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第一話 「人になれ」

雨の音だけが、静かに部屋を叩いていた。


五条会本家。

組長室。


畳の上に正座した少年は、ただ黙って刀を見つめていた。


血のように赤い刀身。


母の形見。


その前に座る男――五条真人は、煙草を咥えたまま口を開く。


「……明日から学院だ」


低く、気怠げな声。


少年――五条真昼は静かに目を上げた。


「天女学院、だったか」


「あァ」


「何故、今更学校など」


真人は答えない。


代わりに、机の上へ一通の封筒を投げた。


古びた紙。


女の字。


真昼は一瞬だけ目を細める。


「……母上の」


「遺言だ」


部屋が静まる。


真昼は封を開いた。


『真昼へ。


どうか、天女学院へ通ってください。


あなたには人として生きてほしい。


刀は、私だと思って持っていてください。』


そこで文字が滲んでいた。


真昼はしばらく黙ったまま、紙を見つめる。


やがて。


「……人」


小さく呟いた。


その言葉の意味すら分からないように。


真人は煙を吐き出す。


「昼花は最後まで甘かった」


「お前みてェな化け物捕まえて、人になれだの何だのと」


真昼は何も言わない。


ただ静かに刀へ触れる。


赤い刀身に、自分の蒼い瞳が映っていた。


「……行けばいいんだな」


「あァ」


「女装までして」


そこで初めて、真人の口元が僅かに歪む。


「似合ってたぜ」


「…………」


真昼は無言で立ち上がった。


そのまま障子へ向かう。


だが、出る寸前。


「父上」


「あ?」


「天女学院とは、どんな場所だ」


真人は少しだけ黙り込んだ。


閉じた右目。


開いた左目だけが、遠くを見る。


「……くだらねェ場所だ」


「退屈で、騒がしくて」


「――人間ばっかいる」


真昼は意味が分からないという顔をした。


そのまま部屋を出ていく。


襖が閉まる。


静寂。


しばらくして。


真人は机の引き出しから、一枚の写真を取り出した。


柔らかく笑う女。


五条昼花。


真人は煙草を灰皿へ押し潰す。


「……送り出したぜ、昼花」


誰もいない部屋で呟く。


「あのガキ、お前そっくりになりやがった」


写真を見つめる目だけが、少し優しかった。


「……人になれると思うか?」


雨の音だけが続く。


その頃。


真昼は自室で鏡を見ていた。


黒髪の和風ボブ。


白い肌。


蒼い瞳。


そして。


胸元には、不自然な膨らみ。


「…………」


沈黙。


コンコン、と扉が鳴る。


「真昼ー? 入るよー?」


返事も待たずに飛び込んできたのは、柊乃亜だった。


「うわ、まだ慣れてない顔してる」


「息苦しい」


「パッドなんだから我慢しなさいって」


乃亜はケラケラ笑いながら真昼の髪を触る。


「いやぁでもほんと綺麗だねぇ。下手したら学院で一番かも」


「意味が分からん」


「それ、学院入ったら毎日言われるからね?」


真昼は鏡を見る。


そこに映るのは、“五条真昼”ではなかった。


月夜真昼。


天女学院へ通う、一人のお嬢様。


「……理解できん」


「何が?」


「何故、女という生き物は髪を触りたがる」


乃亜が吹き出した。


「ははっ! なにそれ!」


真昼は真顔のまま続ける。


「距離が近い。声も高い。よく笑う。理解不能だ」


「そのうち慣れるって」


乃亜は笑いながらベッドへ倒れ込む。


「ま、頑張りなよ月夜様?」


「その呼び方はやめろ」


「えー、絶対みんなそう呼ぶって」


真昼は再び鏡を見る。


月夜真昼。


知らない名前。


知らない人生。


だが。


母は、自分に“人になれ”と言った。


ならば。


この学院に、その答えがあるのだろうか。


真昼は静かに目を閉じる。


赤い刀だけが、静かに月明かりを反射していた。

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