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五話

「……あんまり知り合いだと思われたくないんだけど?」

 露骨に嫌そうな顔をして振り返った女に、それでも負けじと言葉を投げる。

「んなこと言うなよ、俺たちの仲だろ? なぁ――」

 と、そこまで言いかけ、ふと考えてしまった。今までなんと呼んでいただろうか。

 しばらく考え思い至る。

 アサギと同じく、『お前』としか呼んでいなかった。

「まさか自分から話しかけておいて名前忘れたとか言わないだろうな?」

「いや、それはない。ヨシノだろ、ヨシノ。つい最近、ゲームで見かけたからな」

「……それ、堂々と言うことじゃないだろ」

 呆れながらも、ヨシノは軽く笑った。

「で、何か用?」

「いや? 特には何も。逃げられたら追いたくなるのがサガってもんだ」

「やめた方がいいよ、それ。君みたいな変態に追いかけられたら、大抵の女は通報するから」

「色々と言いたいことはあるが、そもそも女は誰かに追いかけられた時点で例外なく通報した方がいい」

 そして俺は変態じゃない。

 そう言いかけたところで、逃げられた理由に気が付いた。

「お前、どこから見てた?」

 ヨシノは目を逸らした。

 アナウンスが流れ、電車のドアが閉まる。ガタゴトと走り出した。

「少なくとも馬鹿みたいに笑いながら歩いているところは見たな」

「そうか、つまり俺がラ――」

「黙れ。黙ってくれ」

 鎌をかけたら、見事に引っ掛かってくれた。

 いやまぁ、引っ掛かってくれないと、俺は朝の電車内で『ラブホ』とかいうギリギリすぎるワードを発する羽目になっていたのだが。

「まぁ、なんであんなところにいたのかは聞かないでやる」

「勘違いするな。取材だよ、取材。……ていうか、君が吐く台詞じゃないだろ」

「俺? 俺はただ寝てただけだからなぁ」

「私も実質的にはただ寝てただけだっ!」

 咳払いと鋭い視線が幾重にも飛んできて、ヨシノがぺこぺこと頭を下げる。

 それから、じとっと恨めしそうな視線を投げ付けてきた。座れなかった俺とヨシノは並んで吊り革にぶら下がっていて、至近距離からだと睨むというより上目遣いに近い感じになる。

 要するに、あんまり怖くない。

「……なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけない」

「そりゃあ、久しぶりに会った友達から逃げるからだろう」

「君が私のことを友達だと思ってたなんて驚きだね」

「あぁ、思ってなかったからな」

「そこはもう少しオブラートに包んだらどうなんだ?」

「実際、そうだろ? お前だって俺のこと友達だなんて思ってなかっただろうに」

「私からすると、君は厄介者の筆頭だよ。陽キャ組の飲み会とか地獄でしかない」

 その割には何度も顔を出してくれた気がするが、そうか、だから厄介者の筆頭か。

 ヨシノにしてみれば、断るに断れなかったんだろう。

 俺は何度も声をかけていたし、時には普段話すこともないような奴まで連れて誘いに行った。

「そりゃ悪かった。今度埋め合わせがしたいから、一杯どうだ?」

「黙れ猿」

「相変わらずツッコミの技術は今一だなぁ」

「いいんだよ、別に! 私はお笑い芸人じゃなくて、漫画家になりたかったんだ!」

 言ってから、しまったという顔になるヨシノ。

「そうか、それで取材か」

「……悪いかよ」

「いや、全然?」

 SNSで少し話題になって、スマホゲームのイラストを依頼されて、今度はラブホを取材しなくちゃいけないような漫画か。業界、よく分からん。分からんが、少しは分かる。

 大学を卒業したばかりの若い女の子が描く漫画。

 このご時世だから十分とは言えないまでも、ある程度の話題性は狙えるのかもしれない。

 なんというか、夢と呼ぶには汚れすぎた話だ。

「……君には分からないよ、君には」

 俺の沈黙をどう受け取ったのか知らないが、ヨシノは沈んだ声で言う。

「だろうな、分かるはずがない」

 片やニート、片や夢追い人。

 似ているようでいて、全く別物だ。

 それも夢に手が届いたと思ったら、あと一歩のところで掴み損ねてしまったらしい。

「なんとも世知辛いなぁ」

「突然どうした」

「いや、努力したらした分だけ報われる世の中ならよかったんだが、と」

 笑って言うと、笑われた。

 愛想笑いですらない、心の底から湧き出たらしい嘲りの笑みだ。

「そんなの、絶対に嫌だね」

「そうか? お前は、努力が報われてほしいとは思わないのか?」

 そこについては異論を挟む余地がないと思っていた。

 実際、ヨシノは努力している。どれほどかは知らないが、少なくとも趣味を収入に繋げられる程度には努力してきたはずだ。なら、報われてほしいとも思うはずだが。

「私以上に努力して、私以上に実力があって、それなのに私より目立たない人を知ってる。いっぱいね。努力が全部報われちゃったら、私はその人たちに埋もれて終わりだよ」

 なるほど、とだけ頷いた。

 そういうものなんだろうか。努力しても、目立たなくちゃダメ、注目されなくちゃスタートラインにも立てない。努力にすら裏打ちされないそれは、いうなれば運か。

 運。

 そういえばアサギが言っていたことだ。

「なら、お前は運が良かったわけだ」

「そ。君に言われると腹が立つけどね、運が悪かっただけの優等生さん」

「他の奴にも言われたんだよな、それ。そんなに運が悪いように見えるか?」

 どうやら、見えるらしい。

 返されたのは、深い深いため息だった。

 電車が停まって、乗客の流れができる。俺もヨシノも降りる駅ではなかったから、流されないように吊り革に捕まっていた。沈黙の間を喧騒が繋ぎ、また電車が走り出す。

 会話も、そこで再開された。

「ていうか、言わない方がいいかと思ってたけど、案外普通だね、君」

 唐突な言葉だった。

「なんで言わない方がいいかと思ってたんだよ」

「噂は届いてたからね。付き合いが悪くなったとか、連絡が取れなくなったとか」

「連絡をしてこないのはあいつらの方だろうが」

 そう言ったら、また笑われた。

 アサギのとは違う、どこか神経を逆撫でする笑い方だ。

「じゃあ例えば飲み会にでも誘われたら、君は顔出してた?」

「出してないだろうな」

「で、実際に断ったわけだ」

「そりゃそうだろ。……って、そりゃそうか」

 断られると分かっていて誘うはずがない。

 むしろ気を遣って、連絡も避けるだろう。俺の方から声をかけたら違っていたんだろうが、俺は俺で、もう誘いも来なくなったからと連絡しなかった。連絡しない連鎖の誕生だ。

「君さ、金の切れ目が縁の切れ目って言葉、知らないの?」

 またも唐突な言葉。

 アサギはアサギで文脈というものがなかったが、ヨシノもヨシノで脈絡がない。

「知らないわけがないだろ。つうか、そういう話をしてたんじゃないのか?」

「……いやまぁ、してたつもりなんだけどね」

 そして、ため息までがワンセット。

 しばらく沈黙が続いて、電車が停まる。人の流れができる。流されないように吊り革に捕まっていると、横というか斜め下からの視線に気が付いた。だがヨシノは何も言わず、ドアが閉まる。電車が走り出した。ヨシノの視線は、小さくなっていく駅に向いている。

 お陰で気付けた。

 今の駅で降りるつもりだったのだろう。

 でも、降りなかった。

「言いたいことがあるなら言えよ」

 今なら、実は好きでしたと同窓会めいたことを言われても驚かない自信がある。

「君、本とか読まないの?」

 違った。

 まぁ、そりゃそうだ。

「読むぞ」

「漫画以外で」

「勿論――」

「ラノベも除外で」

「読まないなぁ」

「なら、読んだ方がいいね」

 何様のつもりだよ。

 自称読書家連中は、これだから嫌だ。

 小説になんでもかんでも書いてあるかのような顔をする。事実は小説より奇なりという言葉を知らないのか。百聞は一見に如かずだ。小説を読む時間で生の世界を見た方がいい。

「君、暇だけはあるでしょ?」

 しかし人の心を読むという一点に関しては、効力を認めないではないと今思った。

「顔に出てたか?」

「伊達に四年も付き合ってないんだよね」

「そういうもんか」

「そういうもんだよ」

 冷静に考えてみると、アサギとは二年間の付き合いだったが、ヨシノはその倍だ。

 そりゃ、俺の考えることくらい分かるようになるか。

 ……いや、なるのか?

「お前、まさか――」

「有り得ないね」

「若干とかは?」

「キモい」

「すみませんでした!」

 世の中、そう都合良くはない。

 まぁヨシノに好かれていたとしても俺には何一つ利点がないのだが、それは措いておこう。

「でもさ、本当に読んでみるべきだと思うよ、君みたいな人は」

 俺みたいな人、ねぇ。

 そもそもどういう人なんだろう、俺って。

 アサギはあれだけ猛烈にアピールしてきたが、そこまでの価値があるのか。

 こうやって利点だの価値だの、そういう考え方しかしていない人間なのに。

「君さ、人の悩みとか、聞いたことないでしょ」

「お前はあるのかよ」

「滅多にないね」

 だろうな。

 悩みを打ち明けるなんて、よほどの仲でなければできない。それこそ恋人同士でも、関係が壊れてしまうのを恐れる余り、言えないまま腐ってしまうことがある。

 あぁ、そうか、そうだな、俺も経験がある。

 何か言っていたら変わっていたんだろうか。

 一年も経っていないのに恋心のコの字も忘れてしまったあいつと、別の道を歩めたんだろうか。

 ないだろうな。

 関係が壊れてしまうんじゃないかと怖がるくらいの関係、ということだ。

 多分、何も変わらなかった。壊れるのが早いか、腐るのが早いか。俺たちの場合、腐ってしまって元通りにできなくなるのが先だっただけだ。

「小説はさ、そういう悩みとか、結構露骨に書いてあるよ?」

 ヨシノは何もかも見通しているかのような顔で言う。

「それを見て勉強しろってか?」

「いいや。君がどれだけちっさいことで悩んで、どれだけちっさい一歩も踏み出せないでいるのか知った方がいいってこと」

「悪かったな、ちっさくて」

「ちっさい言うな」

 どこかで見たこと、聞いたことのあるやり取りでお茶を濁した。

 また一つ駅を過ぎる。

 俺が降りるはずの駅だったが、気取られないように表情を偽った。

「君、太宰とか読まないの?」

「太宰?」

 ラノベ以外は読まないと言ったはずだが……、いや待てよ。国語の教科書で読んだ気がする。

「あるな、ある」

「例えば?」

「羅生門」

「それ芥川だから」

 どっちも一緒だろうが。

 これだから読書家とかいう生き物は嫌いだ。

 太宰だか芥川だか知らないが、そんなのブロッコリーとカリフラワーくらいしか違わないじゃないか。どっちも小難しい、どっちも茹でてマヨネーズかければ美味い。以上だ。

「なんかすごく馬鹿っぽいこと考えてる顔してるんだけど」

「マヨネーズって美味いよな」

「あぁ、うん、予想当たってたね」

 呆れたようなヨシノの笑みは、しかし今日見たどの笑顔とも違っていた。

「当たったか」

「認めたくないけど」

 まぁ、ヨシノにはヨシノで悩みがあったのだろう。

 それが何かは知らないし、今のなんの役にも立たない無駄話で解決したはずもない。

 だが、何かは変わった。

 少しはお礼ができただろうか。なんのお礼かは、自分でも分からないが。

「人間失格とか、君にはお勧めだね」

「ニートは人間失格ですか。……って、それ、在り来たりすぎないか?」

「読んでみれば分かるよ。ラブホ行くくらいのお金あるなら、買えるでしょ」

 何気なく言ったが、自分が何を言ったか分かっているんだろうか。

 とはいえ、朝の電車の中で他人の会話まで気にしている者もそう多くはない。

「それでもガチャ一回分くらいするだろ? ……まぁ、気が向いたら買うよ」

「絶対買わない奴の言い方だ」

「分かった。本屋にも行けたら行く」

 また他愛のないことを言って、笑っておく。

 無理やりにでも笑えば、少しは勇気が出てきた。次にいつ会うかも分からないし、言っておこう。

「そういや、ヨシノ」

「ごめん、君のことは良いお友達くらいにしか思ってないんだ」

「人が真面目な話をしようって時にふざけやがって!」

 喧嘩売ってんのか。

 いや、何を言おうとしているのか分かった上で、牽制してきたのか。

 考えすぎか。そこまで人の心を読めるわけもない。一つ笑って、また口を開く。

「お前、あのゲームのこと気にしてんじゃないだろうな」

 半ば強引に言ってしまってから、後悔した。

 駅に停まる度に漂っていたものとは違う沈黙がヨシノとの間に横たわる。

 でも、一度言い出したからには、最後まで言わなければならない。

「あれは仕方ないだろ、なんて言ったところで慰めにもならないんだろうな」

 ヨシノがイラストを担当した新規ユニットは、今ネットでひどい評価を得ている。

 といっても、特別なことは何もない。

 二ヶ月に一度は実装される、ただ新しいということだけが特徴のユニットだっただけだ。

 スマホゲームは課金を煽るためにどんどん強いユニットを実装していくが、実装する度に強くしていてはゲームバランスが崩壊する。だから強くもなんともないユニットが新規実装されることも多い。

 そのうちの一つだったというだけ。

 しかし、ネット民は厳しい。

 強ければバランスが壊れると騒ぎ、弱ければ使い物にならないと騒ぎ、強くも弱くもなくても無理やりどちらかに仕立て上げて騒ぐ。

 その時、一緒に犠牲になるのは他のユニットや、それこそイラストだ。

「まぁでも、仕方ないだろうな。ぶっちゃけ、そんな上手くもなかったし」

「喧嘩売ってる?」

「事実を言ってるだけだよ」

 あれだけ可愛いだのエロいだのと言っていた連中は息を潜め、今やイラストまで酷評されている。実際に騒いでいるのは一部だとしても、大きな声は目立って仕方がない。

「特別上手いわけでも、特別手が込んでるわけでも、何か目立った特徴があるわけでもない」

「だからなんだっていうの」

 悲痛と言っていい声だった。

 ヨシノの静かな叫びを聞いていると、なんで俺はこんなことを口にしたんだと思えてくる。

 実際、そうだろう。

 言うべきではなかったのだ。

 言わなければ、久しぶりに会った友人未満の知り合いとして終わっていた。

 それでも言ってしまったのは、だから俺の自己満足だ。

「はっきり言って、お前は俺と一緒にニートになるもんだと思ってた」

 当時は絶対に口にしなかった言葉。

「上手くもない絵にしがみついて、こいつ現実見えてねえなって。まだ就活してた俺の方がマシだと思ってたくらいだ。そんな奴が夢を叶えたって聞いて、クソみたいな悪口を考えたこともあった」

 それこそ、イラストを酷評しているネット民と同じか、もっとひどい悪口を考えていた。

 だが蓋を開けてみれば、ヨシノにはヨシノの悩みがある。

 漫画家になるのが夢だというなら、その夢はまだ叶っていないだろう。

「俺はイラストとか業界に詳しくはないからな。擁護はできない。上手いとも言えない。他にもっと上手い絵を描くイラストレーターも知ってるし、可愛いキャラクターも知ってる」

 本当に何言ってんだ、俺。

 馬鹿なのか。

 ニートは普段誰とも話さないくせに、益体もないことは延々考えている。

 だから一度口を開くと、止まらない。言わなくていいことまで言ってしまう。口は災いの元だというが、その通りだ。数分前に戻って口を縫い付ければ、全てが解決する。

 それは無理だが。

 もしできるなら、俺は木曜日の寝てしまう前に戻りたい。

 もっと言えば、一年前に戻りたい。

 そんなのは不可能だと知った上で、過ちを繰り返している。

「けど、これだけは言わせてくれ」

 こんなことを言って何になるのか。

 分からないのに、口を衝いて出た言葉は止まらない。

「少なくとも俺には、お前の絵だと一目で分かった。見た瞬間に、下手くそだと言ってやりたくなった。いや、悪い、正直に言う。本当は一瞬で興味がなくなった」

 でも、気になった。

 興味をなくしたはずなのに、画像を閉じることはできなかった。

「お前、運が良かったんだろ。なら笑えよ。なんで振り返ってやがる。夢叶えるために取材もしてんだろ。どうせ上なんか見ても仕方ないんだから、悩んだ時は下を見ろ。ド底辺から見上げてる馬鹿どもを鼻で笑ってやるくらいがちょうどいいんだよ」

 ヨシノは何も言わなかった。

 いや、何かは言ったのだが、恐らく意味のある言葉ではなかった。

 それでもやがて、俺の方を見据えてくる。

「ニートのくせに、何カッコつけてんの?」

「カッコつけてたつもりはない」

 アサギも言っていたが、俺はカッコつけに見えるんだろうか。

「じゃあ、何? 慰めてるつもり? ……え、まさか口説いて!?」

 元気になったなら何よりだが、やっぱりアサギと同じだ。元気な方がうざい。

「んなわけねえだろ。なんか一方的に悪口ばかり考えてたから、少しは罪滅ぼしをだな」

「電車ん中で君みたいな人に口説かれる女の気持ち、分からないでしょ」

「だから口説いてねえって……」

 もう疲れた。

 次の駅で降りよう。

 そして、反対に行く電車に乗ろう。どこかで朝飯を済ませてもいいかもしれない。

 そういえば、今日は土曜日だ。

 通勤時間帯なのにこれだけ駄弁っている余裕があったのは、そういうことか。

 と、そこまで考えて、思い出す。

「あ、そうだ。ちょうど今日の分でガチャ一回分になるんだった。あのクッソしょうもないユニット狙って引いてやるよ」

「そこはせめて課金してよ……」

 んな金はねえんだよな、と笑いながらスマホを出して、ゲームを起動。

 幾つかのデイリーミッションをクリアすれば、ガチャ一回分の無償石が貯まった。

 ガチャ画面を開いて、念じる。

 息を呑む一瞬の後、それは現れた。

 最高レア確定演出。

 通常は数パーセントの確率でしか排出されない最高レアだが、確定演出時は、その名の通り確定で出る。

 そして――。

「おっ」

「え、なに、本当に出たの?」

「ほれ、ほれほれ」

 たった一回の無課金ガチャから出てきたのは、このゲームのプレイヤーなら誰もが欲しがる最強と名高いぶっ壊れユニット。

 このユニット一枚のために、どれだけの人間がどれだけの諭吉を溶かしてきたか。

「なっ……!? 私も持ってないのにっ!」

「ふっ。これは世のため人のために生きる俺に神様からのプレゼントってことだな」

「うっわ、心にもないこと平然と言ってる……」

 なんとでも言うがいい。これは余分に払う羽目になった電車賃を補って余りある成果だ。

 アサギからもヨシノからも運が悪いと言われてしまったが、これにて汚名返上である。

 ようやく運が上向いてきた。

「もしかしたら、今ので一生分の運使い切ったんじゃない?」

「いやいや、そんなわけ…………」

 そんな、いや、まさか。

 冗談めかして笑って、二人揃って駅に降りた。

 それから互いに無言のまま不可侵協定を結び、Uターン。反対方向の電車に乗る。

 言うまでもなくまた同じ電車に乗ったのだが、言葉は交わさなかった。

 ただ話すためだけに乗り過ごしたなど、たとえ分かりきっていても認めるわけにはいくまい。


 少しはつっかえが取れた気分から、朝飯は久しぶりのラーメンにした。

 こんな時間に営業している店があるんだな、と驚きながら入ったが、意外と需要があるらしい。俺以外にもそこそこの客がいて、改めて服が気になりはしたが、時既に遅し。

 ささっと食べ、逃げるように帰路に着けば、もう昼前だった。

 今しがた食べたばかりだが、昨日唐揚げ弁当しか食べなかったせいか、もう腹が減っている。

 何を食べようか。

 でも流石に外食はできない。

 財布の中にあった一万円札も、今では五千円札と千円札になっている。アサギを連れ帰ったタクシー代は唐揚げ弁当に消えているから、実を言うと、むしろ金欠気味だったりするのだ。

 それでも嫌な気分ではなかった。

 久しぶりによく寝て、散々妬んできたヨシノとも前と同じように、いや前以上に話せた気がする。

 順風満帆とは口が裂けても言えないが、やはり運が上向いてきたのかもしれない。

 そんなことを考えながらアパートに帰って、心臓が止まりかけた。

 俺の部屋の前に、管理人が立っていたのだ。


 気分の乱高下には慣れた、つもりだった。

 俺はこんなにも打たれ弱かったのか。

 いや、違うだろう。

 確かに慣れてはいたのだが、慣れを上回る振れ幅に襲われたのだ。

 色々なことが重なっていたに違いない。

 学生向けアパートに、卒業後も居座るニート。

 それだけでも追い出すには十分すぎるのに、今はもう秋だ。新しい学生が住み始めるのは春だが、学生が部屋を探すのは遅くとも秋から冬にかけて。

 アパートの運営側からすれば、この秋冬が勝負だ。

 ここで入居者を捕まえれば、向こう四年間は安泰。

 一方で空室を作ってしまえば、向こう一年間は遊ばせる羽目になる。

 入居者がニートだろうと親が家賃を払い続けていれば実入りは変わらないが、入居者が入れ替われば礼金という悪習によって追加収入が得られるのだ。

 追い出すなら、この時期が分水嶺。

 そう睨んでいた管理人のもとに、隣の住人からの苦情が入ったのだろう。

 そして管理人は、これ幸いにと腰を上げたというわけだ。

 俺の部屋の前で待ち構えていた管理人は、開口一番、本題を切り出した。

「ここ、学生向けなんですよね」

 前置きも何もないが、それで十分すぎる。

「いやぁ、その、すみません」

 学生時代に培った愛想笑いを浮かべ、頭をかいてみるも、管理人の表情は全く変わらない。

「それで、ですね、他の部屋の方からも……その、言いづらいんですけどね?」

 なら言わなくていいですよ、と即答できたら、どれほど痛快だったか。

 言えなかったし、言わなかったけど。

 実際、そんなことを言っても俺の立場が悪くなるだけだ。

「まぁ有り体に言って、苦情が来てまして。ちょっと中で……、よろしいですかね」

 よろしいですかね、か。

 まぁ、俺に拒否権はないんだろう。形だけ許可を求めているが、断られたら断られたで、一方的に最後通牒を叩き付けてお仕事完了である。むしろ、そっちの方が楽なくらいだ。

「まぁ……、あー、そのことなんですけど」

 拒否権はない。

 分かっているのに、何故か俺は躊躇っていた。時間稼ぎの言葉が口を衝いて出る。

「えぇ、ですから、中でちょっと……いいですかね」

「あー、いや」

 なんとも間抜けだ。

 間抜けと言う他ない。管理人も、内心では大いに笑っていることだろう。

 どうやっても逃げられないくせに悪足掻き始めたよ、とか。

 もしくは、面倒だと思っているか。管理人の目がじろりと俺を睨め回す。そういえば、外出向きの格好ではなかった。こういうところも、ニートだから、の一言で片付けられるんだろう。

 嫌だな。

 反吐が出る。

 自業自得だと分かっているのに、腹が立って仕方がない。

 無理を承知でどうにか出し抜いてやりたくて、考えるより早く口を開いていた。

「今、引っ越し先を探してまして」

 はぁ、と機械的に頷いた管理人の、なんと間抜けなことか。

 間抜けは俺だ。

 馬鹿か。

 んなの探してないだろ。というか、頭でもなんでも下げまくって、無理やり次の一年も住まわせてもらうしか選択肢はなかったはずだ。仮に部屋が見つかっても、どうするんだ、家賃は。事後報告で親に頭下げに行くのか? それなら今ここで管理人に頭を下げるのも同じだ。

 馬鹿だなぁ、俺。

 つくづく思う。

 馬鹿だ。なんでもっと賢くやれないんだろう。

 就活もそうだった。変な意地を張っていなければ、今頃こんな惨めな思いはしていなかっただろう。妥協すればよかった。そもそも受かって当然とかいう思い上がりを、社会に出る前に捨て去るべきだったのだ。中途半端な自信が人生そのものを打ち砕いた。

 くそが。

 今となっては開き直るしかなかった。

 さっきの今で、ごめんなさい嘘です部屋なんて探してません、と言えるか?

 言えるわけがないだろう。だから馬鹿なんだ。プライドが高いと、アサギにまで言われる。

 ……いや、そうか、アサギだ。

 これは、やはりくそったれだな。

「そのこと……ですよね? いや、本当にすみません、もう少し待ってもらえませんか」

 管理人は、拍子抜けといった感じで何度か頷いている。

 もっと食い下がられると思っていたんだろう。そのために何かと準備もしていたはずだ。

 その全てが無駄になった。

 振り上げた拳のやり場を失って、「それならいいんですよ、それなら!」とどこか怒ったように言い残して去っていく。

「何もよくねえよ、馬鹿かよ」

 自嘲が零れる。

 何が上向いてきただ。

 何が運が悪かっただけだ。

 やり直したいだなんて、もう言わない。

 だから一年前に戻りたかった。

 一年前に戻って、あの調子に乗ったクソ野郎をぶん殴ってやりたかった。

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