93.夏の兆し
「行ってきます」
「気をつけてね、キャシー」
陽射しが徐々に強くなり、夏の兆しを感じ始めた頃。私は母に見送られ、馬車に乗り込もうとしていた。
「いつ帰ってくるの?」
「三ヶ月くらい経ったら、かしら」
そう答えると、リアンが不安げに眉尻を下げる。
私はこれから暫く、別荘で「謹慎」するのだ。
あの事件の後、捕らえられた悪漢から、いろいろな情報が得られたと言う。それによれば、やはりオーウェンの命を狙っていたのは、タマロ王国の手の者だったということ。芋蔓式に、弓を射かけてきた者も、唆した者も見つかったという。
そもそもタマロ王国の間者を手引きしたのはエリーゼであり、ブランドン侯爵であったため、彼らは国内での地位を剥奪されることになったそうだ。それに伴い、タマロ王国との貿易も停止。オーウェンの命を狙う者は、実質、この国から排除されたと言えよう。続編への道は、なくなった。私の目的は、ここにひとまず達成されたのである。
だとしても、私が国家の一大行事に勝手な判断で乗り込んだのは事実だった。いくらオーウェンの命を救ったと言っても、お咎めなし、という訳にはいかなかった。
「いってらっしゃい」
渋々と、小さな声で言うリアンに、手を振って返す。
私は、これからミルブローズ公爵領にある別荘に赴き、社交界から離れて、落ち着いた生活を送ることになっている。華やかな王都から離れ、「謹慎」するのだ。……表向きは。ミルブローズ公爵領には、まだ嫁入り前のセシリーがいる。実際のところ、私は友人と会いながら、ゆったりした時間を過ごすことになる。
「お待たせ致しました」
「こちらこそ……急かしてしまったようで、申し訳ありません」
「そんなことないわ」
楽しみなのは、セシリーとの時間だけではない。
今回の謹慎は、共に騒動を引き起こした、エリックと一緒だ。彼も、オーウェンの命を救ったとはいえ、王家に仕えるべき騎士という身で、勝手なことをしたのは事実である。彼は暫く騎士としての活動を自粛し、王都から離れ、謹慎する。行き先は、ミルブローズ公爵領。奇しくも、私と同じであった。
晴れて「婚約者」となったエリックは、当たり前のように、馬車に乗り込んだ私を抱き寄せ、挨拶のハグを交わす。こんなことをしても、もうノアは叱らない。おかげさまで、私とエリックは、漸く相応の関係性を得ることができた。
「じゃあ、また」
見送りの家族や使用人に軽く挨拶をして、屋敷を出た。窓の隙間から、夏草の匂いが入り込んでくる。季節は移ろいつつある。続編に悩まされていたあの頃も、もう過ぎたことだ。
「エリック様とゆっくり過ごせるのが、楽しみですわ」
隣に座る彼を見上げて言う。きらきらと輝く銀髪、整った顔立ち。
「俺の方が、楽しみにしていますよ」
そして、いつも変わらない、優しい声。肩を引き寄せられ、エリックのがっしりした胸元に頭を預ける。
続編の世界から逃れ、ここからは、完全に新しい世界が始まった。これから何が起こるかは、誰にもわからない。
その先に、私の望んだ平穏が、いつまでも続くように。私は私の手で、これからも信じる道を切り開いて行くのだ。
終/お読みくださり、ありがとうございました。
ここで一旦完結と致しますが、その後・こぼれ話などを載せる場合は、またこの続きに掲載していきます。