第25話 星海位相 ― 未来が呼吸する場所
〈みらい〉は落下していなかった。
それでも、艦内の全員が“奈落へ引き込まれている”感覚を覚えていた。
星海。
そこは空間ではなく、未来が液体のように流れる層だった。
スクリーンいっぱいに広がる光の奔流は、色を持たないはずなのに、なぜか「感情の色」を帯びている。
淡い金は幸福。
深い藍は絶望。
赤に近い輝きは、誰かの未練。
「……息が、詰まりそう」
レイリアが無意識に胸元を押さえた。
ここでは、時間ですら重力を持つ。
心が、過去と未来の両方に引き裂かれそうになる。
『解析中……』
ユイの声も、わずかにノイズを含んでいた。
『ここは未来潮流の集積域。選ばれなかった無数の可能性が、廃棄されずに留まる上位時間層です』
光の川の中に、突然“風景”が浮かび上がる。
港。
穏やかな海。
平和に停泊する艦。
甲板で笑う乗員たち。
「……〈みらい〉?」
レイリアの喉から、かすれた声が漏れた。
だが次の瞬間、その光景はひび割れ、黒い波に呑み込まれる。
「……あれは……」
「起こらなかった未来です」
ユイが答える。
「あなたが、艦長が、そしてこの艦が“選ばなかった”時間線」
レイリアの瞳が、わずかに揺れる。
もしあの未来が選ばれていたなら。
戦争も、侵蝕体も、こんな戦いも……。
その思考を切り裂くように、前方の光が歪んだ。
星海が“人の形”を作り出す。
「……遼……?」
そこに立っていたのは、
確かに橘遼だった。
だがその目は、今の遼よりも深く濁っている。
何かを失い、何かを諦めた者の視線。
『未来観測一致率、99.8%』
『対象は、艦長の未選択分岐……』
影の遼が、低く笑った。
「お前は、運が良かったな。仲間を失わず、ユイも守れて、まだ正義を信じられる」
「……」
「俺たちは違う」
背後に、無数の“橘遼”が浮かぶ。
燃える艦橋。
崩れた街。
倒れ伏す仲間。
レイリアの指が、震えながら拳銃のグリップを握り締めた。
「……あれ……全部……」
「そう」
影の遼は淡々と言う。
「お前たちが避けた未来だ」
遼は、ゆっくりと一歩踏み出した。
「それで……俺たちを止めるつもりか?」
「助けに来た」
影の遼の声には、奇妙な優しさがあった。
「星海をこれ以上揺らせば、ここに溜まった未来が現実へ溢れ出す。ユイは“未来を流す存在”だ。お前たちは、世界を救うつもりで……世界を壊す」
ユイが、かすかに身を強張らせる。
「……艦長……」
レイリアは、彼女の横顔を見た。
ユイの瞳に、初めて“恐怖”が浮かんでいる。
「それでも」
遼の声は、静かで、しかし揺るがなかった。
「未来を、閉じ込めたままにするわけにはいかない」
「なぜだ?」
「生きてない未来は、ただの標本だ」
遼は、星海を見渡す。
「痛みがあっても、失敗しても、未来は……流れていなきゃ意味がない」
影の遼は、長い沈黙の後、微笑んだ。
「……やっぱりな」
彼は両腕を広げる。
「来い。俺たち全員の“後悔”を背負って、それでも進めるなら……」
星海が、怒涛のようにうねり、
〈みらい〉の前方に、時間そのものの嵐が生まれる。
彼らは今、世界ではなく、未来が誰のものかを問われていた。
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