第三話~最終話~
「ぎゃあああー!」
美しい城の中で、女の悲鳴が響き渡る。この城に在住しているのはたったの二人。
男神シルバンティスと王女ティアリーンである。
つまり、けたたましい悲鳴はティアリーンがあげたことになる。
「うっるさいなぁ。朝から何騒いでるのさ」
自身のベットから起き上がったシルバンティスはその悲鳴に顔をしかめる。しかし、ティアリーンはその様子に気が付く事なく、ひたすらにシルバンティスを凝視しながら、口をパクパクと開け締めしていた。
「シ、シルバンティス様……?」
「んー? なあに?」
恐る恐るといった様子で問いかけるティアリーンに、悠然と返事をするシルバンティス。しかし、その返事を聞いてもティアリーンの表情は呆然としたままだった。
「……? 一体どうしたのさ。そんな間抜けな顔して」
「そ、その失礼な物言いは確かにシルバンティス様……」
ティアリーンは何やら確信を深めたのか、一度深呼吸をすると再び城の内部に響き渡る声を発した。
「なんで、いきなり大人の姿なのですかー!!」
「だから、驚かしてごめんってばー」
朝の一騒動からしばらく後の朝食の席。
無言で食を進めるティアリーンに向かって、シルバンティスはひたすらに謝罪をしている。今まで、謝罪をするのはティアリーンばかりであったので、この光景は珍しく異様であった。
「……」
ちらり。とティアリーンの視線が向かいに座るシルバンティスに向く。
「……くっ」
しかし、何故か呻き声をあげると、すぐにまた下を向いてしまう。
「ティアリーン……」
その普段らしからぬ様子に少なからずショックを受けたシルバンティス。こうして昨夜に引き続き、沈黙が場を支配していた。
昨夜、兄ドラディナスとの縁談が望むものでは無いと知ったシルバンティスはティアリーンと早々に仲直りをした。何故そこまで自分が不機嫌になっていたのか、シルバンティス自身も良くは分かっていなかったが、これからもティアリーンは自分の傍に居てくれる。そう思うだけで心が満たされ、誰よりもティアリーンを守って大切にしてあげたいと思う気持ちに突き動かされるようだった。
そして、幸せな気持ちで眠りについた……までは良かったのだが。
「はあ……」
シルバンティスは、自分の身体つきを見下ろして溜め息をついた。
何故か、寝て起きたら一晩でぐんと成長していたのである。
それは、成長期はぐんぐん伸びるよねー。的な速度ではもちろん無い。
どう見積もっても、十三、四だった年格好が、一晩で成人男性のそれに変わってしまったのである。
昨夜まで持っていた海色に青く輝く髪や瞳はそのままに。確かに数年分成長したシルバンティスがそこには居た。
「神格が上がっちゃったんだなぁ……」
先程、ティアリーンにも説明した内容を一人呟いた。
神は人と見た目は似ていても全く異なる存在。その成長の形もまた大きく違っている。
神は年月で歳を重ねたりはしない。自身の持つ慈愛や慈悲の心、またその身に向けられる信仰や親愛によってのみ身体的な成長を遂げられるのだ。
つまり、人と比べて悠久とも思える時を過ごして来たはずのシルバンティスが少年の姿のままだったのは、それだけ慈愛の心が少なく、また向けられる親愛も少なかったという悲しい理由でしかなかった。シルバンティス自身は気にしていなかったが、父神を始め、神一族はそれをとても悲しみ、憂いていたのだった。
それが、突然の成長ぶりである。恐らく、ティアリーンに向けた気持ちや、向けられた気持ちが関係しているのだろう。それがすぐに分かったシルバンティスは、冷静さを取り戻すとすぐにティアリーンに状況の説明をした。
しかし、ティアリーンは受け入れるどころか、先程から目も合わせてはくれないのである。
「神格なんて、上がらなきゃ良かった……」
喜ぶべきはずの事柄なのに、目の前に座るティアリーンの様子を見た限りでは、少しも嬉しくない。
もしやティアリーンは、この成長した容姿が嫌いなのだろうか。
「「…………」」
目を泳がせて、伏せ続けるティアリーン。
落ち込んで、憂いを漂わせるシルバンティス。
その二人の間に沈黙を落としたまま、朝食の時間は過ぎていった。
「誰ぞ、おられぬかー?」
ティアリーンがその声を聞いたのは、重たい朝食後、深海に作られた庭で洗濯物を干している時だった。
「……? 声が聴こえる?」
ここには、シルバンティスと自分のみ。それ以外に住んでいる者は居ないはず。
気のせいかと再び洗濯に集中しようとした時。
「ここに居られたか! 未来の奥方殿!」
そんな声と共に、気が付くとティアリーンの手はすっと誰かに握られていた。
「ああ、このように民と同じく、ご自身で洗濯までこなされようとは……。お噂通り、謙虚で親しみやすく驕る事のない素直で可憐な方でありますね」
「ええ……っと?」
ティアリーンは、混乱せいか目の前で起きている事、掛けられている言葉が理解出来なかった。
まず、この手を握って、膝をついている男性は誰なのだろう?
そして、だらだらと話されている言葉は誰に向けているのだろう?
私に、このような知り合い居たかしら……?
手を取られるがまま、ティアリーンがぼーっと考え込んでいると。
「……兄上、何をされているのですか」
横から、地を這うような低い声が聞こえてきた。
声のした方を見やれば、表情を暗くして、心なしか暗黒を漂わせたシルバンティスがそこに立っていた。
「ん?……あ、兄上って?」
「え?……シ、シルバンティス?!」
そんなシルバンティスの様子と言葉を聞いて、ティアリーンと男性は手を重ねたまま、驚きの声をあげる。
ティアリーンはシルバンティスの言葉に。
男性は、シルバンティスの成長した姿に。
しかし、そんな事はお構いなしに、シルバンティスは、ズカズカと二人に近寄ると、重なっている手の上に、手刀を叩き込んだ。
「いたっ!」
「きゃっ!」
重ねられている上の手は、男性の物だったのでティアリーンに痛みは無かったが、その乱暴なシルバンティスの仕草に驚き、ティアリーンは声をあげる。
「シ、シルバンティス様! どうしてこのような事を……!」
「……ティアリーンは、兄上と手を繋いで嬉しいの?」
「えっ」
シルバンティスの険しい表情と言葉に声を失うティアリーン。そして、ようやく理解する。この目の前の男性はシルバンティスの兄上、ドラディナスだったのだと。
す、すっかり忘れていたわ……。
ティアリーンは、目の前で何故か呆然とシルバンティスを眺めているドラディナスを見つめた。謁見の場で、確かに何度かお目にしたその姿。空を司る神のお姿は言われてみれば確かにドラディナスだった。
しかし、記憶にあるはずのドラディナスの姿に全く感情を動かされなかった。それどころか、赤の他人として認識してしまうとは。
縁談の話も持ち上がっている相手だというのに……。
ティアリーンは、自分の無関心さに驚き、改めて面食いであった自分の価値観が変化していることを感じていた。
そんなティアリーンの様子をどう勘違いしたのか、シルバンティスはさらに眉間の皺を深めると、強めにティアリーンの腕を引いて、彼女を後ろに隠し、二人の視線を遮るようにドラディナスとの間に立ちはだかった。
「……それで? 兄上はどのようなご用件でこちらに?」
シルバンティスの冷静な、冷たすぎる声音で我に返ったのか、ドラディナスがその瞳を瞬かせて、恐る恐るといったように言葉を発する。
「ほ、本当に、シルバンティスなのかい? 少し見ない間に驚くほど神格があがったようだね……」
ええ、なりたてのほやほや。
気が付いたのは今朝のことです。
ティアリーンは、そう答えたくなったが、シルバンティスの様子が恐ろしかったので、口には出さず内心に留めておくことにした。
「……ええ、お陰さまで。これと気持ちを通わせたもので」
シルバンティスは、これと言うときにチラリと後ろのティアリーンを振り返った。
「えっ?」
ティアリーンは、咄嗟の行動と言葉に驚くが、シルバンティスの気配に制されてまたも何も言えなくなってしまった。
「気持ちを、通わせた……?」
ドラディナスも考え込むようにその眉間に皺を寄せた。どうやら、父神から受けた縁談の話は自分が思っていた物とは違う方向に進んでいるようだ。
ドラディナスは、内心ニヤつきたくて堪らなくなった。
今まで、どんなに諭しても、神格が上がらなかった末の男神。その可愛くも困った弟がようやく神格を上げたのだ。しかも、どうやら人間の娘に恋をしたらしい。一応、自分の縁談相手として上がってはいるが、そこは心の広い慈愛に満ちた神である。案外あっさりと状況を飲み込む事が出来た。あれだけ手を焼いていた弟を手懐けられる伴侶が得られようとは!
ドラディナスは、自身の立場を忘れ内心で小躍りを始めた。
ああ、盛大にお祝いして、相手の気が変わらぬうちに早いとこ婚礼を!!
早くも式場の場所などを考え始めてしまいそうな自分の心をドラディナスはキツく唇を噛み締めて引き締めた。
そんな兄の様子を見て、悔しがっていると勘違いしたシルバンティスは、さらに口を開く。
「ティアリーンは、兄上には渡さない! お、俺が貰う!」
「ええっ?!」
「……ぐふぅっ」
ティアリーンは驚きに声をあげる。
ドラディナスは、最早笑いたくてニヤけたくて仕方のない自分を制御するので手一杯であった。
「どどど、どういう事?!」
精神的ダメージを受けているドラディナスを尻目に、ティアリーンがシルバンティスに詰め寄る。
「だ、だからっ、お、俺の妻にだな……」
「つ、妻っ?!」
「だ、だから、君と気持ちが通ったせいで神格まで上がってるんだから、俺の気持ちは分かるだろう!」
「はああっ?」
ティアリーンからしてみれば、晴天の霹靂である。
一晩経ったら、少年から成人へと成長を遂げた神。
今度はその神からプロポーズを受けているらしい。
「そ、そんな事言われても……」
ティアリーンが狼狽えるそぶりを見せると、途端にシルバンティスの声音も落ち込んでいく。
ドラディナスは、密かに持ち直すと、二人の影に隠れ必死に弟を応援していた。
「……ティアリーン」
そんな兄の思いが通じたのか、シルバンティスは決意の籠った瞳でティアリーンを見つめると、その手を取って言葉を紡いでいった。
「君は、この容姿が嫌いかもしれない。ならば、再び神格を下げても良い。どうか俺と……共にずっと居てくれないだろうか」
「シルバンティス様……!」
せっかく上がった神格を下げてまで、共に居たいと言ってくれるシルバンティス。そんな彼の切実な言葉と瞳を見て、ティアリーンも自分の思いを素直に口に出す。
「わ、私は、シルバンティス様のそのお姿が嫌いな訳ではございません。……ただ、恥ずかしかったのです」
「……?」
シルバンティスは、訳がわからないといったように首を捻っている。そこでティアリーンは、顔を赤くしながら、さらに言葉を付け足した。
「で、ですから、その、あまりの凛々しさに緊張してしまって……」
「……つまり、照れていた、と?」
「はい……」
「「……」」
ようやく、互いの気持ちが分かり始めたのか、二人は手を重ねたまま、顔を赤くして俯き合っている。
そんな二人を眺めながら、ドラディナスは神一族と国王になによりも喜ばしい報告がもたらせる事に胸を踊らせつつ、ひっそりとその場を後にした。
「良い娘さんだったなぁ……」
本来であれば、自分の妻になったかもしれない娘。少しだけ惜しいことをしたな。という気持ちが沸いてくる。しかし、それよりも祝福したいという優しく暖かな気持ちにドラディナスは頬を緩めた。
「父上は、喜びのあまり泣くかもなぁ」
そんな事を考えながら、空の男神は帰路にたった。
その後、シルバンティスとティアリーンは互いの絆を深め、周囲に非常に喜ばれながら婚礼を上げ、末永く幸せに暮らしたという。
お読み頂き、ありがとうございました!