、寒気がゾクリと走った。
アレクシリスは、じっと香澄の目を見つめていた。彼の表情は柔和な笑みを浮かべているのに、眼光は鋭く、用心深く観察されてる。だが、香澄はその時は気付かなかった。
「まず、貴女の事は『落ち人』だと認識しています」
「『落ち人』? ですか?」
「『落ち人』とは、異世界からこの世界に偶然、渡ってきた異世界人を指します」
「異世界 ……!」
「そうです。貴女は、異なる世界からの転移者です」
「まさか? …… わたしが? 異世界とか転移者なんて、小説の中の架空の現象ですよ?! 嘘でしょう?! ああっ! アレクシリスさん、すみません。ちょっと、予想外の返答で …… 」
香澄は、真面目で誠実そうなアレクシリスの口から、異世界なんて言葉が飛び出してきて驚いた。
アレクシリスは、混乱して、バタバタしている香澄の手をそっと握った。香澄は、一瞬ドキリとした。彼女を落ち着かせる為のアレクシリスの気遣いだと解っていても、少々照れくさかった。
「驚かれるのは当然です。しかし、この世界では異世界転移で複数の異世界から人が現れる現象は、それほど珍しくありません。我が国だけでも『落ち人』は、頻繁に発見 …… 確認されています」
「貴女に怪我や高所から落ちた記憶がないのには、理由があります」
「それは、何ですか?」
「それは、この世界の大気中の …… ある成分が、『落ち人』には『毒』になるからです。『落ち人』は、この世界に発現した直後から、最低三日間は意識不明の状態に陥ります。しかし、『落ち人』の何割かは、時間の経過と共に、『毒』となる成分に順応する事が可能です。ある意味、その『毒』を克服出来た者だけが、この世界で生きてゆけるのです」
「わ、わたしは、順応出来たということですか?」
「そうでなければ、昏倒の末に死に至ります」
「し、死ぬんですか …… 」
「残念ながら …… 。貴女の世界には存在しない物質が、この世界に存在するのです。治療法もなく、適応条件も不明です。我々に出来る事は、意識を取り戻した『落ち人』の保護だけです」
香澄は、濃霧の朝の記憶が真実ならば、歩道橋から落ちた弾みで異世界転移したのだろうと考えていた。
それでは、こちらの世界での香澄の発現場所が、高所だったので、落ちて瀕死の重症を負ったという事だろうか? 香澄は、そんな恐怖体験の記憶が無くて良かったのかもしれないと思った。
アレクシリスは、香澄の沈黙を不安の表れだと解釈したらしい。
「貴女は、もう大丈夫です。意識も取り戻し、怪我からも回復しています。この世界で生きていけます」
香澄は、優しく語りかけてくるアレクシリスのキラキラした微笑を、なんて現実感がないんだと思いながら見つめていた。
「はうっ!」
香澄は、ある考えに至り、思わず変な声が出てしまった。
「まさか、そんなはずは ……!」
「どうしました? どこか、痛むのですか?」
アレクシリスは、中腰になって香澄の顔を覗き込んだ。香澄は、ベッドに座り逃げ場のない体勢なのに接近されて、壁ドンみたいだと一気に緊張していた。ただでさえ、半世紀も生きてきたおばさんに、若い男性と触れ合う機会なんてそんなにないのに、こんな完璧キラキラ王子様に優しくされるなんて、いまだに夢の中なのかもしれない。
まさか、あり得ないと香澄は思ったが、思考が散漫で何だか現実感が無いのは、実は異空間的な場所だからなのかもしれないと考えていた。さっきから、香澄の頭をぐるぐると、とても突拍子もない考えが巡っていた。
もしも、違った場合は、思いっきり恥じさらしなセリフだった。
しかし、この疑問をそのままにはしたくなくて、香澄は、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だと、常識的な考えから向こう側へ一歩踏み出した。
「あの、その、アレクシリスさんはもしかして …… かっ、神様なんですか?!」
「は ……?」
…… 結果、香澄は、大恥を掻いた。
「 ……… ただ今、アレクシリスさんの復活待ちです」
香澄は、小声で実況中継をしながら落ち込んでいだ。
アレクシリスは、香澄の神様発言に、お腹を抱えて思いっきり大爆笑していた。その間、香澄は真っ赤な顔をして、恥ずかしさで居たたまれない時間を過ごしていた。
香澄は、こう考えた。
つまり、転移先の環境が地球の環境と全く同じだなんていうのは、物語のお約束なんだろう。
所謂、異世界転生ならば、その世界の生き物として生まれるのだから、環境適合の問題は無いだろう。
ならば、異世界転移の場合は環境が微妙に違うほうが自然で、少しでも環境が違えば、そこで生きる生物の進化や能力も地球とは違うはずだ。
人間は、か弱い生命体だ。同じ地球環境中でさえ、極端な気温の気象条件下や気圧が低く酸素濃度が薄い高地等で、体調を維持するのは難しいものだ。だから、ほんの僅か空気中の組成が、違うだけでも生命の危機になるのはずだ。
だから、物語の異世界転移では、神様や超越者の様な存在が、ナビゲーター役でいい感じに身体や能力を調整してもらうんだろう。だったら、目の前の超美形な完璧王子様的な青年がそうだったとしても不思議ではないと本気で思ったのだ。
「ふふふっ。もうちょっと、他に言いようが無かったのか、わたし …… 。アレクシリスさんには、さぞかし阿呆な奴と認定された事でしょうね。ふ、ふ、ふふふふ」
香澄は、涙で瞳を潤ませながら、時間を戻せるなら、馬鹿発言をしようとする自分をぶん殴ると思っていた。
「はあ、はあ。失礼、そのような質問も『想定集』にはあったが、まさか、本当に聞かれるとは …… くっ、くっ、ははっ。ははは」
どうやら、会話を交わしてまだ比較的短い時間なのにもかかわらず、香澄は、アレクシリスの笑いのツボを押しまくっている気がした。しかし、アレクシリスの言葉に気になる単語を聞いた。
「ん? 『想定集』? って、何ですか?」
アレクシリスは、ちょっとシマッタっという顔をした。香澄は、今まで会話してきて、表情も態度もちょっと事務的な感じの人だと思っていた。だが、アレクシリスのポーカーフェイスが、さっきの大爆笑で崩れた様だった。
「どうか、気を悪くしないで聞いて下さい。『落ち人』に初めてこの世界の説明をする時、誤解を与えたり、信憑性を疑われて不信感をもたれたりする事を防ぐ為に、近年保護した『落ち人』が原案を書き、国が監修したのが、『想定集』です。彼は、ラノベ世代にとって異世界転移はテンプレ《定型》だから、下手な説明で矛盾を突かれて論破されると、厄介で非効率だから、絶対に必要だと主張しました。そうやって、ゴリ押しされて作成されのが、正式名称『ラノベ世代の取り扱い説明書及び質問想定集』です」
香澄は、文書のふざけたタイトルや内容よりも、自分の他に保護された『落ち人』がいる事実の確認を優先させた。
「最近保護された、異世界人の生存者がいるんですね?! その人は、どんな人なのですか? 日本人なのではないですか?! その人に会えますか?」
「彼の名前は、海野遊帆といいます。日本人です。そして、貴女の怪我の治療をしたまだ起きてこない医師であり、魔術師です」
異世界転移した日本人なのに、魔術師?! 魔術師! 突っ込み処が満載なのだが、まず相手の話をきちんと聞いてからだ。さっきみたいな過ちを、再び犯しかねない。香澄は、慎重に尋ねた。
「魔術師って …… あの、この世界には魔法があるのですか?」
「はい。大気中に含まれる、『魔素』と呼ばれる魔力を利用して魔法は行使されます。生き物は、多かれ少なかれ体内に魔力を蓄積しています。そして、人類は様々な魔法の組合わせと術式を使用して、目的の事象を起こす魔術が発展しています」
香澄は、感動していた。異世界テンプレだ。やはり、異世界は剣と魔法の国なのだ。いや、まだ剣の文化か分からない。
「あれ?」
香澄は、違和感を感じた。何か大事な事を忘れているような、引っ掛かりを感じた。ズキリと頭痛がして、痛みに顔をしかめた時、コンコンと素朴な木の扉を叩く音が部屋に響いた。
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