112. その者は主人公の器ではない
その昔……神楽坂翔琉はエリートだった。スクールカーストの上位にいた。
顔は悪くない……美少年と言っていい。女子にモテた。成績も良かったし、教師からも信頼されていた。将来が約束された勝ち組……自分はこの世界の主人公なんだと信じて疑わなかった。
しかし…………転落した。
カケルの努力を後押ししていた父親にして独裁者……神楽坂修が、その" 権力の座 "から降りてから…………カケルは勉強しなくなった。成績は見る見るうちに落ち、エリートの座から転げ落ちた。
かつては見下していた相手から、軽蔑の目を向けられるようになった。
結果…………神楽坂翔琉は、引きこもった……。
それが…………神楽坂翔琉の引きこもった理由。
誰かにイジメられていたわけでもない。むしろカケル自身が、誰かを見下していた。
バレンタインデーには、いくつもチョコを貰った。貰っていないクラスの不細工な男子を見ては密かに見下していた…………それが神楽坂翔琉という人間だ。
酷い奴……。
ラーメン男や他の引きこもりのように、迫害されていたわけじゃない。
他人の理不尽な振る舞いのせいで引きこもってしまったわけではなく……自分の理不尽な振る舞いのせいで引きこもったのだ。
だから…………不幸なラーメン男が羨ましかった。
ラーメン男には、引きこもる正当な理由があった。
彼は世間から常に迫害されていた……被害者だった。彼だけではない…………ヒキ板のほとんどの引きこもりが過去にイジメられた経験、社会でのパワハラ経験をスレで語っていた。
その度に16歳の未熟な少年は、密かに…………
" いいなあ…… "と思っていた。
なぜなら…………被害者になれるから。
イジメられ……迫害された者には、引き籠る正当な理由がある。
だけどカケルにはそれがなかった。容姿も頭の良さも恵まれていた……親ガチャはともかく、家ガチャは大成功だった。貧乏ではない、子供の頃から海外旅行を何度も経験した。満たされた環境…………。
だから……生まれてからずっと周りに虐げられてきたラーメン男が、羨ましかった。
おれも、イジメられたかった…………。
これがカケルの正直な気持ちだった。
こんなこと、今現在イジメに苦しんでいる者が聞いたら、怒り狂うだろう……口が裂けても言えぬ発言。
しかし………………
満たされた環境で生まれ育った少年はその幸せに気づかず、被害者になることを望んだ。皆から同情される、不幸な人間…………。そうすれば、なんの気兼ねもなく引きこもれるから……。
" 最低だな、お前……! "
カケルの心の中で、" 敵 "が叫ぶ。
揺れる電車内でカケルは、うなだれ落ち込む……。
しかし…………!
心の内から次から次へと言葉が浮かんでは、カケル自身の心をえぐり取る。
イジメを苦にして自殺する奴までいるのに、なんでお前はイジメられたいの?
他人の痛み苦しみがわからない、最低のクズだ、お前は!
だから磯貝さんにも、あんなことができたんだね……!
荒らした向こうが悪いとか、言い訳だよ! やって良い事と悪い事がある!!
……負の感情は、更なる負の感情を呼び寄せる。
磯貝寿美子とのレスバトル……すでに決着はついていたのに、カケルはわざわざ問診票まで持ち出して、一人の女性の尊厳を徹底的に破壊した。
" あんた、処女だよね? 40過ぎてセックスしたことないとか、恥ずかしくないの?wwwwww "
なんて奴だ……!
カケル自身は童貞であり、性行為の経験はない。女性の裸など映像でしか見たことがない。もえとお付き合いを始めたのは数日前で、去年は恋愛経験すらなかった。そんな奴が年上の女性を容赦なく侮辱したのだ。
カケルの内なる声が、さらにカケル自身を責め立てる。
問診票を出した時、" ざまあ~~みろ!! "って思ったろ?
…………出した直後は、たしかにそう思った……。
なにが出した直後は……だ! あとから反省したからいいだろ、みたいな言い方しやがって!!
「…………………………」
カケルは、首の骨が折れたかと思うくらいにうなだれる。
ヒキコモリ板を覗いても、お前より酷い奴なんていない……!
社会から逃げ出した引きこもり達は、お前と違って最低限の優しさは持っている…………優しいからこそ、学校でいじめられ、会社ではいいように使われる。
自分は能力があるんだと思い、人を見下してきたお前とは違う!!
お前はクズだ! さんざ他人を見下し、自分が落ちぶれたら、今度はいじめられたかったと被害者になろうとする卑怯者!
引きこもり以下のゴミ!!
ち……ちがっ!
違わないね! お前よりクズな奴なんて、この世には存在しない……それを認めろ、クズ!!
「違う!」
思わず声を出してしまうカケル……。
「え……?」
隣に座っていた中年女性が振り向き、カケルを見る。
「あ、いや…………」
一瞬だけ隣を見たあと、すぐに視線を……いや、顔を床へと向ける。
声を聞かれた…………。
やばい、バカだと思われてる!
どうしよう……どうしよう…………!!
………………やっぱ、おれは……どうしようもないクズで、バカなんだ……。
揺れる車内……カケルはパニックに陥っていた。
停車駅を告げるアナウンスが流れる……次に停まるのは、薬坂。
カケルは顔を上げ、窓を見る。
田園が広がる薬坂町の風景が、次から次へと窓に流されていく…………。
…………あの窓から飛び降りれば……死ねるかな。
……そうだ…………おれみたいなクズ、…死ねばいいんだ。
カケルの目には、自然と涙が溜まっていた……その涙を拭うことなく立ち上がると、ふらふらと窓へと向かう……。
電車が減速し始め、再びアナウンスが流れる。
「……電車が完全に停止し扉が開くまで、お座りのお客様は席をお立ちにならないようお願いいたします」
「うわっ……!」
立ち上がったカケルはバランスを崩し、床に倒れる。
「あなた、大丈夫……?」
カケルの隣に座っていた女性が駆け寄り、声をかける。
反射的にに振り向くカケル……その目からは、溜まっていた涙がこぼれ落ちた。
「……どうしたの?」
女性は心配そうに話しかける。
「あ、えっと…………なんでもないです!」
そう言ってカケルは涙を拭きながら立ち上がると、逃げるように別車両へと移動する…………が、仕切扉を開け損ねて、頭を扉にぶつける。
「いってえ……」
振り向かなかったが、後ろに視線を感じていた……。
心配、同情、なにこの人……? という不可思議、不愉快な視線…………。
まだ走っている電車内でカケルは扉を開け、隣の車両へと逃げた。隣に逃げたあとも、また隣へと逃げた……。なんの意味のない行動だが、とにかく逃げたかった……今そこに居る場所に踏みとどまらず、逃げたかった…………。
電車が次の停車駅に停まった時……カケルは運転席のある先頭車両まで移動していた。正確に言えば運転席への扉をも開けてしまい、運転士から" なんだ、おい……! "という顔で見られた。恥ずかしかった……。
車両のドアが開き、薬坂駅から乗客達が車内に入って来る。
人、人、人……!
車内の座席は全て埋まり、吊革に掴まる人も多くいた。蒼駅を出発した時に比べて、車内は乗客で溢れている。
人が溢れる車内に引きこもり少年は、今にも発狂しそうな表情で立っていた……。車両のドアが閉まり、アナウンスが流れる。
「次は、城之谷……城之谷に停まります。御殿山へ向かう方は、お乗り換えです」




