19.善意100パーセントです
「そんで? 何? 言ったの?」
「言った。ああいう手合いには一番聞きやすい言葉だったんだろう?」
「いや、まあ、そりゃそうなんだけどさあ!」
あたし達はあれから幾つかの買い物をして、ゲームセンターで遊んでから杏ちゃんを送り届け、次は映画でも見ようと約束してから帰宅した。
モヤシシャツで出迎えてくれたお兄ちゃんをスルーし、適当に夕飯を作り終えたのが今から十分前のことだ。
夕飯のチンジャオロースを頬張りながら笑い出すお兄ちゃんに、飲み込んでから笑って、とテーブルの下の足を小突く。
想像だけでも笑えるのか、あたし達から今日の顛末を聞き出したお兄ちゃんは楽しそうに笑っていた。この分だと波が引くまで大分かかりそうだ。
あたしまでつられて笑いそうになるのを咳払いで誤魔化しつつ、たまごスープを飲み込む。
「にしても、やっぱり使う羽目になったか。教えといて良かったぜ」
「良くないでしょ、アヴェルさんに変なことばっかり教えるのやめてよね」
「今回は役に立ったろ?」
「……まあね」
正面切って言い争うよりはよほど穏便に済んだとも言える。実際は不意打ちを食らわせて敵前逃亡しただけなんだけど、平和に済んだのだから何でもいい。
いや、何でもはよくない。そのためにアヴェルさんが犠牲になるのはちょっといただけない。
お兄ちゃんのことだから害になるようなことは教えないだろうけど、それは逆に言えば、害にならなければ何でもかんでも吹き込むってことだ。アヴェルさんが面白外国人枠とかになったら居た堪れない。
気遣うように視線を向けると、気づいたアヴェルさんは肩を竦めながら苦笑した。
「いつものことなので、もう慣れました」
「慣れたって言ってもさあ……『慣れるまでが大変』、だったよね」
「それはもう、……はい」
「お疲れ様です」
ご愁傷様です、とも云う。
遠い目をするアヴェルさんを労うと、お兄ちゃんが若干不満げな顔をしたけれど、不満を言える立場か、と目線で黙らせておいた。
お兄ちゃんも悪ノリしている自覚はあるのか、特に反論されることもない。別にそこまで責め立てたい訳でもないので、早々に話題を変えることにした。
「そういえば、香菜から伝言なんだけど」
「それって俺の身の安全が保障されてる類の伝言?」
「保障されてない類の伝言って何よ」
そんなのあるの?と思ったものの、『えげつないタイプの魔導書が欲しい』ってのは確かに、一般的には身の安全が保障されているとは言えない気がしてきた。
自信がなくなったあたしは不安をそのままに首を傾げる。
「あー……そう、かも?」
「兄ちゃんは国外逃亡する、お前らは達者で暮らせ! あばよ!」
「そこまで怯える必要ある!?」
「いや、だってなあ……」
「聞いてからにしたらどうだ、お前なら大抵のことは平気だろう?」
言葉を濁したお兄ちゃんに、アヴェルさんが至極冷静に言った。
その信頼、ちょっとお兄ちゃんに向けるには過ぎたものだと思うけど、確かにこの場合なら平気かもしれない。
「じゃあ、うん、聞こうじゃないか」
死刑宣告を待つ囚人のような顔で頷いたお兄ちゃんの様子に、これは一度香菜にも話を聞きたいな、と思った。
小学生の頃からの親友である香菜と、お兄ちゃんの交流は、当然あたしを介して生まれたものなんだけど、どうもこの二人、あたしの知らない付き合いがあるっぽいのだ。それが何か、までは分からないけれど、香菜はたまにお兄ちゃんに当たりが強い時がある。
まあ、それはそれで仲がいいってことなんだろうけど、なんて思いつつ要望を伝える。
「香菜がね、えげつない感じの魔導書があったら読みたいんだって」
「なんっだよそんなことかぁ〜、びっくりさせんなよー」
「あたしはその発言にびっくりなんだけど」
お兄ちゃんは先ほどまでの怯えようが嘘のように全身から力を抜いた。
むしろ、想像して怯えていた内容の方が気になる。魔導書より恐ろしい伝言って何?
「『ディザストレの不変の書』とかで良いかな、『パンタノの誘い』とかもまだ持って来れそうだけど」
「なあ、呪物よりも伝言に怯えるのはどういう精神状態なんだ?」
「若造のお前にはわかんねえだろうな、まだ」
どうやらまたとんでもないアイテムやらを持ち込もうとしているらしいお兄ちゃんに、アヴェルさんが呆れの滲む溜息をこぼす。
女の子は恐ろしいんだぞ、と呟くお兄ちゃんは何かを思い出すような顔をした後、食欲が無くなったのか箸を置いた。
……香菜、あんた一体何をしたの、何を。
いや、どうせ、お兄ちゃん特有の悪ノリってやつなんだろう。深くは考えないことにする。深淵を覗くものはなんちゃらかんちゃらとも言うし。
「読んでも危なくないやつにしてよ? 香菜に渡すんだから」
「えー、でも香菜ちゃん絶対『パンタノの誘い』好きだと思うんだけどなあ」
「……どんな本?」
「読むと死ぬ」
「ディザなんちゃらは?」
「読むと死ぬ」
「お兄ちゃんあたしの話聞いてた?」
読んでも危なくないやつにしてって言ったじゃん!?
っていうか死ぬような本を渡すとか、え、お兄ちゃん、香菜をどうするつもりなの?
やたらと怯えていたけど、まさか恐怖のあまり香菜を抹殺しようなんて考えてないよね……というあたしの懸念は、アヴェルさんの言葉で一先ず消えた。
「無効化出来るにしても、魔術の心得のない人間に渡すものじゃないだろう? 『ペサディリヤ全書』くらいにしておいたらどうだ。既に持っているんだし、渡しやすいんじゃないか」
どうやら、読むと死ぬ本は無効化?出来る代物らしい。それがお兄ちゃんだから出来るのかどうかは、なんかもう聞かない方が良い気がする。
安堵か疲弊か自分でも分からない息を吐くあたしの横で、お兄ちゃんは生温い視線をアヴェルさんに向けた。
「アヴェル、お前も中々えげつないの勧めるな」
「……そういう要望じゃなかったか?」
「えーと、それはどういう本なの?」
「所有者がこれまで見た悪夢を全て記してくれる本です。夢の内容によっては気分が悪くなるかもしれませんが呪われることもありませんし、比較的安全な部類かと。ただ、本気で思い出したくない悪夢があるならやめておいた方がいいですね。魔導書、という要望からは少し外れてしまいますが、適度に毒のある書物ではありますし、いかがでしょう?」
心底不思議そうに目を瞬かせたアヴェルさんに問うと、爽やかな笑みと声で丁寧な解説が返ってきた。
なるほど、確かにえげつないと言えばえげつないけど、お兄ちゃんが言ってきた本よりはマシかもしれない。あとは香菜の好みに合うかどうか、だな。
「……じゃ、それで」
「ほいよー、じゃあこれ渡してやってくれ」
頷くと、お兄ちゃんは空間から――空間から!?、……空間から、一冊の本を取り出してきた。
イメージしていたよりも薄く、小さな文庫本サイズの本だ。鈍い赤色に黒い斑点が浮かんでは消えている表紙は、素直に言って気持ち悪い。
正直、あんまり受け取りたくはないんだけど、仕方がないので指先で摘まんで鞄に放り投げておいた。
週明けにでも渡そう。喜んでくれるといいな。
悪夢を見せる本を渡して喜んでもらおうとするの、傍から見ると完全におかしいんだけど、今だけは突っ込まないでおくことにした。




