畑の人は今日も野菜を育てる
「畑の人、今日も精が出るわね」
私は海岸から森を少し分け入ったところにある畑に来ている。
あまりに海から近いと塩害がどうたらとかでしばらく歩く必要があるのでそれなりに来るのが大変だ。
「お、これはお嬢。自分などのために様子を見に来て頂けたのですかな?恐縮です」
「みんなの働きの様子を見るのは私の仕事だもの。当たり前よ」
彼は畑の人。
この島での生活は狩猟・採集によって成り立っているんだけど、それだけではあまりに危うい。
ここでの生活がいつまで続くか分からない以上、畑を作って野菜などを育てる必要がある。
そういう話になり、畑の人が任命されたのだ。
「私、畑ってもっと簡単なものだと思っていたわ。こんな小さな畑でも作るのにこんなに手間がかかるのね」
「なにせ森の中に開墾でありますからな。自分も最初は軽く考えておりましたがなかなかにしんどい。木の伐採から始めねばなりませんでした。道具が揃っていたのでなんとかなっていますが、なければ不可能でしたでしょうな」
「そうよね。それに船から食料を持ち出せたのも良かったわよね。お芋とか玉ねぎとかお豆とか、そのまま食べちゃうんじゃなくてこうやって育てることができるものがあったのは幸運だったわね」
「まったくその通りですな」
「で、今は何をやっているの?」
「は、今は虫捕りです。なにせ農薬などまったくないこの状況、害虫はこのように箸でつまんでいくしかありません。まさかこれほどの手間になるとは思っておりませんでした。自分もプランターなどで趣味の野菜育てはしたことがあるのですが、完全な有機農法となるとまるで素人。手探りでやっている次第です」
「虫が葉っぱとかを食べるスピードって驚くほど早いのよね。少し目を離した隙に食べられちゃうわ」
「ええ、これほど害虫というものが恐ろしいとは思っていませんでした。過去の農家の方々は凄まじいですな。しかしまだ葉にたかる害虫ならマシというもの。根を食いちぎるタイプの害虫もいますからな、そうなるとこれより更に大変になります」
「それに水を汲んでこなければならない。本当に重労働よね」
「仕事ですゆえ、当然です。むしろ将来へ向けた大役を頂けたことをありがたく思っております」
そこまで話して、会話を少し変えてみる。
この子は堅物。
なかなか心を開いてはくれない。
年齢はそれほどいっていないのに、精神性は中年のようでもある。
少しずつ時間をかけて解きほぐしていかないといけないわね。
「ね、畑の人。あなたは日本にいた時はなにをしていたの?もちろん言いたくなければそれで結構よ。私の心証は一切悪くならないわ。これからもずっとあなたを愛することを誓う。だけどもし話して楽になるようなら私にだけ話してみない?」
「……日本で、ですか」
「ええ、あんな船に乗っていた時点でここにいる男たちは何らかの事情を抱えている人たちよ。だからもしあなたが抱えているものがなんであっても私は受け入れるわ」
「……割とよくある話だと思います。自分は計算というかそういったことが幼い時分より得意でした、そちら方面の勉強をしておりました。そして仕事も自然とそういったもの……会計とか税金、経理、そういうものが関わるものに就いておりました」
「へー、なんかイメージとぴったりね。一円の狂いもなく計算して不正とかも見逃さない、そういう感じがするものねあなたは」
「恐縮です」
「そのために勉強もたくさんしたのでしょう。なんか難しい本とか読んだりして」
「そうですね、元々気性に合っていたのでしょう、それほど苦には感じませんでしたが」
「それで?」
「……はい、私が担当しておりました会計処理で不正がありまして……」
「うん、だいたい分かった。あなたの性格を考えてそれを指摘したら……」
「はい。自分に被せられました。言い逃れできないように外堀は完全に埋められておりまして。日に日に追い詰められていくような感覚でした。そしてもはや冤罪を晴らすことは不可能、ならば刑に服してその後に再起すればいい、そうとも考えましたが……」
「糸が切れちゃったのね」
「……ご指摘の通りです。もし再起しても、またこのようなことが起きたら?そもそも自分の仕事とは一体なんなのだろう?そういった、いくら考えても答えが出ないようなことが一日中頭の中を駆け巡り……結局、自分の精神が弱かったのでしょう。全てを捨てこうなってしまった」
ここまで聞ければ十分だ。
プライドを持ってやってきた仕事で、彼の精神は壊れた。
仕事に生きがいを持ってやってきた男ほど、こうなると脆い。
直せない。
冤罪とはいえ犯罪歴があるとなれば、寄り添う人も少なくなる。
孤立する。
そしてますます精神が壊れる。
おそらくお酒に逃げるのでしょう。
そして身体も壊す。
最後は身も心も壊し、そして消えていく。
そんな話は確かにありふれているのかもしれない。
でも良かったわね?
私が見つけてしまったわよ、あなたを。
彼の人生は、これから一生私と関わり続ける。
だって、私が逃さないから。
別れたとしても、離さないから。
だからこそ、私は一生彼の心を触り続けられる。
私は彼の手を握る。
かつてペンしか握らなかった手。
今は土にまみれ、傷ついて、それでもここで生きるために働いている手。
とても良い手ね。
私はそう思いながら、彼の手を握り続けた。
「お嬢、自分の手は作業で土まみれですので……」
「この手、かつてはペンしか握ったことがなかったのでしょうね」
「……」
「それがこの島に来て、農具を握り、箸を握り害虫を捕り、土にまみれている」
「……はい」
「血豆もできているわね。擦り傷切り傷もあるわ」
「……はい」
「とても美しい手ね。これぞ人間の手よ」
「……そうでしょうか」
「今を生きるために手を土で汚し血を流している。きっと神様はこういったことをするために人間の手を作ってくれたんじゃないかしら。ペンを握れることは後から出てきたたまたまだと思うわ」
「……お嬢……」
「もちろんあなたの日本での仕事は大切なものだったのでしょう。人間が高度な社会生活をするためにはあなたのような仕事は絶対に必要。……でも、この島でもあなたの土にまみれた手は必要よ?使う道具は変わってしまったけどね」
「……ありがとうございます。お嬢にそう言っていただけると救われる気がします」
「あなたがこれから数えて帳簿につけるのは、私の身体にあるホクロの数くらいにしておきなさい?ま、私の身体にホクロはないのだけど!」
「突然の下ネタに自分は驚愕であります」
「なんにせよ、日本にいてそのまま冤罪で服役ということになったら私にも会えなかった。とりあえず今はそれで納得して許してくれない?私がしてあげられることは、あなたを愛することと身体をあげることくらいしかないのよ、この島では」
「許すもなにも、お嬢にはなんの責任も……」
「日本に帰ったならしてあげられることも増える。だけど、今は、これが私の精一杯。許してちょうだい」
私は一層の力を込めて彼の手を握る。
おそらく、これから彼の手は畑仕事によってますます汚れ、ゴツくなっていくのだろう。
とても嬉しい。
その度に握ってあげよう。
「お芋ができたらみんなで焼き芋パーティね」
「いいですね。サツマイモは収穫した後に少し寝かせておくと味が良くなると聞いたことがあります。甘いものが貴重なこの島では大変大きな娯楽になることでしょう」
「ジャガイモも、主食という概念がないこの島ではとても貴重な作物になるわ。人間らしく生きているという意識が生まれれば心に余裕も生まれる。サツマイモもジャガイモも大きく育つといいわね。そのためにも毎日のお世話をお願いね?」
「は、もちろんであります。お嬢のため、島の仲間のために微力を尽くす所存であります」
「はー、焼き芋かー。本当に楽しみだわ」
「お嬢に喜んでいただけるような品質のサツマイモができればいいのですが……」
「あなたのサツマイモも寝かせると大きくなるわよ?そっちも美味しいのかしら?」
「再度の下ネタに自分は驚愕を隠せないであります」
畑の人はそう言って笑った。
良かった。
安心の中で下らないことで笑う、人間ってそれが一番の笑顔になるのよ。




