1.リリの気まぐれ
アーツ・ウィリアムズが生まれて初めて「結婚」という言葉を聞いたのは、7歳の春の事だった。
プンダリス公爵の領地は、バンドラ王国の南西に広がるなだらかな丘陵地帯で、ブドウ畑と牧草地が地平線まで続くのどかな土地だ。
アーツの父グレン・ウィリアムズ男爵が、この豊かな公爵領の土地管理を任されてから10年。ウィリアムズ家はささやかながらも平和な暮らしを送っていた。
そして、この平和は脆くも崩れ去るのだが、きっかけは庭園でおきた。
「あなた、名前は?」
アーツは振り返った。庭師の手伝いだといって庭で土遊びをしているらしい兄のラルフがうらやましくなって、ようやく連れてきてもらったばかりだった。
振り返った先にはフリルたっぷりのワンピースを着た女の子が腰に手をあてて立っていた。金髪の巻き毛がふわふわで物語に出てくるお姫様みたいだった。
「アーツです」
「何歳?」
「7歳」
「私と同じね!」リリは何やら満足そうな表情を浮かべて、
「決めたわ。あなた、私と結婚しなさい!」
アーツはくりくりの琥珀の瞳をきょとんとさせたあと、パチリと瞬きをした。
「……、けっこん?」
「そうよ。今すぐね!」
その日の夜、アーツの父は公爵に呼び出された。
神妙な顔で帰って来たと思ったら、母を連れて書斎にこもって出てこない。
兄とふたり、なにやらいつもと様子が違うと不安になりながらも子供部屋でベッドに潜りこんだ。
「兄さま、けっこんって……」
「大丈夫だよ。結婚っていうのは父様や母様のように大人の人がするんだよ。僕らには関係ないよ……」
2歳違いの兄の言葉はしりつぼみだった。
*****
結婚式は一週間後に行われた。公爵家の専用礼拝室で、家族と使用人だけの式。
アーツは真新しい白いシャツに日曜礼拝用の小さくなったジャケットを羽織り、祭壇の前に立った。
隣にはリリが満面の笑みで純白のドレスをまとい立っていた。
神官の長い祈りの言葉の間、キラキラ光るステンドグラスをぼんやり眺めていた。
「誓いの言葉を」と神官に促されたが、ぼんやりしていたアーツは覚えさせられていた言葉が出て来ず、
「えっと、よ、よろしくおねがいします」とだけ絞り出した。
リリは、困った子ね、とお姉さんぶった表情をしながら、
「よろしくてよ」と返してきた。
神官とて、こんな子どもに堅苦しい作法を押し付けるつもりはないのだろう。
「これによりこの結婚は~(中略)~正式なものとなりました」と宣言して式は無事に終了した。
アーツ・ウィリアムズは7歳にして既婚者になったのだった。
*****
とはいえ、結婚したからといって何か変わるわけではなかった。贅を尽くした公爵邸に住むわけでもなく、アーツは相変わらず兄と一緒に子供部屋で寝起きしている。
ただ、変わったのは、公爵邸で勉強をさせられることと、週に一度、公爵邸の庭でリリとお茶をすること。
リリは会うたびに違う遊びを命じた。
「アーツあなた、今日は騎士の役ね。素敵な騎士様は魔法剣を使うのよ。さあ!剣を構えて!」
「今日のあなたは、料理人よ。体調の悪い姫に美味しいスープを作ってもってくるの!」
などなど。
「今日は花冠をつくりなさい。愛する人には素敵な花冠を捧げなくてはいけないのよ!」
上手には出来ないが、必死に花冠を編みながら、
「リリは勉強をしないの?」と聞いた時には、
「わたしには必要ないの!領地のことは男の仕事なのよ!わたしはドレス選びで忙しいし!」と怒られてしまった。
怒りながらも花冠はしばらく頭に乗せていた。
そんなに悪い子ではないのだろう。
ただ、この子には自分の思い通りにならないことは無いんだろうなと、ぼんやりそう思っていた。
*****
翌年の夏、リリはアーツを庭に呼び出した。お茶の日ではないのにと、不思議に思って行くと。
「ねえ、アーツ」
「はい」
「あなたって、平凡で、飽きるわね」
突然、そう言われた。アーツは何も言えなかった。
「離婚するわ」リリはあっさり言い放ち、
「最近は騎士爵のところの男の子が格好いいのよ!」と付け加えた。
離婚だけにとどまらず、その三日後にはウィリアムズ家は公爵家の管理人の職も失い、家財を荷車に詰め込んで追われるように公爵領を出なければいけなかった。
8歳のアーツには何が起きているのかはっきりとは分からなかった。どうして父が仕事をやめなければならなかったのか。引っ越さなければならないのか。
荷台の上で膝を抱えてうずくまるアーツに、家族は、
「心配いらないよ」
「アーツはがんばったわ」
「お前が悪いわけないよ」
そう、励ましてくれた。
ただ、アーツは『平凡で飽きる』と言われた自分自身が元凶だと悟っていた。胸の奥のやわらかい場所に刺さった棘はそれ以降、ずっとそこにとどまることになった。
*****
それから7年。
15歳になったアーツは、王都バンドーの片隅で、ブラニーネ伯爵である伯父様の手伝いをして暮らしていた。
伯父夫婦は念願かなって授かった一人息子を病気で亡くして生きる気力を失っていた所で、妹夫婦が公爵家から受けた仕打ちに一緒に憤慨することでなんとか社会復帰をしたような人たちだ。
兄のラルフとアーツのふたりを可愛がって大きくしてくれた。
両親、特に母様は、生家の牧畜業の指揮をとって名馬を生み出している。非凡な才能があったようだ。
王都に注文馬を届けに来ては、「出産の近い馬がいるからすぐに帰るわ!」といって、風のように去っていく。伯爵家の馬の評判はうなぎのぼりで、「妹に頭が上がらなくなったなぁ」と伯父様は笑っていた。
社交をして、貴族の顧客をみつけてくるのだから、伯父様もすごい!と励ますアーツだった。
そんな伯父様は、アーツの魔法使いの才能もみつけてくれた。知り合いの引退した魔法使いに週に二度も稽古をお願いしてくれた。
問題があるとすれば貴族学校だ。
「おーい、アーツ。今日も奥様は元気か?」
廊下で楽しそうに声をかけてくるのは子爵家の三男だった。後ろでくすくす笑っている者もいる。
「いないよ」アーツは泰然と答えて、通り過ぎるときには、「離婚したからね」と付けくわえた。
「そうだよな!バツイチだもんな!」
「うん。バツイチだね」
あっさり認めて教室に入る。
あっさり認めればこの会話は長引かない。それはこれまでの学習の成果と言える。
アーツは席につきながらため息をつく。長引きはしないが、定期的に誰かしらが、このネタを言ってくる。もはやお約束の挨拶のように。
アーツも最初は動揺して、更に面白がられたものだ。
「政略結婚の失敗は格が落ちるよな~。そんな奴、俺の周りでお前しか知らないぜ?」
「あ、あの、僕は別に政略結婚というわけじゃ……」
「男爵家で公爵家と政略結婚な訳ないよなー」
「おもちゃにされただけだろ?」
「それにさ、男爵で格が落ちたら、もう平民じゃん!」と、こんな感じだ。
別にいい。慣れた。
7歳で結婚して8歳で捨てられた話は、この学校では有名だった。
リリは別のクラスに居るが全く他人のふりで平和に学生をやっている。誰も公爵令嬢をからかったりはしないのだ。
『真実の愛』だの『騎士からささげられる誓い』だの、そんな小説が流行っているらしく、リリも一緒にキャーキャー言いながら楽しそうにしているのを見たときは、流石のアーツもげんなりした。
教室の窓の外では、王都の空が青く広がっていた。
どうせ自分なんか、と思った時、アーツは空を見上げる癖がついた。
広い空を見ると、自分の悩みが少し小さくなる気がする。
気がするだけだけど。




