百五十一・それぞれの決意
黒炎に包まれた玉座の間。
空間そのものが歪み、闇が蠢いている。
その中心で、ひとりの男がゆっくりと目を開いた。
紅の瞳が、遠い戦場の残滓を見据える。
「……この修羅の舞台に、余計な影が紛れ込んでいるな。」
低く、よく響く声。
それは魔王ゼクス。
唇の端に薄い笑みを浮かべながら、
指先で黒い杯を転がす。
「面白い……。
聖王、覇竜、そして“終焉”。
この時代は、ますます愉快になってきたな。」
闇が揺れ、玉座の間に嗤うような残響が広がった。
ゼクスは口元に笑みを浮かべた。
その笑いは楽しげでありながら、底知れぬ冷たさを孕んでいる。
「……だが――何者か、調べる必要があるな。」
低く響く声が、玉座の間に波紋のように広がる。
指先で杯を傾け、闇の液体がぽたりと床に落ちた瞬間、
そのしずくさえも黒い炎となって燃え上がった。
ゼクスの瞳が、闇の向こうに見えぬ標的を映す。
「終焉の魔人……
どれほどの“終わり”を見せてくれるか――楽しみにしているぞ。」
玉座の間が嗤う。
その声は、まるで世界の底から響く悪意の旋律だった。
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襲撃を受けた翌日。
俺は城へ戻っていた。
崩れた森の景色が、まだまぶたに焼き付いて離れない。
どこか焦げた匂いが服に残っている気がして、
何度洗っても取れそうになかった。
「はぁ……これから闘いが始まるのか……」
窓の外、まだ朝靄の残る街を眺めながら小さく呟く。
静けさが逆に、胸の奥をざわつかせた。
リリスやミレオナの顔を思い浮かべる。
きっと、もうすぐ――全てが動き出す。
突如、ドガァァァン!! と、扉が吹き飛ばんばかりの勢いで開いた。
「び、びっくりしたぁ!!」
思わずベッドの上で跳ねる。
さっきまでの静寂が一瞬でどこかへ消えた。
「ヒナタッ!! いつまで寝てる気だ!!」
そこには、焦ったような表情の紫苑が立っていた。
髪は乱れ、額にはうっすら汗。
ただ事じゃない雰囲気をまとっている。
俺は慌てて身支度を整えると、紫苑の後を追って談話室へ向かった。
廊下を走り抜けるたびに、兵士たちのざわめきが耳に入る。
どうやらただ事じゃない。
扉を開けると、勇者一行と城の上層部が集まっていた。
空気が重い。誰もが緊張した顔で前を見据えている。
話はこうだ。
――勇者一行が、魔王討伐に出発する。
「……まさか、本当に動くのか」
胸の奥がざわつく。
早すぎる。
まだ、準備も整っていないはずだ。
紫苑の拳が小さく震えていた。
談話室の中は、ざわめきに包まれていた。
「勇者様たちが……ついに動かれるのか……!」
「ま、まじかよ……魔王討伐なんて、まだ早ぇだろ……」
「いやでも、聖王様のご命令だって話だぜ?」
「おいおい、あの魔族ども相手に勝てるのかよ……」
兵士や文官たちの声が入り乱れ、
希望と不安が渦巻く。
そんな中、俺は人混みに紛れ、
ひとりのモブとして口を開いた。
「――今、旅立つという意味が……分かっているのか?」
その声は、かすかに震えていた。
誰も振り向かない。
けれど、あの勇者たちの背中だけが、
まっすぐ前を向いていた。
勇者たちは――行ってしまった。
誰もがその背中を見送ることしかできなかった。
扉の向こうに消えていく足音が、
やけに遠く、やけに静かに響く。
きっと、もう戻れない戦いになる。
そう分かっていても、誰も止められなかった。
俺も……その一人だ。
拳を握りしめても、何もできない。
「……これで、本当に始まるんだな。」
誰に聞かせるでもなく、
呟いた言葉が、重く沈んだ空気に溶けていった。
何故だ……。
何故そんなに急ぐ。
確かに、今もどこかで見ず知らずの民が襲われている。
その痛みも、無力感も、分かる。
だが――聖王の助言を無視してまで、
なぜ、そこまで焦る必要がある。
一体、何を考えているんだ……。
胸の奥が、焦りと苛立ちで焼けるように熱い。
“勇者”という言葉の重さを、
あいつらは……本当に分かっているのか。
胸の奥で、何かがくすぶっていた。
焦燥か、怒りか、それとも……恐怖か。
窓の外では、朝日がゆっくりと昇っていく。
薄紅に染まる空が、やけに遠く感じた。
「……結局、止められなかったな。」
小さく呟いた言葉は、空気に溶けて消える。
けれど、心の奥には確かな決意が残っていた。
あの愚かで、まっすぐな勇者たちが向かう先に――
何が待つのか、俺は知っている。
だからこそ、もう立ち止まるわけにはいかない。
「……行くか。」
新しい風が城の窓を通り抜け、
その一陣が、まるで“始まりの合図”のように頬を撫でた。
――世界は、再び動き出す。




