マドナーヤク
クダンムーンの故障から、俺は自分の目について考えるようになった。
まず、瞳の輝きはその馬の今の強さを表しているわけじゃない。
考えてみれば、おかしな話だった。
クダンムーンの瞳は、1歳の頃も桜花賞の前も同じように輝いていた。
1歳のクダンムーンと、成長した3歳のクダンムーンが、同じ強さだったはずがない。
俺が見ているのは、少なくとも「今の強さ」ではない。
もう1つ。
疲れているのか。調子が良いのか。故障しそうなのか。
そういうことも、俺の目ではわからない。
俺の能力は、万能じゃなかった。
◇◇◇
それからは、美浦だけでなく栗東のトレセンや育成牧場にも、よりこまめに顔を出すようになった。
馬を見る。気になることがあれば、調教師や厩務員に訊ねる。
以前なら瞳の輝きだけで済ませていたが、今では馬体や性格、普段の様子なんかも気にするようになった。
美浦へ行けば、陽菜ちゃんと顔を合わせることもある。
「お疲れさまです、オーナー」
「……お疲れさま」
もう「陸さん」とは呼ばれない。
2人で食事に行くどころか、目を合わせて話すことがなくなっていた。
何を言えばいいのか、俺にはまだわからなかった。
夏の1歳馬セールが近づくと、彩夏さんの用意してくれた資料を読み込んだ。
血統表。
生産牧場。
近親馬の戦績。
以前ならろくに読もうともしなかった情報が、今では無視できないものに思えた。
◇◇◇
夏の1歳馬セール。
今年も現地で木場先生と合流した。
比較展示が始まる前に、俺は前から訊きたかったことを口にした。
「クダンアイズ、クダンロード以外にも、セリで爺ちゃんに勧めた馬が2頭くらいいました」
「覚えています」
「でも爺ちゃんは、予算が足りないからって買おうとしませんでした」
木場先生が少し間を置いた。
「桜花賞のあと、先代とも話しました。陸さんにきちんと話しておけば良かったと」
「やっぱり、予算の問題じゃなかったんですね」
「そうです。気性、骨格、肢勢。見るべきものはたくさんあります。陸さんに見えているものは私にはわかりません。でも、仕上がりやすい馬なのか、競走に前向きな馬なのか。私たちに見えているものもあります」
「……話していただき、ありがとうございます」
「でも社長の見えているものが、九段レーシングにとって大きな武器であることは変わりありません」
彩夏さんが横から言った。
「信じてくれるの?」
「一昨年に購入した現3歳馬3頭は、すべて勝ち上がっています。通算では現時点で5勝。JRAでは勝ち上がれずにターフを去る馬の方がずっと多いんです。現2歳馬たちも、育成牧場での評判は上々です」
彩夏さんが俺を見る。
「偶然では片づけにくい結果が出ています。だからしゃっきりしてください」
「……ありがとうございます」
「それと陸さん」
木場先生が続けた。
「陽菜とも、そろそろちゃんと話してやってもらえませんか。父親が口を出すことじゃないんでしょうけど」
こういう時、なんて返せばいいんだろう。
◇◇◇
比較展示が始まった。
俺がSかAに分類した馬を、彩夏さんに控えてもらう。
その中で、1頭だけ明らかに強く輝く馬がいた。
「25番はスタート価格2500万か。無理すれば届く?」
今年、俺が唯一Sに分類した1歳馬だ。
「クダンムーンを繁殖牝馬として残した分、今年は購入に回す予算を絞っていることを忘れないでください。25番を買ったら、他が買えなくなる可能性が高いです」
「気性が荒そうだったのも気になるんだよな。良い方に出ることもあるんだろうけど」
木場先生が眉を寄せた。
「あとで馬房を訪ねてみましょう。ただ、大型馬のわりに蹄が小さい。それと、オフセットニーもありそうでした。あまり印象は良くありません」
◇◇◇
個別馬房で25番をもう一度見た。
瞳は強く輝いていたが、確かに膝から下の脚が外へ向いている。
「仕上げられないとは言いません。ただ、本当に陸さんが言うだけの能力がある馬なら、調教でもレースでも相応の負荷がかかります。この脚元で、それに耐えられるかは気になります」
以前の俺なら、買ったかもしれない。
S判定なのだから、走る。
それだけで十分だと思っていた。
「……やめましょう」
結局、25番は見送り、手頃なA判定馬を2頭競り落とした。
ただ、25番がこの先どうなるのかは見届けようと思った。
◇◇◇
25番は後に、マドナーヤクと名付けられた。
新潟2歳ステークスを3馬身差で圧勝し、一躍クラシック候補として取り上げられることになる。
だが3歳春、調教中に骨折。
春のクラシックを棒に振った。
秋に復帰したあとも順調さを欠いたが、それでもローカル重賞を1つ勝った。
やっぱり、強い馬だった。
それでも俺は、25番を見送ったことを後悔しなかった。




