クダンムーン⑦
年が明けて3月。
俺と木場先生、陽菜ちゃん、そして仲町くんの4人は葛西牧場を訪れていた。
仲町くんって誰かって?
1月に九段商事から九段レーシングへ転籍してきた23歳の新入社員だ。
今日は彩夏さんが東京でお留守番。
なぜ社員1人だった九段レーシングが2人体制になったのか。
きっかけは、彩夏さんの結婚だった。
◇◇◇
最初に報告された時は驚いた。
彩夏さんも、まさか自分が結婚するとは思っていなかったらしい。
もちろん、俺は素直に祝福した。
ところが、その後だった。
「祝っていただけるのは嬉しいですが、今後も考えてください」
「今後?」
「結婚した以上、今後子どもができる可能性もあります。現在、妊娠はしていませんが、いずれは子どもを持ちたいと思っています」
「子ども?良いんじゃない?」
「……私が産休・育休を取る間、この会社どうするんですか?」
「あっ」
九段レーシングの就業制度は九段商事に倣っているので、その辺はしっかりしている。
「どうしよう?」
「申し訳ないのですが、増員を検討していただけないでしょうか。今後は所有馬も増えるでしょうし、繁殖牝馬も今の1頭だけとは限りません。SNSの運用など、新しい業務も増えています」
「に、兄さんたちに相談してみるよ!」
そうして大司兄さんと智也兄さんに相談し、白羽の矢が立ったのが仲町くんだった。
◇◇◇
今日、葛西牧場を訪れた目的はクダンムーンの初仔を見るためだ。
木場先生と、前々から見たいと言っていた陽菜ちゃんを誘い、仲町くんにも同行してもらった。
「皆さん、いらっしゃい」
葛西さんがにこやかに出迎えてくれる。
挨拶もそこそこに、クダンムーンと初仔のところへ案内してもらった。
「ムーン!」
陽菜ちゃんが真っ先に駆け寄る。
俺も一足遅れて仔馬の前まで行き、その瞳を見た。
「あっ」
みんなの視線が集まる。
「どう?」
もう一度、仔馬の瞳を見る。
「B判定……かな」
「……そう」
「本当に見えるんですね。他の仔馬も見てもらおうかな」
「止めておきましょう。俺がいい馬ばかり庭先で買っていたら、葛西さんも困るでしょう」
「セリでしか買わないのは、そんな理由があったんですね」
仲町くんが頷いている。
「どうするの?」
陽菜ちゃんが仔馬を見ながら訊ねた。
「ムーンみたいには走らないってわかってても、この仔は持っておくの?」
「もちろん。クダンムーンの子どもは全部所有するし、できれば木場先生に預かって欲しい」
「ウチでよければ、ムーンの仔は預からせてもらいますよ」
「私はまだ九段さんの目について半信半疑なんですが、それなら今年の種付けはどうしましょうか?」
葛西さんに訊かれ、考える。
ここが配合の難しいところだ。仮に良い配合であったとしても、全兄弟で能力が違うなんて珍しくない。
次の相手を変えるか、同じ方向を狙うか。繁殖牝馬が一生に産める子どもの数にも限りがある。
「付けさせてもらえるなら、トロッケンでお願いします」
トロッケンは、昨年の配合相手だったトスカーナと同じブレイヴハート産駒。
以前から候補に挙がっていた1頭だ。
「はい。しかし、そうするとまた彩夏さんに怒られそうですね」
「素直に怒られますよ」
本音を言えば、木場先生だって、自分が管理していたクダンアイズとクダンムーンの組み合わせは試してみたいはずだ。
葛西さんも、トロッケンやトスカーナと同じぐらい面白い配合だと言ってくれた。
でも、いかんせんクダンアイズは種牡馬としての実績が足りなかった。
◇◇◇
俺と陽菜ちゃんは、並んでクダンムーンとその仔を見ていた。
「陸さんの力って、残酷だよね」
「……ああ」
「生まれた次の瞬間、ムーンみたいな馬にはなれないって烙印を押されてしまうんだよね」
「ああ」
それ以上、言えることはなかった。
俺たちは言葉を交わさず、2頭のそばに立っていた。
仔馬がクダンムーンの腹へ鼻先を寄せる。
その可愛さにB判定もS判定もない。
しばらくして、陽菜ちゃんが口を開いた。
「ねえ、陸さん」
「何?」
「彩夏さんが結婚して残念だった?」
「何で?」
「だって、彩夏さんって美人だし、仕事もできるし――」
「陽菜ちゃんにそれ聞かれる方がショックだよ」
「え?」
クダンムーンとその仔から、陽菜ちゃんへ視線を移した。
「俺と付き合って欲しい。できれば、結婚を前提に」
陽菜ちゃんは、俺の顔を見たまま、少しの間何も言わなかった。
「……うん。いいよ」
俺たちはまた、クダンムーンとその仔を見る。
さっきと同じように並んでいる。
ただ、今度は少しだけ肩が触れていた。




