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不思議な音楽と共に魅惑的な舞は続く。
華奢な細い四肢。軟らかく、そして時に力強く動く肢体。内側から光が滲んでいるかのような、淡く色づいた肌。
翡翠よりも色鮮やかに輝く瞳、上気した頬、微笑みを浮かべた唇は紅く熟した果実ようだ。
鄙びた村の少女だとは思えない。
……吸い付きたくなる。
ごくり、と喉が鳴った。
ウォルフは己の全てがリリィからに集中しているのを頭の片隅で自覚していた。普段の自分からは到底考えられない。
今、この訳も分からぬ空間で何かのアクシデントが起こっても可笑しくは無いというのに彼女の舞う姿から一瞬たりとも目が離せなくなっていた。
隙だらけの今、ここで襲われでもしたらあっけなくやられてしまうだろう。
それでもこの眼を離そうなどとは、思いもしなかった。
舞い続けるリリィの後ろの空間が滲んで、何かがぼんやりと浮かんでくる。
何だ、あれは。
リリィの身に何かあってはいけないと、握ったままだった剣を構えたその時。
じわじわと形になって浮かび上がるその影は―――。
まさか。
畏怖を覚える異形な姿と同時に人知を越えた美しい風貌は、偉大なる神の御姿だった。
全身の汗が一気に噴出する。
ありえない!
ウォルフが己の思考を否定し眼を瞬いた瞬間、ピンと張りつめていた空気が軋んで、甲高い音を立てながらガラスのように砕け散った。
砕けた空間と一緒に、踊っていたリリィは艶やかな栗色の髪を散らして背中から崩れ落ちた。
「リリィ!」
一瞬で俺は我に返った。
ぐったりと床に倒れているリリィの体に手を伸ばす。
先程の光景は幻だったのか? リリィが纏っているのは、先程見た美しい衣では無く、いつもの茶色の襤褸で、ここは教会だった。
「そこをどけ! その女は俺のものだっ。邪魔する奴は、死んでしまえっ」
狂ったように叫びながら、背後から盗賊が襲い掛かってくる。
強い殺気に俺の体は即座に反応し、剣を手に振り返った。背中を襲う凶刀をはじき返し、そのまま突きの姿勢で踏み込んだ。
盗賊は憎悪に歪んだ顔で、唾を飛ばしながら喚く。
僅かな動きでがら空きになた胸に剣を突き立てた。重い、確かな手ごたえが確実に盗賊の命を奪った事を知らせてくる。
奴は心臓を貫かれて大きく痙攣し、大量に吐血した。刃は肺を通り越し背中まで到達していた。そのまま眼を見開いたまま硬直し、突き刺した剣を抜けばバランスを崩して床へ叩きつけられた。
ごろりと仰向けになったまま、動かない。床には大きな血だまりが出来つつあった。
背後で、わっと声があがった。避難していた村人たちだろう。助かった事を実感して声を上げている。
まだだ、安心するのはまだ早い。
レオナードがその場を収めているのが聞こえたが、俺はそれどころでは無くリリィへと意識を向けた。
床に倒れているリリィの、ほっそりとしたその体をそっと腕に抱く。
ぐったりと力ないリリィの体は少しの抵抗もせず、俺の腕の中で仰向けになった。白い顔は一段と白く、蝋人形のようだった。
「しっかりしろ!」
声をかけながら脈を探る。細く折れそうな首に己の無骨な手を当てると、頸動脈のしっかりとした拍動を感じる事が出来た。口元に頬を寄せれば、微かだが消えてしまいそうな息使いがあった。
素早く眼を走らせリリィの全身を確認する。
胸元から腹にかけて、纏っていた服が大きく切り裂かれている。
だが、どこにも出血した形跡がない。
切り裂かれた服からは、眩しいほどの白い肌が覗いている。リリィの素肌は滑らかで、神秘的な美しさを保っていた。
俺は穢れを知らない不可侵なものに踏み込もうとしている。
そんな思いがしながらも、恐る恐る裂かれた衣の淵とその下にある皮膚に触れた。
すると、リリィの素肌はしっとりとした瑞々しさと弾力を保っていた。左腕も粗末な服が切り裂かれていたが、その体には傷一つ付いていなかった。
どういう事だ? 確実に彼女は斬られた筈だ。確かにこの目で見た。
「リリィ、しっかりしろ!」
纏っていたマントを彼女に掛けてやり、頬を軽く叩きながら呼びかける。何度か繰り返すと腕の中で小さく呻いた。
「う……。わたし、一体」
「おいっ眼を覚ませ!」
「ウォルフ? ああ、本当に来てくれたのね」
リリィはぼんやりとしながら薄らと微笑むと、つっと涙を流した。
「リリィ、俺にはお前が切られた様に見えたんだが、平気なのか?」
リリィは頭を振ると、「ええ、大丈夫みたい。そんな事より盗賊は?」と答えた。
そんな事とは。
自分の事を分かっていないのか?
「……奴らは皆退治したぞ。ここはもう安全だから心配するな」
「ああ良かった。ありがとうウォルフ」
リリィは空気を吐きだすように答えると、くしゃりと崩れるように笑顔を浮かべた。
「ああ」
「……わたしね、あのとき間違い無く死んだと思ったの。だけど、そのとき頭の中に声が響いて」
先程斬られた時か。俺は頷いて先を促した。
「声?」
「その声がもっと躍れって。教会の鐘のように、頭の中で響き渡ったわ。そしたら、勝手に体が動いていた。逃げる事もしないで」
リリィが腕を振り上げた一瞬、相手は怯んだように動きが鈍くなった。お陰で切られた筈の身体は紙一重で無事だったのだろうか? しかし、それでは腑に落ちない。
だが、俺はリリィの言葉をそのまま信じた。実際に自分のこの眼で神の姿を見たのだから。
「……神の奇跡と言うしか無い。実際にお前の白い肌には、傷一つ付いていない」
「わたし、いつの間にか星々の存在する空間で踊っていたの。とても長い時間だったような、一瞬のような、あやふやでいまだに信じられないけれど、確かにこの肌で神様の存在を感じたわ」
俺は頭を振って額に手を当てた。まさか、あれが妄想でも幻覚でも無かったと言うのか?
神の姿をこの目で拝めるとは。どんなに求めても答えてくれぬ、それが俺の中の神だったのだが。
全てはこの小さな娘、いや、新たな舞姫が引き起こしたのだ。
レオナードと共に怪我人の手当てと村の安全を確認し終えた頃、町の警備隊士と数人の騎士が到着した。蹄の音も力強く、人馬が列をなして広場へと入ってくるのが見えた。




