第37話 再び路地裏へ
ダロドネスと別れた僕たちは、ギルドから少し離れたところで立ち尽くす。
人の流れを黙って眺めるアドルフに、おずおずと尋ねた。
「これからどうしましょう。僕たちも、ギルドの登録に行ってみますか?」
「登録にはちょっとした試験があると、ダロドネスさんは話していましたね……」
植物学者の不安げな呟きに、僕も低く唸った。
冒険者ギルドは、新入りの顔を疑う――
魔物狩りの言葉が、脳裏を掠める。
軍人のアドルフはともかく、僕やベンジャミンは冒険者の顔とは程遠い。
ましてや、僕の名前を騙り、僕と同じ「顔」をして歩いている者がどこかにいるのだ。
噂に聞く“上の者”と会う前に、門前払いされてもおかしくない。
「――いや、このままタリア王国を目指そう」
意外にも、アドルフはすぐに出発を宣言した。
「ギルド登録に試験とやらがあるのなら、どのみち今の俺たちじゃ力不足だ。ここで焦って加入する必要もないだろう」
きっぱりと断定した軍人に、僕はほっと胸をなでおろす。
ベンジャミンも安堵の笑みを浮かべながら、
「ギルドの知見を広げて、経験を積んでからの登録でも遅くはないですね」
植物学者の言葉に、僕は右足を大きく前に踏み出す。
「じゃあ、物資も揃ったことですし早速タリアへ――」
言いかけたとき、片足が宙で止まった。
首筋に刃物を押し当てられたような、ひやりとした悪寒が走る。
気づけば、見えない糸に操られるように視線が斜め前方へ動いていた。
「どうした、ネイサン」
アドルフが怪訝そうに問いかける。
僕は、操り人形のように右手をぎこちなく持ち上げた。
指の先にあるのは――壺や古書を売るテントの間にぽつりとできた、細い隙間。
商売に夢中な男たちの背に隠れ、奥の路地へと伸びている。
商人の喧騒がそこだけ吸い込まれているような、奇妙な静寂が漂っていた。
「俺は路地での追いかけっこは御免だぞ」
アドルフの渋い声が、先回りするように言う。
僕の指先を追ったベンジャミンが、柔らかい声で尋ねた。
「あの路地に、何かありますか?」
「なんでしょう……不思議な気配がするというか」
「魔力ですか」
魔力――なのだろうか?
皮膚が粟立つような、それでいて、魔物と遭遇したときの恐怖とも異なる感覚。
考えるよりも先に、口が勝手に動いていた。
「ちょっと様子を見てきます。すぐ戻るので、二人はここに居てください」
そう言って、今度は左足を一歩踏み出した――瞬間。
左右から同時に肩を掴まれた。
左肩には、軍人の無骨な手。
右肩には、植物学者のすらりと細長い手。
「単独行動はなるべく避ける。お前は特に危なっかしいからな」
「まだ体力も魔力も万全じゃないでしょうし、私も一緒に行きます」
心配されているのか……それとも、信頼されていないのか?
複雑な感情を胸の奥に押し込め、三人で路地裏へと踏み込んだ。
◇◇◇
テントの商人の客引きを躱しつつ、僕たちは薄暗い路地へ足を忍ばせた。
細身のベンジャミンがやっと通れるほどの道幅。
肩幅の広いアドルフは、体を横向きにしなければ進めないほどだ。
「何の変哲もない路地みたいですが……」
両側に延々と続くレンガ壁を、植物学者が控えめに見回す。
頭上には細い切れ間の青空だけが伸び、鳥の影がひらりと横切った。
「敵地潜入の訓練を思い出すな」
軍人らしい台詞を吐くアドルフの前方で、僕はレンガに指を這わせながら進む。
「あれ……さっきはたしかに気配を感じたような」
空までそびえるほどの赤い壁は、汗ばむ手にひんやりと冷たい。
その冷たさが、胸にあった確信を徐々に薄めていく。
気のせい……だったのか?
植物学者の言う通り、魔力が回復しきらず、波動を感知できないだけなのか。
小さく息を吐き、壁に手を預けた――その瞬間。
指先に、電気を走らせたような衝撃。
手のひらを駆ける熱に、身体が反応したときはすでに遅かった。
ズブリ――と、右手が呑み込まれる感触。
手をついていたレンガが奥へ押し込まれ、僕の腕ごと壁に埋まってしまった!
◇◇◇
「――うあぁ?!」
突如叫び出した僕の背後で、アドルフが「どうしたネイサン?!」と怒鳴る。
すぐ目の前を歩くベンジャミンが振り返り、眼鏡越しに両目を大きく見開いた。
「ネ、ネイサン?! 大丈夫ですか!」
慌てて僕の左半身を掴んで引っ張り始める植物学者。
だが、右肩から先は壁にどっぷり埋もれ、完全に壁と一体化してしまっている。
「あ痛っ、ちょ、待っ……ベンジャミンさん、引っ張らないで! 腕が折れる!」
「す、すみませんっ……ですが、一体どうして!」
「状況が見えん。何がどうなっている!」
身体を横向きにしたまま、アドルフが怒号を飛ばす。
額に前髪を貼りつかせ、ベンジャミンが息も切れ切れの声を上げた。
「ネイサンが触れた途端、壁が凹んで……腕を飲み込んだんです!」
「なんてこった……この壁に仕掛けがあるのか?」
アドルフが拳で壁を叩いた、その瞬間。
右腕の先から、ドクンと巨大な脈動が伝わってきた。
「悪戯か」「まさか」と続く二人の怒声が、一気に遠のく。
自分の周囲だけが、水膜に包まれたように静けさを増す。
その水膜の中で、不思議と頭が冴えていく。
右腕を伝い、微かに体内へ流れてくる波動――。
「この壁……もしかすると」
耳の外でなおも続く議論を、僕は静かに遮った。
「この壁には、魔術がかけられているかもしれません」




