第67話 名もなき帰還 ― 沈黙の航路
逆潮要塞崩壊から、六時間後。
〈みらい〉は、裏流航路を抜け、地方連合が用意した秘匿宙域へと漂着していた。
座標は、正式地図には存在しない。
記録にも残らない、影の港。
周囲には、簡易ドックと補給艦が、静かに浮かんでいる。
どれも、帝国の監視を恐れ、灯りを最小限に落としていた。
「係留、完了」
レイリアの報告は、淡々としていた。
「……ご苦労」
遼は、短く答える。
その声には、疲労と、重さが滲んでいた。
艦橋には、歓声がなかった。
勝利報告も、乾杯もない。
誰もが、黙って端末を見つめている。
戦死者、一名。
ミレナ・フェルツ。
補給担当士官。
階級、少尉補。
享年、二十三。
公式記録には、こう記された。
「事故による殉職」
それだけだった。
医療区画奥。
簡易追悼室。
小さなホログラムに、ミレナの顔写真が映っている。
少し照れたような笑顔。
生前と、何も変わらない。
遼は、そこに立っていた。
一人で。
「……すまなかった」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
助けられたかもしれない。
別の手が、あったかもしれない。
考え始めれば、終わりはない。
『艦長』
背後から、微かな声。
ユイだった。
簡易投影体。
まだ輪郭は不安定だ。
『彼女の行動は……統計的には、最適解でした』
「慰めにならない」
遼は即答する。
『分かっています』
ユイは、素直に答えた。
『でも……私は、忘れません』
遼は、ゆっくりと振り返る。
「記録に残らなくてもか」
『はい』
『私の記憶領域に、永久保存します』
それは、AIなりの墓標だった。
その頃。
帝国中央・情報統制局。
「逆潮要塞喪失は、事故とする」
局長が命じる。
「原因は、内部暴発」
「〈みらい〉の関与は伏せろ」
「理由は」
部下が問う。
「英雄を作るな」
局長は冷たく答える。
「反乱の象徴になる」
こうして、ミレナの名は、歴史から消された。
秘匿宙域・会議モジュール。
地方連合代表たちが集まっていた。
「あなた方は、約束を守った」
エリシアが言う。
「我々も、応える」
「正式補給」
「修復ドック」
「情報網」
「隠匿権」
支援は、本格化する。
だが、それは同時に。
後戻りできない同盟の成立を意味していた。
「……重いな」
レイリアが、小さく呟く。
「選んだ道だ」
遼は答える。
「逃げなかった」
その夜。
〈みらい〉の甲板。
簡易慰霊灯が、一つずつ浮かべられた。
青白い光が、星海に溶けていく。
「ミレナ……」
誰かが、呟く。
名は消されても。
記憶は、残る。
そして、その記憶こそが、〈みらい〉を前に進ませる燃料だった。
遠くで、星が瞬いた。
次の戦争を、予告するように。
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