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第十五話 香澄と少年

 


「『貴様、香澄から離れろ!』」


 黒い霧の少年が、香澄の腰にしがみついているのに気が付いた、アレクシリスと杜若の声が重なった。


 香澄は焦って、泣いている少年を体から離そうとするのだが、子供のほっそりとした腕を掴んではみたが、力任せに引き剥がす様な手荒な真似は出来なかった。

 この『異界の悪魔族』が、この世界にとってどんな存在なのか詳しく知らない。竜族と敵対しているらしいし、藍白を攻撃してキプトの町やこの屋敷も破壊している。禍々しい黒い霧が、この少年の正体なのだ。

 しかし、少年は竜族や藍白の攻撃で相当消耗したらしく、禍々しさを感じさせる黒い霧が、まわりから無くなっている。それも、普通の泣いている子供に見せる要因になって、香澄を余計に混乱させたのだった。


『嫌だ。もう一人ぼっちは嫌だ。姫様、見捨てないで!』


 少年の言葉は、香澄の記憶の底をガリガリと引っ掻き回して、胸の奥を苦い思いで満たしていった。

 

「ねえ、泣かないで、君はどうして一人ぼっちなの?」

『生まれた時から一人ぼっちだったから』

「お父さんとお母さんは? 仲間は?」

『主様、私はずっと貴女をお待ちしておりました。姫様の最期に遺した御言葉を守り、ずっと、ずっと、ずっと …… 』

「君の名前は、何て言うの?」

『 …… 名前?』

「そう、わたしは香澄。姫様でも主様でもないよ。君の名前を教えてくれる?」

『 …… 黒い霧』

「それは、名前じゃないでしょう?」

『名前はない、です。誰も、誰にも呼ばれた事がないから …… 』


 香澄は、少年が見た目通りの存在ではないと、一応は理解していた。竜族でも手強い相手を、香澄がどうこう出来るはずが無いのだ。


「君にとって、わたしは『姫様』なの?『主様』なの?」

『?』

「さっきから、両方で呼んでるでしょ?」

『わかりません。わからない。どうして?』


 香澄は、考えていた。この少年は妙に大人びた口調で語りだし饒舌《じょうぜつ》にもなるが、年相応に幼くも感じられる。香澄は、話し合いで解決するのなら、そうした方が良いと思っていた。

 しかし、香澄の意図を察したアレクシリスが忠告してきた。


「香澄、駄目です。悪魔族にまともな説得は通用しません。会話ですら、精神攻撃を受ける危険があります。悪魔よ! 香澄から離れろ! 貴様の相手はこちらだ!」


 それを聞いて、少年が殺気立った。


『姫様から離れるなんて、嫌だ、嫌だ …… 殺してやる! 邪魔する奴は皆殺しだ! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! こ …… 』


 ゴン!!


『 ……!! 痛いですぅ …… 主様』


 香澄は、勢いよく、煙が出そうな拳骨を少年の脳天にお見舞いした。どうやっても離れなかった少年は、その場で頭を抱えてうずくまり、涙目で香澄を見上げた。


「やかましい……! 子供が殺す。殺す。言うんじゃありません! 」

『はいっ! ごめんなさい …… !』

「とにかく、外の黒い霧を引っ込めて、藍白や街の竜族達への攻撃を止めなさい。わかった? 」

『御意!』


 香澄は、命令口調で少年を冷たく睨んだ。すると、見上げた紅い瞳はみるみる見開かれていき、頬を朱に染めていった。少年は、ぽそりと呟いた。


『姫様、素敵だ …… 』

「なんでやねん!」


 再び、少年は定位置の香澄の鳩尾に、ぐるぐる喉を鳴らさんばかりに頭をすり寄せてきた。香澄は、少々ウンザリしてきている。


『柔らかくて、いい匂いがして、温かいし、怖くない。姫様、大好き。ずっと一緒にいて下さい!』

「ああ、病んでる! この子、危ないよ。姫様って、違うでしょう。主様でもないって言ったよね」

『貴女は約束の姫様だよ。私の主様になる方です。どちらも、同じ香澄様です!』

「はあ?」


 蘇芳はこの一部始終を、信じられない物を見るように茫然として見ていた。

 黄檗も同じような表情で、香澄を見ながら蘇芳の側にやって来た。先ほど吹き飛ばされていたが怪我はないようだった。


「我ら竜族の宿敵を、あんな簡単に手懐けられるとは、なんて事だ …… 。黄檗、なんとしても香澄様を救出せねばならん」

「とにかく、今なら奴を捕らえられます。悪魔族専用の捕縛の魔術を使えば、香澄様も助けられます」


 黄檗が青竜の杜若を見る、杜若は小さく頷きアレクシリスに囁きかけた。アレクシリスは、すうっと片腕をあげて魔力を込めた。


 香澄は、自分の周りがざわざわとする感覚に目を凝らした。自分達を中心に淡く輝く糸がぐるぐる円を描きながら陣を成そうとしている。アレクシリスと杜若の二重詠唱により強化された魔術が魔方陣を輝かせていた。

 あと一歩で、魔方陣が完成しようとしていたその時 …… !


 少年は、香澄を抱きしめながら中空に向かって獣のように咆哮をあげた。


『この世界の理《ことわり》に則《のっと》り、我は望む。『主従の誓約』を …… 来たれ、誓約の精霊よ!』

「『……捕らえよ!』!」


 アレクシリスと杜若が詠唱を終えた瞬間、捕縛の魔方陣の輝きは霧散して、新たな魔方陣が香澄達を中心に拡がっていく。


「香澄ちゃん!」


 上空から藍白が、竜の姿で舞い降りてきて、着地直前で青年の姿になり、魔方陣を越えて香澄に駆け寄った。藍白は、新たな魔方陣の内側に入り込めた瞬間に魔方陣は完成し、光の壁に包まれた空間が円柱状に創られていく。


「完成直前で捕縛の魔方陣が消えるなんてあり得ない。まさか、誓約の精霊が干渉したのか …… ?! クソッ!」


 アレクシリスは、新たな魔方陣が完成して、誓約の精霊が召喚されたのを知り、珍しく悪態をついた。


『なあ、アレク。香澄が奴と『主従の誓約』を立てて、名と契約で縛ったら、殺すか封じるかできそうじゃないか?』

「思いつきで、そんないい加減な事を言うな! 杜若の悪い癖だぞ!」

『だが、他に手はないだろう。藍白がぎりぎり立会人として、魔方陣に滑り込むことが出来ただけ上々だろう』

「 …… 藍白では、不安材料が増えただけだろう?」

『 …… そうだな、藍白だった …… 』

「誓約の精霊が去れば陣が解かれる。その一瞬を突くしかない。蘇芳殿!」


 アレクシリス達の会話は、精霊の魔方陣の中の香澄にも届いていた。周りの音や声が、距離のあるなしに関わらず聞こえてくる。

 しかし、香澄は外側の様子に気を配る余裕などなかった。


 藍白と少年が、戦闘を開始したからだ。




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