○ Can I Have This Dance / Endless Love
ダンスタイム計画実行当日、火曜日。いつもよりも少しばかりテーブル席が減らされたフロアで拍手の中、ベラはステージに立った。
「週末にきてくれてたひとは、聞いてると思う。もしかしたら誘いを受けたひとも、きてくれてるかもしれない。告白やプロポーズを意識してほしいわけじゃないの。友達同士でも、なんなら女同士でもいいと思ってる。ただその短い時間を楽しんでもらえたらいいなって思っただけのことだから。
昨日ね、応募者の数を聞いてわりとびっくりしたんだけど、意外だったのは、いつもノリのいい曲で盛り上がってるみんながダンスを踊りたがってるってこと。もちろん興味本位っていうのもあるんだろうけど、数が予想以上で、ちょっと焦りました。で、これから私がひとりだったり誰かとだったりで曲をうたっていくんだけど」
彼女は預かっていた、エルバたちが作ってくれたピンク色のダンスタイム・チケットの束を掲げみんなに見せた。
「曲をうたう前に、その曲で踊ってほしいひとの名前を呼びます。カップルだけじゃなくて、つきあってないふたりの名前を呼ぶこともある。片方が相手に片想いしてるからってわけでもない。私が踊ってほしいなって思ったひとたちだから、もしかしたらぜんぜん知らない相手かもしれないし、話したことがなかったり、仲が悪いふたりかもしれない。予定より多めに組んだけど、今日名前を呼ばれなかったひとは、次に期待してください。それじゃあみんな、椅子をちょっと動かす程度でいいから、適当にスペースあけてくれると嬉しいな。特に中央あたり」
フロアスタッフも手伝い、客たちはすぐに応えた。パッシと一緒に、最初の曲で踊ってもらうカップルの名前を呼んでいく。誰かの名前を呼ぶたび、なぜか拍手と黄色い冷やかしの声がフロアを包んだ。ベラはダンスタイムでうたう四曲、それぞれにある程度の基準を決め、それをもとにメンバーを選んだ。最初の曲、“Can I Have This Dance”は女が純粋且つキュートであること、そして控えめであること、だ。推薦枠とは別に、踊りたければとケイトに言ってみたけれど、ディックのことを考えたのか、彼女は遠慮した。
「じゃあそろそろ一曲目、いきますか。名前を呼ばれてなくても、踊らなくても、手を繋ぎたい相手がいるなら、その勇気のかけらになればと思います」そう言って、ベラは合図のしるしに右手をあげた。「“Can I Have This Dance”」
月のようなライト あらゆる音
星のような笑顔 流れる音楽
みんな捜してる ただひとつの奇跡を
今夜 この手をとってくれる誰かを
(ここで待ってるんだ)
ドアを開けるの 約束もなく
(ただ伝えたい)
あなたは世界でたったひとり 私が心に決めたひと
ずっと あなたの瞳になにが映っているのかを考えていた
誰がそこにいるのか
ずっと あなたの心に住み着いているものがなんなのかを考えていた
誰がそこにいるのか
やっと答えがわかったの
ここからはじめたい
だから私と踊っていただけますか?
一緒に踊っていただけますか?
ふたりの境界線 ふたりの距離
もしもそれを 乗り越えることができたなら
夢があるんだ 君とのことを夢みてたんだ
二度と否定しない 君へのこの気持ちを
(いつも追いかけていた)
私の心はあなたを追いかけていた あなたがいないときだって
(今度こそ伝えるんだ)
今度こそ伝えるわ ずっと言えなかったことを
百の空を越え 千の海を越えて
私たちはお互いを見つけた この愛の欠片を見つけた
雨の夜も 雪の夜も
たとえ遠く離れていたとしても
約束するわ
かならずあなたのもとに戻ってくる
ずっと あなたの瞳になにが映っているのかを考えていた
誰がそこにいるのか
ずっと あなたの心に住み着いているものがなんなのかを考えていた
誰がそこにいるのか
やっと答えがわかったの
ここからはじめたい
だから私と踊っていただけますか?
一緒に踊っていただけますか?
一緒に踊っていただけますか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
代わる代わるダンスを踊っていく、少々面倒にも思えるこのダンスタイムは、いつもとは違ったカタチで、思いのほか盛り上がっていた。最後の曲をベラとうたうためにフロアに出てきたディックの耳に、またすぐにやってほしいという声がいくつも届いたほどだ。
ディックはダンスが踊れないわけではない。女を口説くための技は一通り身につけていると言っても過言ではないので、こんなメロメロな曲調でのダンスも当然できる。だが客たちの、当然とも言えるその期待には、ちくりちくりと胃を刺された。
近頃、ケイトが本当の本気になっている気がする。もちろん結婚願望をほのめかす言葉をくちにするわけではないし、将来を語りたがるわけでも、昼夜関係なく会いたがるわけでもない。しかし、多くがあたりまえになった気がする。
まだケイトにこの店のことを話していなかった頃や、彼女がこの店で働きはじめるまえは、夜一緒にいられない代わりにランチに誘っていた。今はそれが、妙にあたりまえになっている。毎日というわけではないし、ペースは以前と変わっていないはずなのに、それがあたりまえになっていて、その部分になぜか違和感を感じている。
営業日に関係なく、ケイトはほとんどいつもここに仕事に来てくれていて、相変わらず自分で決めた一線を守り続けている。こちらの疲れを感じとれば家に来るとは言わないし、なんなら店休日の前日でもゆっくり寝ろと言って家まで送ってくれたりもする。家に少しずつ増えた彼女の私物は、最初の頃におもしろ半分でうちに置けば、と言って買ったもので、彼女が勝手に持ってきたものなどほとんどない。つきあいはじめて一年と少し、普通なら半同棲状態になってもおかしくないところが、そうなっていない。そこがなにより不可解だ。かといって、なぜこんなに違和感を感じるのか、それが自分でもわからない。
寂しいのか? ケイトと一緒に暮らしたいのか? 結婚したいのか?
いや、どれも違う。冷静に考え、何度も考えたが、違う。
ケイトの場合、こちらのことを考えて、慎重に行動している。こちらの負担にならないように、重荷にならないように。
それが重いのだ。無言の重圧とはよく言ったものだ。プレッシャーをかけまいとしているところが、本当に、重い。
「だいじょーぶ?」
ステージにあがってきたディックにベラが訊いた。彼ははっとした。考え込んでいたわけではない。客たちの期待にチクチクと胃を刺され、仕事とは別の疲れに襲われたのだ。中央のスペースがあけられたフロアでは、自分の名前を呼ばれたい人間たちが、さまざまな期待を込め自分たちを見ている。ドリンクカウンターの中、ヤンカの隣には自分の恋人、ケイトがいる。微笑んでいる。楽しみにしてくれているのだ、自分たちのステージを。
踊りたいか、などとは訊かなかった。踊りたくなかった。ダンスが嫌いなわけではない。しかし踊ってしまえば、またケイトの気持ちが大きくなる。そしてそれが自分の、自分とケイトの関係の重荷になる。逃げ出したくなってしまう。けっきょくケイトも踊りたいと名乗り出ることはなかったようなので、踊らずに済んだが。
「それではいよいよ──っていうほどうたってもないけど。ダンスタイム、最後の曲です。名前を呼ばれたひとは中央に出てください」そう言うと、ベラはまた名前を呼んでいった。最後の最後で、彼女は推薦枠とは別に、結婚三ヶ月祝いにと、パッシとアナイの名前も呼んだ。
面倒がキライな人間が面倒事から逃げたい時、選ぶのはいちばん簡単な方法だ。そしてそれは、相手の──ケイトの心をズタズタに傷つける方法だ。
さすがにそんなことはしたくない。するべきではない。ケイトにはずいぶん助けられた。癒しになっていた時期もあった。こんなふうに感じる今となっても、ケイトを嫌いになったわけではないのだから。
「ん」ベラに右手を差し出され、ディックはまた我に返った。心ここに在らずだった自分に気づく。ベラには伝わったのかもしれない。
その細い手を繋いでみると、不思議と、頭にかかっていた靄が少なからず消えた気がした。彼女の書いた詩が頭の中に流れこんでくる。だいじょうぶだ、うたえる。
「じゃあボスと一緒に、最後の曲です。“Endless Love”」曲紹介と共にベラが合図をした。
彼女と手を繋いだまま、ディックはうたいはじめた。
感じたんだ 恋に落ちる瞬間を
すべてがはじまる瞬間を
目にしたの 未知のページを開くように
夢をみるみたいに
あなたこそ理想のひと
この人生で それだけの価値がある
願いそのもの
そして思う
信じている だから信じて
あなたこそが生きる理由
そしてあなたに誓う
永遠の愛を
この道の上 あらゆる真実を
あらゆる嘘も受け入れよう
そしてここからは 哀しみも痛みもすべてを共有しよう
傷は時間と共に癒えるから
こんなふうに思う
今日という日はあなたと共にはじまる
わかるでしょう
今日という日はあなたと共に終わる
この命はあなたと共にある
あの時
あなたの瞳に恋をしたあの時から
わかっていた 決めたんだ
あなたに捧げる
永遠の愛を
ついに
あなたを見つけた 運命を
イエスと言ってほしい
大切なひと
人生を賭ける価値
あなたのものになる
あなたは愛の証明
この愛は決して色あせたりしない
あなたに誓う
愛しいあなたに
永遠の愛を
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
練習したわけでも、きちんと合わせたわけでもないこの曲を、ディックは見事にうたいあげた。さすがだとベラは思った。ステージに立つ直前から少々様子がおかしい気がしたものの、ステージで手を繋いでからはそんな気配を微塵も見せず、しっかり仕事をしてくれた。
それでも彼は、大きすぎる拍手や歓声に対して少々無理やりにも思える愛想笑いを返しただけで、挨拶もせずステージを降りてしまった。他の誰にも目をくれず、ケイトのことなど見向きもせず、まるで突然酸素のない箱に閉じ込められた、新鮮な空気を求めて息苦しい場所から逃げ出すように、さっさとメインフロアをあとにした。
そんな彼の行動に、ボスの身勝手がいちばん困るななどと思いながら、ベラはマトヴェイとパッシ、デトレフ、エイブを呼び、ベラがアゼルへのラブレターとして作った曲、“My Heart”でダンスタイムを締めた。




