18
休憩時間に入るや、ベランダ側の扉が開け放たれ、淡雪さんが教室へやってくる。
クラスの皆の反応は淡白だ。ちらりと彼女を見、僕を見て、生暖かい目を向けてくる。
「勝負だ御影。前に言っていたテストが返ってきただろう」
「はい」
と、百点の答案用紙を見せる。
彼女が持っていたのは八十五点だ。
「なっ!? 貴様一体何をした!?」
「勉強しました」
「くそう……また負けたぞ。次は何だ!」
あのバレー以来、淡雪さんはひたすら僕に勝負を仕掛けてくる。
勝てば眼鏡を外せ、負ければ諦める、と言って。そう、彼女は諦める。その時だけは。
あれから色んな勝負をしたけど、今の所僕の全勝だ。
意外だったけど、生身の彼女はかなり運動神経が悪い。頭が悪い訳じゃないけど、基本的に思考が真っ直ぐだから読み易く、頭脳戦でもほぼ危なげない。ただ即応性が高くて思わぬ反撃を受けたりするけど、彼女のソレは常に戦術レベルだから、盤面そのものが僕に有利であれば大勢は揺るがない。
今のテストも社会科の定期的なもので、出し方はシンプルだからノートを丸暗記すれば簡単に百点が取れる。実際、クラスの三分の一が百点だ。問題数も少ないしね。
「う~ん、そろそろ出尽くした気も」
「なんだ……何も無いのか」
残念そうな淡雪さん。
もう完全に目的がすり替わってるんだけど、誰も突っ込まない。
スズカさんは今朝も土いじりとゴミ掃除をし、校舎では友達と仲良くお喋り、昼休みにはよくバレーボールを灰原さんたちとやってるみたい。
やる気あるのかラビアンローズ。
因みに昨日お屋敷に行ったら、桜井マリナがメイド服で踊ってた。
『ゎたしぃ、何着てもちょぉかゎぃぃょね?』
満喫しているようで何よりです。
あと何故かシズクちゃんがちょこちょこ僕に構ってくるようになった。
大抵意味深な一言を告げて去っていくだけなんだけど、割と対処に困る。ミホさんに相談したら彼女は大喜びしていた。なぜだ。
僕は相変わらずの寝不足で、今も欠伸を噛み殺した。
「私と勝負するのがそんなに退屈か……ッ」
「あぁ、ごめんなさい。そうじゃなくて、最近よく眠れなくて」
「そんな状態で勝負に出るとは、舐められたものだな」
いえ、僕はこれっぽっちも望んでません。
彼女との勝負は僕の社会生命も掛かってるから、油断しちゃいけないんだけど。勝ち続けてると妙に気が緩んできちゃうんだよなぁ。
それにしても眠い。もうかなり熱くなって来てるから、このままだと夏バテしちゃいそうだ。この前衣替えしたから僕は半袖だけど、何故か淡雪さんは冬服のままだ。相変わらず男子制服だし。
「勝負するにも、五分休憩だから時間ないよ?」
と、気持ちが緩んでいるからか、彼女がいつも男装しているからか、時折丁寧語が外れる僕。
「そうだ。じゃんけんというのはどうだ?」
「えー、やだよ。そんな不確定要素の多い勝負」
「ふむ。まあそうだな。運だけで勝ったとして、私も満足できん。貴様を心から屈服させないことにはな」
そんな具合にうだうだ話しているとチャイムが鳴った。
「仕方ない。また出直すぞ」
「うん」
「逃げるなよ」
「遅刻しますよ」
「わかっている!」
勢い良く言って走り去っていく淡雪さん。
ほっと一息ついて教壇側へ向くと、廊下側からこちらを見ている女の子と目が合った。名前もしらない人だ。彼女は隣に居た友人らしい人と何かを話し、笑いながら視界から消えた。
「なあ聞いてくれお前らー、どうやら馬券が大当たりしたらしくて先生うはうはだぞ」
担任国語教師の勝ち分は生徒の昼食代に消えた。
※ ※ ※
授業が終わり、さて帰ろうかという所に着信があった。
サイレントにしていたから音は鳴らないけど、表示画面が点滅してその中心に相手の名前が表示される。
シズクちゃんだ。
「もしもし」
『今、学校?』
「そうですけど?」
『そう』
と、用件も言わずに切れてしまった。
保護者に相談してみるべきかと思ったけど、最近のシズクちゃんはよくミホさんに張り合って僕に絡んでくる。何か考えているなら情報を渡してしまうのはどうなんだろう。仮に話したとしても前みたいに喜ばれるだけな気もするけど。
「火野さんか?」
電話していた僕を見てコースケが聞いてくる。
「違うよ」
「ほほう」
「……なに」
「今、口調は丁寧だったから、相手は女だな。それで、火野さんじゃない。ほほう?」
「勘繰られるような相手じゃないよ」
確かに最近、僕の交友関係に女性が増えてるけど、あくまで友人としてだ。
殊更言い広めたくはないけど、母の姿を見て、恋愛、というより肉欲的なものに忌避感がある。生涯独身でいる、なんて今から思ったりしないけど、そうそう恋なんてしないと思う。
欠伸を噛み殺し、鞄を持つ。
「最近眠そうだな。大丈夫かよ」
「う~ん、ちょっとダルいかな」
「帰って寝ろ。っても、それで寝れないから寝不足なんだよな」
「今日は買い物してすぐ帰るよ。お祖父様も帰りが遅いらしいから、眠れたら寝てみる」
「気を付けて帰れよ」
何人かで集まり始めたクラスメイトを尻目に、僕はとぼとぼ下駄箱へ向かった。
少しタイミングを外したからか、人の通りは少ない。
だから、異様に彼女の姿が目についた。
淡雪さんが、開けた靴箱の前で立ち尽くしてる。
手には紙。何が書かれているのか、ここからじゃ分からない。頭の中に浮かんだのは、今日見かけた女の子たち。まだ明るい陽の中で、真っ白な髪を持つ彼女の姿だけが、どうしてか淀んで見えた。
その時、淡雪さんの後ろでふざけ合っていた男の子の一人がぶつかり、呆然としていた彼女は転んでしまう。たぶん、わざとじゃなかったと思う。普段の彼女であれば強く非難しただろう。けど今は立ち上がれず、倒れたまま慌てて取りこぼした紙を握る。遅れて靴を履き替えていたクラスメイトらしい子がその脇を通り過ぎる。僕には、笑っているように見えた。
彼女は目立つ。
あれだけ見事な白髪は、黒髪ばかりなこの国ではまず見ない。最近は制服の選択には自由があるとはいえ、やっぱり男子制服をあえて選ぶ人は少ないし、変わり者な印象がある。その上あの口調だ。性格もキツい所があるから、反発を受けるのは当然だったのかもしれない。
一本気と言えば聞こえはいいけど、融通は効かないし他人の都合を考えない。
散々挑まれ続けた勝負の中で、僕だって辟易することはあった。
あぁでも、これは嫌だ。
僕は待った。
今助けに行くのは彼女のプライドを傷付ける。
だから握りこんだ紙を処理し、立ち上がり、靴を手にとった所で近づいた。
「今帰りですか?」
「そうだ」
簡潔で、声から感情は読み取れない。
「これから予定でもあるんですか?」
少し意地の悪い質問だったかも。
淡雪さんはどう答えたものかと考えてる。
僕も考える。
結局、最初に浮かんでいた話を持ちかけることにした。
「勝負、しない?」
※ ※ ※
淡雪さんを連れて教室へ戻ると、藤崎くんが一人で電話していた。
レスリング界のラオウとまで呼ばれた超新星が、教室の隅で隠れるようにケータイを耳に当てている姿は不思議なものがある。
普段、どんな場面でも動揺を見せない彼があそこまで縮こまっているのも珍しかった。電話相手は余程頭の上がらない人なのかも。彼は僕に気づいたからか、それとももう終わる所だったのか、重々しい動きで通話を終了させた。
「またね」
「……あぁ」
貫禄ある頷きを置いて去っていく。
後ろ姿を見送って、もう何度目かになる呟きを漏らす。
「偶然……なのかな」
「なんだ?」
「ううん」
話を切り上げて教室の後ろにあるロッカーからボードと駒を取り出す。
中には似たような遊び道具で一杯だ。このロッカーは、余りの分だからと皆で共有して使ってるものだ。閉める時、淡雪さんが扉の内側に貼ってあった写真を興味深そうに見ているのが分かった。
あんまり遅くなっても駄目だし、構わず閉める。
「で、何をするんだ?」
「チェスはどうかなって」
「……お前、将棋が強かったよな」
嫌そうに淡雪さんが言う。
この前僕が王以外の全部を取って勝った事を言ってるんだろう。それには秘密があるんだけど、彼女へ説明する訳にはいかない。
「チェスは将棋と違って取った駒を使えないんですよ。だから読み易い分、小さなミスが命取りになるんです。で、僕は結構チェスが苦手なんです。コースケにも負け続けだし」
これは本当。
そもそも僕は将棋も大して強くない。眼前の読み合いはやっぱり苦手だ。コースケは凝り性な所があるから、驚く程深く読んで駒を動かしてくる。目先か、盤上の外か、そんな思考の僕じゃあ敵わない。
「まあいい。口車に乗ってやろう。だが、一つ条件がある」
「ん……なに?」
いつも僕の条件を丸呑みする彼女にしては珍しい。
淡雪さんはさっき僕が開けたロッカーから対局時計を取り出した。左右にボタンがあり、片側を押すと反対にある時計が進むもので、一手打つ度に自分の側のボタンを押して相手へバトンタッチするものだ。誰が持ち込んだかはしらないけど、ちょっと本格的なもので、細かい設定も出来る。
持ち時間、持ち時間が終わった後の制限時間、対局開始からの総合時間なんかがデジタルに表示される。
「将棋の時、お前はやたらと時間を掛けていたからな。下校時間までには終わらせたい」
「ん~」
確かに熟考する時間がないのは辛い。
即応性の高い淡雪さんにとって有利な条件と言えた。
うわぁ、どうしよう、気が変わりかけてきた。
「どうした。私が黒を持ってもいい」
「……うん。それでやろう」
僕はチェスのルールや駒の動きなんかが書かれたボードを淡雪さんに渡し、ベランダに出た。通話偽装をしてケータイを耳に当てる。
『へっへっへ、お嬢、またやるんですかい?』
「どこで覚えたんですかそんな小物っぽい口調」
『最近シズクが色んな映画を見てますので、私も一緒に。最近は極道モノが多いみたいで』
「見る作品については一度保護者の方とご相談する必要があるようです」
『それで、今度はチェスですか。いいですね、将棋とは違って型に嵌めやすく計算が楽です』
圧勝の理由はコレだった。
ミュウの言葉は僕にしか聞こえないし、解析なんかにすぐれた彼女であればそうそう負けたりなんてしない。ボードゲーム以外でだって、元々は戦闘のサポートまでしていた彼女だ。かなり役立ってくれた。
卑怯だとは思うけど、彼女は勝負にノーリスク、僕は人生終了という理不尽な前提を考えれば許して欲しい。僕はこの学校を卒業したい。
「今回はいいよ」
返答までには間があった。
『負けるつもりですか?』
「素直に勝負してみます」
これまで散々汚い手で勝ってきた癖に、とは思うけど。
「そんな気分なんです」
『退屈です』
「こらこらこら」
『彼女は敵ですから、私はツバサの方針に賛成でした。ふふふ、何も知らない敵を反則技使って倒すなんて楽しいじゃありませんか』
「僕別に楽しんでた訳じゃないですよ」
本当ですよ?
「まあ、負けたらその時は……あぁ…………どうしようかな」
『悪手が出そうになったら警告しましょう、えぇ』
「ミュウ」
『はい』
「これから二時間くらい、僕の周辺観測するの禁止ね」
『ひどいです。私の楽しみを奪うなんて』
居て貰うと決意が揺らぎそうだ。
折角自分で気に入った判断が出来たのに、お利口な思考で汚したくない。
欠伸をして、教室へ目を向ける。
淡雪さんは真剣な表情でボードを熟読しているようだった。
『居眠りして時間切れ、なんてことにはならないように』
「気を付けます」
それきり、ミュウからの声が途切れた。
淡雪さんの飲み込みを待って、僕は席についた。
「賭けの条件を一つ、変えませんか?」
「ん、なんだいきなり」
「僕が負けたらこの眼鏡を取る。勝ったら今は諦める、ですよね」
今回チート行為は無しだ。なら、賭けの条件も対等にしよう。
「僕が勝ったら、淡雪さんは女物の制服を着てくるというのはどうです?」
「ふざけるな。あんなヒラヒラしたもの着れるか」
ドレスは着てたよね。
まあアレは戦闘用だから、っていう考えなのかな?
「でも、賭けの条件が不釣合いです。この場は諦めても、また結局勝負を挑んでくるんですから」
「ふむ……」
「お互いにリスクがないと」
「……ほう?」
淡雪さんの口元が楽しそうに歪む。
あれ、僕なにか失言した?
「貴様のその眼鏡を取るのが同等のリスクだと?」
反対側だと眼の見えない眼鏡で助かった。
でなければ動揺が完全に見抜かれる所だった。
けど僕の動揺や心配なんかを、淡雪さんは見事に置き去りにした。
「貴様も負けたら女装して学校へ来い」
「はあ!?」
っと…………とにかく落ち着こう!
思わず立ち上がっていた僕は深呼吸をしてから席に座る。
「それで対等だろ」
「いや、僕がそれをするのと淡雪さんがするのとじゃ全然違いますって」
「私も同じくらい嫌だ。いやむしろ私の方が嫌だな。お前は十分似合いそうじゃないか。目元は見えないが、髪も長くて綺麗だ。身体つきも十分に華奢だしな」
「だから僕は男なんですってば!」
一生懸命反論したけど淡雪さんは取り下げるつもりがなさそうだった。
彼女は説明書きのボードを隣の席に置き、対面に黒を並べ始めた。
駒も石を削った本格的なものだ。なんでクラスにこんなのがあるんだろう。
「じゃあはじめるぞ。お前が先手だ」
持ち時間は二十分。終わったら一手二分。
終盤の複雑化した状況を読むにはかなり短い。勝っていてもうっかりキングの配置を間違えればチェックメイトもありうるんだ。ミスは出来ない。
やわらかな陽の光に包まれながら、遠く喧騒を感じる。
頬を撫でる風がとても心地良かった。
僕は欠伸を小さく噛み殺す。
淡雪さんの小さな手が対局時計を押し、カウントダウンが始まった――




