その3
「おいしい」
ミッチの作った冷製パスタを一口食べて、ナツコは思わず正直な感想を漏らした。
「でしょう?」
得意気にミッチがうなずく。
「ねえ、ナツコさんはどうしてロボットが嫌いなんですか?」
「別に理由なんてないわ。生理的に受け付けないだけよ」
「ふうん。それじゃ、だいぶましになったんじゃないですか?」
「どうして?」
「だって、ここでご飯食べてるでしょ? 生理的に受け付けない相手とは、ご飯なんて食べられないと思いますよ」
「あなたがあまりにしつこいから、一度付き合えば諦めるかと思ったの」
「そうは行きません。明日も来てください」
「明日は用事があるの」
「じゃ、あさって」
「ほんとにしつこいのね」
「大好きな人に会いたいだけですよ」
また顔が赤くなるのを感じ、ナツコは急いで横をむいた。
「どうして私が好きなのよ」
「理由がいるんですか?」
「女の子には不自由してないって聞いたわよ」
「不自由って?」
「わかるでしょ?」
「俺はこれからの人生を一緒に歩んでくれる女性を捜してるんです」
精一杯真面目な顔を作ってミッチはナツコの目を覗き込んだ。ロボットのくせに人生ってなによ?
「私のこと言ってるのよね?」
「ええ」
「自分の言ってること、理解してる?」
「もちろんです 」
「おかしいんじゃないの? 私がロボット嫌いだって知ってるでしょう?」
「ロボットは嫌いでもいいんです。俺のこと、好きになってくれれば」
「私はあなたを人間としては見れないの」
「いいですよ。今言ったとおり、好きになってくれさえすればいいんですから」
「だから人間じゃないのに好きになれるわけないって言ってるの」
「試してみなきゃわかりませんよ」
「無駄よ」
「どうしてですか?」
「昔、ロボットに酷い目に遭わされたから」
「あれ? ロボット嫌いには理由なんかないって言ってたのに?」
ミッチが目を丸くした。しまった。ナツコは慌てて口をつぐんだが後の祭りだ。
「話したくないから黙ってたの。ほっといてくれる?」
「駄目です。何があったのか話してください」
ナツコはためらった。これは誰にも話したことのない、ナツコだけの秘密だ。今までずっと自分の胸のうちだけに秘めてきた。話してもどうせ誰も理解してくれはしないから。
ミッチは期待に溢れた顔でナツコを見つめている。ロボット嫌いの理由さえ分かればナツコの攻略法が見つかるとでも思っているのだろう。彼女から話を聞き出すまで追い回されるのは目に見えていた。ふうと息をつくとナツコは語り始めた。
「私がね、小さい頃、家庭教師の先生が来てくれてたの。ロボットだったけど、子供が親しみやすいように人間そっくりの外見をしてたわ。子供の私には人間との違いなんてよくわからなかった。優しくて教えるのが上手でね、先生が大好きだったの」
先生はナツコが五歳の時から毎日のように家にやってきた。両親が忙しかったのでベビーシッターも兼ねていたのだ。 だがナツコが十歳になったとき、父が自宅で仕事をするようになった。先生は来なくなり、ナツコはとても寂しい思いをした。
でも、しばらくたったある日、公園で小さな子供を連れた先生を見かけたのだ。ナツコは駆け寄って声をかけ、先生は振り返った。そしていつもの優しい笑顔でこう言った。
「はじめまして。元気なお嬢さんですね」
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「派遣先が変わったから記憶を消されたんだね。でもそういう風に作られた機械だったんだから仕方ないでしょう?」
「よくないわよ。五年も毎日一緒にいたのよ。私がどれだけ傷ついたかわかる?」
ミッチがにっこり笑った。
「なんだ。ナツコさんはAIが嫌いなわけじゃないんだ。忘れられて逆恨みしてるだけですね」
「そんなんじゃない」
「そんなんじゃないことないでしょう?」
ミッチは立ち上がると後ろからナツコの肩を抱き寄せた。ナツコは露骨にいやな顔をして見せたけど、そんなのおかまいなしだ。
「ちょっと、やめてよ。蕁麻疹がでたらどうするの」
「でたら医務室に連れてってあげます」
「やめてってば。やめなさい。命令よ」
「俺に命令できるのはウサギさんとガムだけですよ。ナツコさんの言うことなんて聞かなくっていいんです」
すました顔でそう言うと、ミッチはナツコの耳元でささやいた。
「ナツコさんの先生はナツコさんを忘れちゃった。でも俺はナツコさんのことを忘れないよ。ナツコさんが俺を嫌いだって言ったことも、嫌だと言いながらもここに来て俺の料理を食べてくれたことも、俺が動かなくなる日まで絶対に忘れない。ナツコさんの先生が旧型の家庭教師ロボットで、プログラム通りに動いてたのが気に入らないからって俺まで嫌わないでください」
「そんなの知らないわよ。すごく悲しかったんだからね」
「それで? 忘れちゃうなんて酷いって先生の前で大泣きしたんですか?」
「ううん、一度も泣かなかった。ロボットが自分のことを忘れたから悲しいなんて子供じみたこと、親にだって言えないでしょ?」
「なんだ、自分でもわかってるんですね」
「うるさい、ロボット」
ナツコの目が潤んだ。あの時の衝撃は忘れようったって忘れられない。二人で一緒に過ごした大切な時間は先生の中から消えてしまったんだから。消えてしまってもうどこにも見つからない。
ミッチはテーブルから紙ナプキンを取るとナツコの顔にぎゅっと押し当てた。
「やめてよ。泣いてなんかないってば」
そう言ったとたん、涙が溢れ出す。あの時、くちびるを噛んで押し殺した涙が今になって出口を見つけたかのように。ミッチの腕に力がこもる。彼の身体は温かい。でもこの身体に宿る魂は人の創り出したモノだ。
「ねえ、俺はナツコさんが大好きだよ。だからナツコさんも俺のこと、好きになってくれませんか?」
ナツコはミッチを見上げた。あけっぴろげな笑顔が彼女を迎えてくれる。彼は本当に彼女のことが好きなのだろうか。
急に怖くなったナツコはミッチの腕から慌てて抜け出した。
「帰る」
小屋を飛び出してずんずん歩いて、小道の角を曲がるときにナツコは初めて振り返った。ミッチが傷ついた顔をしてるんじゃないかと気になったから。でも彼は笑ってた。私が本気で嫌がってないのがわかってるんだ。ナツコはミッチに向かって舌を突き出して見せた。腹が立つ反面ほっとしている。
ああもう、自分で自分がわからない。
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午後遅く、ナツコが部屋を出ようとすると表で待ち構えていたミッチに声をかけられた。
「あなた、仕事は?」
「もちろんしてますよ。さっきはありがとうございました」
「ご馳走になったのはこっちでしょ。お礼なんていいわ」
「明日のことなんですけど 」
「だから明日は忙しいの。お昼から会議よ。準備もあるの」
ナツコは冷淡に言い放つとミッチから顔をそらした。一度食事に付き合ったからって、そんなに簡単に誘えると思ったら大間違いだからね。
「そうなんですか? ロブは会議は中止になったって言ってましたよ」
ははーん、うちの連中はみんなグルなわけね。心の中でナツコは舌打ちした。
「それでも忙しいの。しつこく誘うの、やめてくれる?」
「おい!」
突然後ろから声をかけられた。振り返れば険しい顔をしたベンが立っている。
「聞いたぞ。お前、こいつに嫌がらせしてるんだってな」
あいつら、ベンにまで私の悪口を吹き込んでるわけ? カチンと来たナツコは彼を睨み返した。
「へえ、あなたまでミッチの肩を持つのね。元同僚ってのはありがたいものだわ」
「お前は同僚だったがな、こいつは俺の同類なんだ。同僚よりは同類の肩を持たせてもらうさ」
ナツコは意味が分からずベンの顔を見つめた。同類? つまり……女ったらしってこと?
ミッチが慌てて二人の間に割って入った。
「ベン、やめてよ」
「やめないよ。いいか、よく聞け。俺もロボットだ。ウサギのところのな。嫌がらせしたけりゃ俺にしろ」
ナツコは呆気にとられてベンのクソまじめな顔を見つめた。これは嘘をついてる顔じゃない。でも……。
「……嘘でしょ? 」
「嘘だと思うならガムランに聞いてみろよ」
「でも結婚したって……」
「悪いか?」
ナツコの口から心のどこかに引っ掛かっていた疑問がぽろりとこぼれ出た。
「……ねえ、ロボットって本当に人を愛せるの?」
「お前は馬鹿か? この俺が愛してもいない女と結婚すると思うのか?」
高飛車な態度とは裏腹に彼の頬が赤くなった。俳優のくせに自分のセリフに照れているようだ。
愕然としているナツコにミッチが話しかけた。
「ナツコさん、休憩に出るつもりだったんでしょ。時間がなくなっちゃいますよ。ほら、行きましょう」
「う、うん」
ベンが不思議そうにミッチに尋ねた。
「あれ、お前、こいつにいじめられてたんじゃないのか?」
「ううん。仲良くなったんだ」
「なってないわよ」
「どっちだよ?」
「俺の胸で泣いてくれるぐらいには仲良くなったと思うけど」
「黙りなさい」
さきほどの記憶が鮮明によみがえり、急に恥ずかしくなったナツコは二人に背を向けた。
「なんだよ。それを早く言えよ。 俺、正体バラしちまったじゃないか」
気まずそうにベンがぼやく。
「ええと、ナツコ……」
「誰にも言わないわ。あなたが人間じゃないなんて、どうせ誰も信じてくれないと思うし」
二人のやり取りにミッチが笑い出だした。
「ベンは相変わらずそそっかしいね」
「ほっとけよ。うまく行ってるのに邪魔して悪かったな」
「行ってないわよ」
ナツコの言葉を受け流し、ニヤニヤ笑いながらベンは立ち去った。納得がいかないといった顔でナツコはミッチを振り返った。
「あなたはベンがロボットだって知ってたのね?」
「俺はウサギさんの所に出入りしてますからね。あそこで作られたロボットは全員知ってるんです」
「もしかして、私の身近なところでほかにも人間のフリしてるロボットがいたりする?」
ミッチが意味ありげな笑みを浮かべる。
「それは企業秘密です。でも食事の席でなら教えてあげてもいいですよ」
「それなら結構よ」
ナツコはミッチを睨んだ。
「あの人、奥さんとはうまくいってるの? 相手もベンの正体、知ってるのよね?」
「もちろんですよ。すべて分かった上で結婚したそうです。ナツコさん、もしかして俺達の関係を心配してるんですか?」
「はあ?」
「ロボットと人間でうまく行くのかなって」
どうしてこいつはすぐに調子に乗っちゃうんだろう? ナツコの呆れ顔など気にも留めずミッチは続ける。
「ナツコさんは安心してくれていいですよ」
「安心って?」
「俺がナツコさんに失恋はさせないってことです」
「失恋ってなによ? 好きでもないのに失恋するわけないでしょ?」
「でもこれから好きになる」
「ならないわよ」
ミッチはナツコの両肩を捕まえると自分に向けて引き寄せた。彼の顔が近づいてくる。
「やめてよ」
顔をそらそうとしたのに、なぜか体が動かない。そのまま二人の唇が重なった。ミッチは遠慮なく唇を押し付けてくる。心臓はばくばく、頭はぐらぐら、殺される、とナツコは思った。こんなの、ただのキスのはずがない。そうだ、きっとこの出来損ないロボットから電磁波だかなんだか出てるんだ。それじゃなきゃ……どうしてこんなに胸が苦しくなるの? どうして涙まで出てきちゃうのよ?
ようやく解放され、ナツコはふらふらと彼から離れた。
「馬鹿!」
大声で怒鳴ったつもりなのに蚊の鳴くような声しか出ない。
「ごめんね」
満足そうにミッチが謝った。
「おわびに明日のお昼、ご馳走します。ね、いいでしょう」
しつこい、と言いかけて、ナツコは気づいた。彼は焦ってはいないのだ。彼女との距離は少しずつ、だが着実に縮まっていく。このままだといつか自分はこのお調子者の機械に捕まってしまうのだろう。
でもナツコにだってプライドはある。そんなに簡単に落とされてたまるもんですか。
「カルボナーラとボロネーズ、どっちがいいですか?」
何事もなかったかのように笑顔で尋ねるミッチに、彼女はふくれっつらで答えた。
「カルボナーラ」
「じゃ、明日のお昼、待ってますからね」
ミッチがくすりと笑った。
-おわり-