一話「建設作業員、異世界へ転生する」
耳鳴りがする。
視界は揺れ、全身から力が抜けていく。
薄れていく意識の中で、最初に目に入ったのは、呆然とこちらを見つめる幼い少女の姿だった。
大きく見開かれた瞳。
何が起きたのか理解できていない顔。
その少女へ、慌てた様子の女性が駆け寄る。
母親なのだろう。少女を強く抱き締めた瞬間、堰を切ったように泣き声が響いた。
___ああ、無事だったか。
その光景を見届けて、胸の奥から安堵が込み上げる。
「に、兄ちゃん……!? 大丈夫か、おい!! 誰か救急車!!」
誰かが叫んでいる。
駆け寄ってくる男の姿がぼやけて見えた。
大丈夫だ、と返そうとしたが、喉が動かなかった。
代わりに、熱い液体が口から溢れる。
「……っ」
吐血。
そこでようやく理解する。
___ああ、これ駄目なやつか。
昔は喧嘩ばかりしていた。
意識を失うまで殴り合った事もあるし、鉄パイプで殴られて立ち上がった事もある。
だが、猛スピードの車に跳ね飛ばされるのは、さすがに勝手が違ったらしい。
「ごめんなさい……! 本当に、ごめんなさい……! 娘を助けてくれて、ありがとうございます……!」
少女を抱き締めたまま、女性が何度も頭を下げている。
けれど、その声も次第に遠くなっていった。
音が消えていく。
視界も暗くなっていく。
だから俺は、せめて安心させようと、最後に笑った。
そこで意識は途切れた。
享年二十七歳。
久城海斗。
それが、地球での俺の名前だった。
◇
次に目を覚ました時、俺は真っ白な空間に立っていた。
「……どこだ、ここ」
病院かと思ったが違う。
床も、壁も、天井も。
視界に映るもの全てが白一色だった。
「ここは転生の間じゃよ」
背後から声が返ってくる。
振り返ると、そこには一人の老人が立っていた。
白い髭を蓄えた、小柄な老人。
布地のローブを纏い、いかにも“それっぽい”雰囲気を漂わせている。
「儂は転生神じゃ」
「……は?」
思考を読まれた事よりも、その名乗りのインパクトが強すぎた。
「神様って事は……俺、やっぱ死んだんですね」
「うむ。見事にぽっきり逝ったのう。いやぁ、しかし躊躇なく飛び出した時は驚いたぞい」
「……ああ」
あの時の事を思い出す。
飛び出した少女。
迫ってくる車。
考えるより先に体が動いていた。
「別に、大した事じゃないですよ。気付いたら動いてただけなんで」
「無意識でそれが出来るのが大したもんなんじゃがな」
老人___転生神は、感心したように何度も頷く。
「ふむ。やはりお主で正解じゃな」
「……何がです?」
問い返しても、神様は意味深に笑うだけだった。
「まあよい。お主にはこれから異世界へ転生してもらう」
「異世界」
「剣と魔法の世界じゃよ」
その単語に、思わず苦笑する。
以前、会社の後輩に勧められて何本かアニメを見た事がある。
確か、ああいう作品でよくある設定だ。
「なるほど。あれか」
「話が早くて助かるわい」
神様は満足そうに頷いた。
「では転生前に特典を授けよう。何か欲しい能力はあるかの?」
「能力か……」
少し考える。
そして真っ先に浮かんだのは、事故の瞬間だった。
「……頑丈な体、ですかね」
「それは最初から付けておる」
「え?」
「『健康体』じゃ。病気知らず、疲労耐性強化、成長補正付きじゃな」
さらっととんでもない事を言われた。
「じゃあ『鑑定』とか『アイテムボックス』とか……」
「それも付与済みじゃ」
「マジか」
テンポが良すぎる。
というか、この神様、完全に心を読んでいる。
「魔法知識とか剣術とかは?」
「その辺は現地で覚えればよかろう。お主なら問題なく伸びる」
「それ、十分チートでは?」
「最近の若い転生者はもっと盛るぞい」
時代についていけない祖父みたいな口調で言うな。
「うーむ……他には特に思いつきませんね」
「なんじゃと!? 神剣とか究極能力とか欲しくないんか!?」
「いや、身に余るんで……」
正直、普通に生きられるだけで十分だ。
だが神様は露骨に困った顔をした。
「困るんじゃよなぁ……」
「何がです?」
「四姉妹に尻拭いさせた件を誤魔化せなく___おっと」
空気が止まった。
「……神様?」
「何も言っとらん」
「いや今めちゃくちゃ気になるワードが」
「聞き間違いじゃ」
「絶対違うだろ」
「ええい面倒じゃ! ならこれも付けておくぞい!」
神様が杖を掲げる。
瞬間、俺の体がふわりと浮かび上がった。
「ちょ、待っ___」
「『神技昇華』じゃ! サービスしておくぞい!」
「名前からして嫌な予感しかしないんだが!?」
足元から光が溢れ始める。
これ、もう転生始まってないか?
「説明とかまだ何も___!」
「剣と魔法の世界じゃ!」
「そこは聞いた!」
「肉体年齢は十五歳相当に調整しておる! あとは自由に生きるがよい!」
「文明レベルとか言語とか他にもあるだろ!?」
「なんとかなる!」
「雑すぎる!!」
すると神様は、ふと思い出したように呟いた。
「まあ、おやつタイム中に誤って選外指定の異世界人を転移させてしまった件も、これで許してもらえるじゃろ」
「おい今なんて___」
最後まで言葉は続かなかった。
視界が白く弾け、そのまま意識が途切れる。
◇
再び目を開けた時、俺は巨大な樹の根元に倒れていた。
「……ったく」
上体を起こしながら、思わず悪態が漏れる。
「あの爺さん、最後だけ急ぎすぎだろ……」
とはいえ、今さら文句を言っても仕方ない。
立ち上がり、まずは自分の姿を確認する。
服装は事故当時のまま。
ニッカポッカの作業着に安全靴。
ポケットを探れば、財布、スマホ、鍵ケース。
内ポケットにはライターと煙草。
腕には使い慣れた時計まで残っていた。
財布を開く。
「……まあ、日本円だよな」
異世界で使えるとは思えない。
神様に頼めば換金くらいしてくれたのかもしれないが、今さらだ。
「しゃあない」
気持ちを切り替え、今度はスキルの確認を始める。
意識を集中すると、半透明のウィンドウが視界に浮かび上がった。
「おお……」
草花へ視線を向けると、名前と詳細情報が表示される。
『薬花草』
『精霊蝶』
どうやら『鑑定眼』は、かなり便利なスキルらしい。
「ゲームみたいだな」
少しテンションが上がる。
続いて『次元収納』を試す。
空間に穴のようなものが現れ、試しに財布を放り込むと、そのまま吸い込まれた。
「うわ、便利」
意識を向ければ取り出せる。
完全にアイテムボックスだった。
最後に『健康体』を確認する。
「……なんだこれ」
表示された説明文に思わず眉をひそめる。
『状態異常耐性』『疲労軽減』『経験値取得補正』『技能習得補正』
そして最後に。
『夜の営みにおいて極めて高い性能を発揮します』
「……誰向けなんだこれ」
しかもSSSランク表記。
鑑定や収納より格上扱いなのがなんとも言えない。
「で、最後が___」
『神技昇華』
その瞬間だった。
視界に光文字が浮かび上がる。
『EXスキル『神技昇華』が発動しました』
「は?」
次の瞬間、『健康体』の表記が書き換わった。
『超越体』
「いや待て待て待て」
説明文を見る。
『あらゆる技能・能力への適応性を極限まで高める神性肉体』
「……あの爺さん、やりやがったな」
絶対ヤバいやつだ。
別に英雄になりたい訳でも、世界を救いたい訳でもない。
普通に生きたいだけだったんだが。
「……まあ、いいか」
今さら返却もできない。
ため息を一つ吐き、俺は周囲へ視線を向けた。
少し先には丘が見える。
その向こうには、水辺らしき光もあった。
「とりあえず、探索するか」
そうして俺は、異世界での最初の一歩を踏み出した。




