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RED - DISK04 [side A]  作者: awa
CHAPTER 28 * The Way I Loved You
175/198

○ 13

 アシス・タスクにあるアパートメント──黒いドアの前に立ち、ケイトは携帯電話を使って部屋の主に電話をかけた。

 五コール、六コールと鳴らしても、相手は電話に応じなかった。なのでメールを送った。

  《今、あなたの部屋の前にいるわ》

 この部屋のドアが開かないにしても、最低でも三十秒は待たなければ、と彼女は思った。目を閉じて三十を、ゆっくりと数えようとした。十三を数えたところで、次の数字が言えなかった。

 十三──つい先日祝った、ディックの誕生日。

 十三──ディックと出会い、恋に落ちてから過ごした月。

 ダンスタイム最後の曲をベラと一緒にうたったあと彼は、逃げるようにフロアをあとにしたかと思えば、いつのまにか帰ってしまっていた。ベラだけでなく、ヒルデブラントやヤンカにすらなにも言わずにだ。オープンの時から考えても、こんなことははじめてだった。ついに“その日”がきたのだとわかった。

 いや、わかったのはその時ではない。ステージに立った彼と目が合った瞬間に、その目をそらされた瞬間に、わかった気がする。わかりたくなかったことだが、わかってしまった気がする。

 こうなってしまった原因がなんなのか、自分のなにがいけなかったのかを考えること、彼を追い詰めてしまった自分を責めたり、とにかく泣きわめいてしまいたい気持ちをぐっとこらえる。静かにゆっくりと深呼吸をしてから、ケイトは再び彼に電話をかけた。

 五コール目の途中だろうか──呼び出し音が途切れた。それでも、受話口からはなにも聞こえなかった。

 「──ディック。こんなの、卑怯よ──」

 彼女は静かに言った。どんな態度をとっても、彼のさらなる負担になるだけだ。泣いてすがることに意味などないし、そんなことはしたくない。なにをどうしようと、彼は傷つく。言うまでもなく彼は、今すでに傷ついているのだから。

 「私たちには、はじまりがあった──だから、お願い。ちゃんと、終わらせてちょうだい」

 電話のむこうからはやはり、声らしき声は聞こえなかった。それでも電話はつながったままで、足音かなにかが聞こえていて、そのうち鍵を開ける音がし、静かにドアが開いた。

 ゆっくりと開かれたドアを開けたディックは、携帯電話を耳にあてたまま、まるでなにか大切なものを失ったような、傷ついたこどものような表情をしていた。

 最初から──ブラック・スターで働きたいという意思をベラに伝えた時から、わかっていたことだ。

 “もしかしたら”という希望を持つことは許されるかもしれないと、そう信じていた時期もあった。一緒に過ごすうち、そう信じることよりも、その期待が崩れ去った時の反動を恐れるようになった。

 その期待は彼にとって重荷でしかなく、そうなれば彼が傷つくことはわかりきっていたので、彼の負担になるようなことはしない、言わない、考えないと、自分自身と神様に誓ったりもした。

 それからは慎重に行動した。彼の負担にならないよう、傷つけないよう、嫌われないよう、とても慎重に行動した。何度も何度も自分に言い聞かせ、何度も何度も神様に誓った。

 喧嘩もなく、自分たちは“完璧”だった。

 その“完璧”が、自分たちをダメにした。

 その“完璧”こそが、彼にとっての重荷だったのだ。

 胸に込み上げてくる哀しみを、目の前を覆い隠そうとする絶望を、今にもこぼれだしそうな涙を、溢れだしそうな愛をもこらえ、ケイトは弱々しくも微笑んだ。

 「“一身上の都合により、退職させていただきます”」携帯電話を耳にあてたまま、目の前にいる、電話のむこうでちゃんと声を聞いてくれているはずのディックに向かって言った。「ここにある私物は、すべて処分してください。ロッカーにある私物は、私からベラに連絡して、まとめてもらえるようお願いします。──今まで、ありがとうございました」

 涙だけは、どうやっても留まってくれなかった。泣き顔を見せないようにと、携帯電話を握ったまま立ち去ろうとするケイトの腕を、とっさにかディックは掴んで引き寄せ、彼女を強く抱き締めた。

 「君が悪いんじゃない」ディックは小さな声で、諭すように言った。「君が悪いんじゃないんだ」

 その瞬間、今の今までなかった感情が彼女の中に生まれた。

 「──ずるいわ、あなたは」そう言うと、大好きだった彼の腕から逃げるよう、彼を突き放した。「あなたが悪いわけないじゃない。あなたを追い詰めたのは私。あなたのことを考えてるふりをしながら、けっきょくは自分のことしか考えてなかった。あなたのそばにいることが私の幸せだったの。私は自分の幸せを優先したのよ。嫌われたくなかった。重荷になりたくなんてなかった。あなたがそばにいてくれればそれでよかったのに、私は──」

 彼に対するはじめての“怒り”の感情に気づき、ケイトは言葉を切った。なにを言っても、自分たちは戻れない。彼を憎んで別れるほうが、彼にとってはラクなのかもしれないが──憎むなんてことは、したくなかった。

 「──さよなら」

 ケイトは走った。エレベーターなど乗ろうと思わなかった。無我夢中で階段を駆けおり、ひだすらおりて、もうすぐでエントランスホールに出るというところでとうとう立ち止まってしまった。壁にすがりつくようにして座りこみ、泣いた。声を、こどものように声をあげて泣いた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 目を覚ましたケイトは、自分が今いる場所がどこなのか、さっぱりわからなかった。白いシーツと赤いシーツにはさまれて眠っていたらしい。空気はひんやりとしているがエアコンの暖房がオンにされているおかげで、そこまで寒いと思わずに済んだ。

 ゆっくりと身体を起こし、ずきずきする頭を押さえながらも部屋を観察した。“もしかして”の可能性が浮かんだ。こんなふうにセンスよく赤と白でまとめられた部屋に住む女の子といえば、ひとりしか浮かばない。

 肩にかけられていた、自分のものではないカーディガンを羽織ってベッドから降り、ドアをゆっくりと開ける。とたん、騒がしい声が聞こえた。リビングのセンターテーブルに置かれたノートPCを囲むよう、ベラ、PCの前にジェイド、そしてキュカとエルバがいる。

 それでやっと思い出した。途切れ途切れの記憶でしかないが、どういうわけか、ディックの住むアパートメントまで、四人が迎えにきてくれたのだ。後部座席に乗せられ、キュカの肩でまた泣いた。ジェイドはずっと背中をさすってくれていた。

 突然、ベラが歌をうたいはじめた。ほんの二、三フレーズだが、聴いたことのないメロディだ。

 うたい終わるとまた四人はなにか意見を出しながら、ジェイドはPCを操作しようとした。そして自分に気づいた。

 「ケイト、起きた」

 かおを見るなりエルバは苦笑った。「ひどいかお」

 「おはよ、お姫様」とキュカ。「さすがに見てられないから、とりあえずシャワー借りたほうがいいと思う」

 「使っていーよ」ベラが指をさす。「そこの向かいにバスルームがある。タオルと着替えも置いてあるから」

 ケイトには状況がよくわからなかった。ここがベラの家だとしても、はじめてきた場所で勝手に眠ってしまったうえ、いきなりシャワーを借りるというのには躊躇した。頭の中のどこかではこの状況がわかっているものの、思考回路はもやがかかったようになっていて、それをうまく呑み込めないでいる。バスルームのドアは確認したが、ベラたちのほうへと近づいた。

 「なにしてるの?」

 「見てのとおり、曲作りよ」とベラ。

 「明日学校でしょう? ジェイドも。それにキュカもエルバも、仕事じゃない」

 「それはあんたも一緒でしょ」キュカは笑って言い、瓶ビールを飲んだ。「ちゃんと説明してあげるから、とりあえずシャワー借りなってば」

 「愚痴も聞くし、酒もつきあうから」エルバは少なくとも一本を飲み干しているらしく、新しく瓶ビールを開けた。「うちらはもうシャワー借りた。着替えもちゃんと買ってきたし、時間がもったいないんだってば。オールする気満々だし、無理そうなら仕事休む気だけど、寝れそうならちょっとでも寝たほうがいいし」

 回転の鈍くなっている頭でどうにか考え、やはりよくわからないが、とりあえずシャワーを借りたほうがいいのかと思い、ケイトは「わかった」と言ってレストルームへと入った。

 バスルームのドアのそばにある乾燥機の上の棚に、それらしい着替えが置いてあるのを確認、そんなにひどい顔をしているのかと思い、鏡の前に立った。

 そこで思わず悲鳴をあげた。

 マスカラだのアイライナーだのアイシャドウだのが、涙でぐちゃぐちゃになっている。どこかの歌劇団のメイクよりもひどい状態だ。しかも髪もぼさぼさで、寝癖どころの騒ぎではない。

 叫んだおかげで思考回路がクリアになり、自分がどれだけひどい状態なのかもわかったが、こんな姿でみんなの前に出たことがなにより恥ずかしい。慌ててリビングへのドアを開け、みんながけらけらと笑っていることにもかまわず、ベラに向かって叫んだ。

 「ごめんなさい! シャワー借ります!」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ディックが勝手に帰ったことは、ダンスタイムが終わったあと、少ししてからわかった。ボスがそんな勝手をしたからといって、店には特に影響がない。幹部たちはお互いの仕事をきちんと把握しているし、ヒルデブラントかヤンカがいればどうにかなる。

 店を閉めたあと、ケイトがディックの家へ行った。ヤンカは「放っておいたほうが」と言ったが、ケイトは「だいじょうぶだから」と聞かなかった。

 ディックの親友であるヒルデブラントの勘も手伝って、まずい状況であることはヤンカ自身もわかっていた。だからこそ行かせたくなかった。ケイトの様子から、彼女自身もディックの身に起きていることを、自分たちを待ち受ける現実を把握しているのだろうとはわかったものの、それゆえに、行けばふたりの関係が終わってしまうことは明白だった。とはいえ、自分たちがくちをはさむところではない。唯一の可能性として、ケイトがディックに会わず、ディックが考えなおせば“最悪”を避けられたかもしれないが──ディックの性格を考えれば、それはゼロに等しい確率だ。

 ベラはその状況を傍目に見ながらも、気にせずジェイドと一緒にメインフロアで仕事をしていた。キュカとエルバもそこにいて、零時になるまでには帰るつもりだったのだが二十三時を過ぎた頃、ディックから電話がかかってきた。

 「今、ケイトがきた」と彼は言った。「帰ったけど、帰れてないかもしれん。入れ違いになるかもしれんが、迎えに行ってやってくれ」と。

 詳しく聞こうとはせず、「わかった」と返事をした。

 キュカとエルバ、つきあうと言ったジェイドと一緒に、エルバの車でディックのアパートメントへと行った。ケイトはタクシーでここまで来ていたはずなのでまだいるかどうかはわからなかったものの、パーキングエリアとエントランスホールを手分けして捜した。そして見つけた。泣き疲れたのか意識が朦朧としているようで、それでもまだ泣いていた。彼女は小さな声でずっと、「ごめんなさい」と謝っていた。

 ケイトの家に行くよりもベラのアパートメントのほうが近いのでそこに行き、とりあえずケイトをベッドに寝かせた。ケイトとディックにまつわる詞を書くと言うベラに泊まってもいいかとジェイドが訊くと許可がおり、それに便乗したキュカとエルバは着替えを買いにディスカウントショップへと走った。そのあいだにベラはシャワーを済ませ、ジェイドは泣いているのか眠っているのかよくわからないケイトについていて、二人が戻ってきてからは、ようやくケイトが落ち着いたこともあり、代わる代わるシャワーを浴びた。

 午前二時半になろうとしている時、やっとケイトが起きてきた。

 「なんか、ほんとに──」シャワーを借り、少なくとも表面的にさっぱりしたケイトは、ざっくりとした説明を聞き、申し訳なさそうにあやまった。「ごめんなさい」

 「べつにあやまることじゃないでしょ」とエルバ。「しょうがないことってさ、やっぱあるんだよ。あんたですらどうしようもないことを、うちらがどうこう言えるわけないし」また新しいビールを開けたらしい。

 「それよりさ、見て」キュカはジェイドから受け取った、クリアファイルに挟まれた紙をケイトに渡した。「みんなで相談しながら、ベラが書いた。今は音つけてる。覚えたてのジェイドが超がんばってんの」

 ケイトはそれを読もうとしたが、先にジェイドが補足する。「ほんとに覚えたてってか、全部を把握してるわけじゃないんだけどね。たまにテンパッてるけどね。ベラに教えてもらいながら、どうにかこうにかやってます」

 そう言われて、ケイトは詞をちゃんと読んだ。“目をとおす”という表現はおかしい。本当に、じっくりとそれを読んだ。数秒にも数分にも思える沈黙をやぶったのは、言葉ではなく涙だった。

 “もしも時間を巻き戻せるなら”

 ええ、そうね。巻き戻したい。

 “もう一度やりなおしたい”

 やりなおしたいわ。なにもかもを、最初から。

 “ふたりがはじめて会った日に戻るの あの聖なる夜に”

 十三ヶ月前のクリスマス、私たちは出会った。それが私たちのはじまりだった。

 “だけどきっと同じことを繰り返し またあなたを失うわ”

 そう。何度繰り返しても、けっきょくは同じ。

 “だってあなたを愛する他の方法を 私は知らないんだもの”

 それが自分にできる、精一杯の方法だった。

 “それが私にできる最大の 私なりの愛しかただから”

 なにも言えずただ泣くだけのケイトの髪を、すぐそばでソファに座っているエルバがやさしく撫でた。

 「よくがんばったね。えらいえらい」

 「ニュースはそれだけじゃないよ」とキュカ。「明日は仕事しなくていい。けど、店にきて」

 もう二度と行くことがないと思っていた店に、きなさいと言われた。顔をあげると、今度はジェイドが微笑んだ。

 「明日は、ブラック・スターのレディース・デイです。女性限定でライブを開く。もちろんお客さんたちも誘ってね。幹部はヤンカだけ。男共は、練習だろうと一切立ち入り禁止。スタッフフロアにも入れない。厨房スタッフも女の子だけが来てくれるから、夜九時までの営業だけど、ちゃんとご飯も食べられるよ」

 キュカがさらに補足する。「電話でだけど、ベラが幹部たちを言いくるめた。で、女スタッフみんなと連絡をとって、知ってる女性客みんなに宣伝した。男たちにも協力してもらって、さらに宣伝しといた。バンド男たちは不満炸裂だったけどね。そのたびにベラが電話を代わって、天使モードがダメなら悪魔モードで脅しにかかったの。超笑える」

 エルバはまだケイトの髪を撫でている。「三時間の営業とはいえ、ヒラリーも来てくれるとはいえ、さすがにうたいっぱなしはしんどいだろうからって、カラオケモードでいくってさ。しかもベラが好きなバンドの何組かからは、上のレコスタでの割引と引き換えに、そいつらの曲をみんなで熱唱する許可もとった。シンガー願望はなくてもうたうのが好きっていう子ならいくらでもいるから、ステージにも自由に立っていいし、厨房スタッフもうたっていい。なんならドリンクカウンターからうたってもいい。メインフロアぜんぶがステージだってさ」

 とんでもない発想だ。明日は水曜、非営業日で、いつもなら店に所属するバンドメンバーが曲作りをしたり練習をしたりしている。メインフロアだけでなく、スタッフフロアにすら立ち入り禁止ということは、バンドたちは無償で使える場所を失うということだ。

 ベラは自分のためだけに、幹部だけでなくスタッフたちをも納得させ、ディックに会わずに済むよう女性限定という条件までつけて、それも非営業ではなく“レディース・デイ”というカタチで店を営業しようとしてくれている。以前聞いた話では、最終的に週六日を営業日にしたとして、絶対的に休みたい曜日──店休日はどの曜日がいいのかという疑問にベラが出した結論は、水曜だったはずなのに。

 普通の女の子なら、数人の女友達だけでカラオケにでも行こうというところでとどまるはずだ。なのにベラは、自分がひどい音痴であること、それゆえにうたうのが苦手だということを理解してか、自分がうたわなくてもその場が成立するよう、ちゃんと考えてくれた。

 「だけど──」ケイトは、なにをどう言えばいいかわからなかった。「いいの?」

 「いいもなにも、ただの思いつきよ」と、ベラは答える。「明日限定だし、許可証とか面倒な手続きはいらないはず。火曜の営業をはじめるとき、曜日が変わる可能性があることは役所にも話してあるし、実験的に臨時営業するかもってのも言ってある。どうなろうと、そこは私たちが心配することじゃない。そんなのは“上”の仕事だしね。

 あなたのためってわけじゃない。規模の大きな女子会だと思ってくれればいい。仕事のことなんか言いだしたらキリがないだろうから、恋愛限定でとにかく愚痴言い合って、私とジェイドはそれを元に詞を書く。なにもその場で曲作りしようっていうんじゃないし、あとからいじれるよう、設定が明確になる範囲でとにかく書いていくつもり。男バンドたちにまわすぶんも書けそうなら書く。壊したら怒られるだろうけど、そうじゃないならデタラメに楽器を弾いてもいい。カラオケ大会というより合唱祭りね。“純粋だった”頃に戻るのよ」

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