最終話:平和な食卓と、新たなる『Tap, Rack, Bang』
裏社会をは疎か、実社会のインフラさえも裏から牛耳っていた巨大組織
『黒之歯車』の壊滅から数週間後。
『歩く厄災』アルフレッドが単身で絶対防衛線を粉砕し
難攻不落の地下要塞を崩壊させ、最高幹部モルデカイを
『圧倒的な覇道と無私の精神で改心させてしまった』という事実は
瞬く間に世界中の裏社会へと知れ渡った。
……生き残ったならず者やギャングたちは
『アルフレッドによる冷酷無比な新帝国が樹立された』と
完全に『勘違い』し、激しく恐れおののいた。
「あの厄災の機嫌を少しでも損ねれば、明日は我が身だ」
恐怖のあまり、誰も悪事を働けなくなった結果
街ではスリや喧嘩はおろか、道端へのポイ捨てや
信号無視すらも完全に消滅……皮肉なことに、世界には
かつてないほどの『完璧な平和と道徳的秩序』が訪れていたのである。
しかし、裏社会の住人たちが震え上がりながら想像している
『帝王』本人はというと――
「お父さ~ん! 今日のお昼はハンバーグよ♪
お肉は鶏むね肉のミンチだけにして
おからと豆腐をたっぷり練り込んだ『超・低カロリー特製ハンバーグ』
……どう? お父さんのために色々調べて作った、自信作なんだけど!」
激戦の末に守り抜かれた『35年ローン(変動金利)の白い屋根の家』
陽光が優しく差し込む明るいダイニングテーブルで
アルフレッドは愛娘の手作りハンバーグを
モソモソと真顔で噛み締めていた。
(……当然だが、全く肉汁が出ない。
おからが口内の水分を根こそぎ奪っていくし
塩気も脂気も、限りなくゼロに近い……!)
かつて彼が愛した、滴るような牛脂と
暴力的なスパイスの味はそこにはない……だが。
その『愛にあふれる味気なさ』こそが、今の彼にとって
世界中のどんな最高級料理にも勝る『至福のスパイス』となっていた。
「……ああ、美味い。最高だ、ナタリー」
アルフレッドの厳つい顔が、ふわりとだらしなく綻ぶ。
(全く……カルメンとブラッドの奴らも
『ここは新帝王に任せ、我々は平和な国でバカンスしてくる。
貴方の気高き自己犠牲は忘れない』
などと盛大な『嫌味手紙』を残し
たっぷりの報酬と共に何処かへ去っていきやがった……とは言え
あいつらには結局、最後まで世話になりっぱなしだったが
そんな事は……まあいい)
アルフレッドは、隣のベビーベッドでスヤスヤと眠る
初孫の寝顔を見つめた……愛する娘の笑顔と
特製の健康ご飯(超減塩)が毎日食べられる。
そして何より、地盤沈下の危機を逃れたマイホームで
こうして家族と一緒にいられるのだ。
「あ……お父さん。ごちそうさましたら
ナナちゃんが起きる前にミルクの準備、お願いしていい?
私、ちょっとお日様が出てるうちに洗濯物干してきちゃうから!」
「おう、任せろ」
アルフレッドは食後のコーヒー
(当然、砂糖もミルクも入っていないブラック)を飲み干すと
ゆっくりと立ち上がり、キッチンへと向かった。
……彼の広い背中には、もうあの薄茶色の古びたコートはない。
代わりに、花柄の可愛らしいフリル付きエプロンが
日々の荒野の有酸素運動で極限までバキバキに研ぎ澄まされてしまった
シックスパックと、丸太のような分厚い胸板を優しく
(そして物理的にパツパツに)包み込んでいる。
……勿論、腰回りにもあの無骨な
『魔改造リボルバー』が入ったホルスターは存在しない。
彼の手に握られているのは、殺戮の道具ではなく
可愛らしいキャラクターがプリントされた『哺乳瓶』と
『粉ミルクの缶』だった。
「……さて、作戦行動開始だ」
アルフレッドの瞳の奥に、かつて戦場で見せたような鋭い光が宿る。
湯沸かしポットの温度表示を確認
粉ミルクを溶かすのに最適な、殺菌と栄養素保持を両立する
『70度』ピタリであることを視認。
彼は極限の集中力に入り、粉ミルクの缶を開け
専用の計量スプーンを手に取った。
「完璧だな……よし。行くぞ――」
かつて、極限の死地で限界を迎えた銃の
給弾不良を直したあの動作、無数の命を奪ってきたその手が
今は一つの小さな命を育むために動く――
「――『Tap』」
正確無比な動作で粉ミルクをすくい上げるアルフレッド
だが、そのままでは粉の中に空気が入り込み正確な分量が測れない。
そこで彼は計量スプーンの柄を軽く指で弾き粉を振動させて隙間を埋めた。
……粉が均一に沈み込んだのを確認すると
次は缶のフチに設けられた『すり切りバー』へとスプーンを移動させる。
コンマ一ミリの誤差も許さない精密な動きで
スプーンの表面をスライドさせ、余分な粉を完璧に削ぎ落とす。
「――『Rack』」
次いで、手首の滑らかなスナップを利かせ
哺乳瓶を円を描くように振り、粉を完全に溶かし切る。
そして、流水で完璧な温度(人肌)にまで冷ますと
自らの太腕の内側に数滴落とし、温度の最終確認を行った。
「よし、完璧だ……今行くぞ」
適温に冷ました哺乳瓶を軽く振り、アルフレッドは満足げに頷いた。
「ふぇ……あうぅ……」
直後、タイミングよく目を覚まし
ぐずり始めた初孫『ナナ』の元へ
すり減った初老の膝を庇いながら小走りで向かう。
そして直後、アルフレッドは
まるでガラス細工でも扱うかのように優しく抱き上げると
その小さく開いた口元に哺乳瓶の先をそっと差し込み――
「――『Bang』だ。」
「ちゅぱっ、ちゅぱっ……きゃぁぃ♪ 」
赤ん坊は、嬉しそうにミルクを飲み始めた。
かつて激しい戦闘と殺戮の合図だった『給弾不良解消動作』
それが今、愛する孫のミルクを正確に安全に作るための
最も尊く最も平和なルーティンワークへと昇華された。
彼の……アルフレッドの、数々の死線を潜り抜けてきた厳つい顔が。
娘の前で気まずそうにしていた不器用な父としての顔が。
この瞬間、完全にふにゃりと崩れ……最高にだらしない
『世界一幸せなおじいちゃん』の笑顔と成ったこの後――
(嗚呼……味のしないササミも、ドブ水のような青汁も。
血を吐くような思いで組んだローンも……まあ、悪くねえ。
この小さな命の温もりと引き換えなら、いくらでも腹を凹ませ
財布を薄くしてやるさ……)
――窓の外には、雲一つない抜けるような青空が広がっている。
かつて『歩く厄災』と呼ばれた伝説の男は
今日も愛する家族のため、一切の殺気を持たない
平和な弾丸を装填し続けるのであった。
【完】




