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ウォルフの眼の前で振り下ろされる無骨な剣。
――頼む、間に合ってくれっ。
俺は腕を精一杯伸ばし、足を必死で動かしたが間に合わない。あと一歩、僅か一呼吸分が足りない。
無情にも、リリィの華奢な体へ刃が吸い込まれる。対する彼女は、逃げようともせず左腕を振り上げた。
何をやっている、現状に気づいていないのか?
よせっ、止めろ!
リリィの動きは幻覚を見ているかのように、恐ろしくゆっくりとしている。そこに襲い掛かる凶悪な剣。華奢な白い指先が天を指す。
決して見たく無かった最悪な結果に、己の視界が赤く染まった。
リリィの体がぐらりとかしぎ、栗色の髪と赤い血が無惨に飛び散った。
俺の胸を冷たい恐怖と大きな喪失感が襲った、その時。
突然、全てが白く染まった。
俺の眼は可笑しくなってしまったのか?
……いや、どうも視力に異常がある訳ではないようだ。俺のいる場所、すなわち教会内に異常が発生している。
教会内でもなく、盗賊や村人もいない。何も無く、ひたすら白一色の空間が広がっている。
ただし、リリィだけは真っ白な視界に存在していた。
彼女は盗賊に切られ、床へと崩れ落ちた筈だった。
「どういうことだ?」
リリィにだけ直接光が当たっているかのように、彼女のほっそりとした体が白い空間の中に浮かび上がっている。
一体何が起こっている?
ここはどこだ?
混乱に満ちた教会の中ではなく、避難した村人どころか盗賊の姿さえどこにも見当たらない。
油断なく辺りを見渡すが、白い空間には自分とリリィしかいない。視界を遮るものは何も無く、しんと静まり返った空間には音も、頭上から射す光も、足元の影すらない。そもそも、床と言える場所に立っているのだろうか。
自分はどこに立っている?
教会の木の香りも、流された血の匂いも、恐怖を含んだ汗の匂いも全くしないではないか。
そして、唯一共に居る筈の少女は、いつもの冴えない村娘では無い。
眼の前のリリィは彼女であって、そうではない。
そこには美しい刺繍を施された色鮮やかな衣と金の装飾を身に纏い、舞い躍るリリイの姿があった。
いつもの襤褸を纏った姿はどこにも見当たらない。
栗色の髪は銀冠を嵌めているかのように光沢を放っている。
リリィは羽を持っているかの如くに舞い躍る。
……魂を奪われるとは、こういうことなのか。
眼の前で踊る少女は奇跡のように美しかった。
それは、子供の頃に読んだ童話に登場する天上人を彷彿とさせた。
……俺は幻を見ているのか?
彼女の透き通るような表情が俺を捉えて離さない。
不意にしゃんと音が響いた。
リリィが金の装飾の付いた、白い華奢な腕を振ったのだ。
しゅっと衣の、鋭く空気を裂く音と同時にリリィはくるりとターンした。ひらりひらりと、薄い衣が舞う様は美しく、怪しく、己の眼は吸い着いたように離せない。
眼の前で舞っているのは、少女の甘さと同時に大人へと変わる危うさの、両方を兼ね備えた存在。
清純でありながら、どこか蠱惑的。
濡れた瞳に、眩しい程輝く白い肌。
赤い花びらの色を宿した唇。
艶やかな、銀輪を纏う栗色の髪。
だが、何よりも惹きつけられるのは、星の輝きを放つ翡翠の瞳。
奇跡のような存在に、ちっぽけな俺はがくがくと心揺さぶられる。いつの間にか、思考の全てを奪われていた。
――いや、天上人なんかでは無い。彼女は伝説そのものの……舞姫だ。
両腕が動くと金の腕輪が涼やかにしゃらんしゃらんと奏でる。重なった音は空気に溶けて、今や空間そのものが歌っているかのようだった。




