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よくあるパンデミック   作者: いりかわしょう
11/12

最終話3/3

細胞の中にあるミトコンドリアって、昔は微生物だったそうですね。細胞と共生してるうちにドッキングしちゃったんだとか。今回は、そういうドッキングな感じの展開です。

A



 十一階、十二階、十三階……その区別はもはや曖昧だった。それほどまでに、揺れで天井や床が崩れてきたのだ。下の階に残してきた者たちは無事だろうか。地鳴りがひどくて彼らの声ももう聞こえない。しかし生きていれば、必ず私にこういうだろう。『上に行け。黒幕を捕まえろ。』私は落ちてくるがれきをよけ、ひたすら上を目指した。


 とうとう私は、十四階にたどり着いた。この階だけほとんど崩落が起きていない。ゾンビもいない。やけに綺麗な廊下に向かって、私は声帯を強化し叫んだ。


「出てこい!!!!いるのは分かってる!!!!全ての元凶がお前だってことも!!!!」


 聞こえたはずだ。だが返事はない。


「出てこい!!!」


 まだ激しく揺れがあったが、私は叫びながら走り回った。部屋という部屋のドアを蹴破り、中を探した。


 広い、荒れ果てた研究室に入ったところで、唐突に揺れが止んだ。そして声が聞こえた。


「わたしはここだ。」


 あの、建物全体に響くような声。どこから聞こえているのか分かりにくい。


「……この部屋だよ……」


 今度は聴覚で位置をとらえる事ができた。私は、研究室の奥へ進んだ。薬の入った棚や作業台を抜けると、大きなホワイトボードの前に大き目の椅子があった。誰かが座ってボードを眺めている。


「よく来たね。」


 椅子が回転し左を向いた。白衣を着た、やつれた男の横顔が現れた。


「君たちの言う、『黒幕』という者は、まあ、私のことだろうな。」


「あの子はどこだ。ここに来たはずだ。」


白衣の男は世間話でもするようにすんなり答えた。


「娘なら、すぐ近くで寝ている。もちろん、無傷だよ。」


 再び聴力を上げ、周辺の音を探った。十三階で何か、大きな生き物が蠢いている気配がするが、少女の呼吸は見つからない。こいつは嘘をついているのか?


「あんたには聞きたいことが山ほどある。大人しく投降してくれないか?それと、下にいる特大ゾンビも大人しくさせてくれると助かる。」


「投降か……それもいいだろう、ゾンビたちを大人しくさせることも、確かに私ならできる。だが……それには君の協力が必要だ。」


 どういうことだ?


「人探しをしていたのは君たちだけではないんだよ。私はずっと君を……いや正確には、君のように進化したゾンビを待っていた。」


 白衣の男は椅子から立ち上がり、近くのテーブルに置いてあったガスマスクを取った。テロリスト集団がつけていたガスマスクだ。


「このマスクは特注品でね、薬剤の吸入器にもなる。ワクチンの接種や抗ウイルス薬の服用にと、わたしが作らせたものだ。」


 落ち着いた口ぶりでマスクの説明を始めた白衣の男に、私はいら立ちを感じた。


「それの説明なんか後でいいだろう!」


「これは時間稼ぎなどではない……そもそも君たちは焦り過ぎだよ。ゾンビ達の動きはもう止まっている、先程の揺れはその合図なんだ。」


苛立ちは違和感へと変わった。ゾンビ達を止めただと?何のために?


「このマスクで使う予定だったワクチンは未完成なんだ。私の血や娘たちの血でも血清をつくったが、有効なワクチンにならなかった。」


 ずっと横を向いていた白衣の男が、始めて私の方を向いた。顔の皮膚の右半分が、ただれて腐っている。


「君の血なら、上手くいくと思うんだよ。」


 やはり、妙だ。


「俺の血があんたの血より優れている保証なんてないだろう!」


 白衣の男はゾンビウイルスの治療や予防の話をしているが、そもそもウイルスを世界に放ったのはこの男のはずだ。


「先ほども言ったが、君はゾンビとして進化しているんだよ。例えばこの研究棟での戦いっぷりは……実に高い身体能力だ。腕を触手化させるだけでなく、刃のように薄くできる。肉や体液を弾丸のように発射していたこともあったね。何より、急速な変異、連続の変異でも理性を保っている。」


 確かに、少女は私のできることすべてができるわけではないし、理性のコントロールが難しいという理由で、肉体の変異自体をあまり使いたがらない。


「私はね、人類には進化が必要だと考えた。理性的な進化だ。情動を暴走させるこのウイルスを乗り越えられた君なら、人類を導く存在になれるんだよ。」


 突然腑に落ちた。まさか、この男がウイルスを放ったのは……


「あんた、社会を作り変えるつもりだったのか。」


「より正確には、次のステージへの発展だよ。私の娘……長女は欠陥だらけの社会に迫害された。こんな理不尽は根絶すべきだ。一度この社会は終わらせよう、私はそう考えた。」


 白衣の男は相変わらず穏やかな口調で、さも当然の帰結であるかのように過激思想を言ってのけた。


「始まりは些細なことだった。研究所に混入したウイルスが、突然変異を起こしてね。長女に感染したんだ。最初感染に気づかず、うつ病の娘がとても元気になって、私は治療の成果が出たものと思った。しかしそれは一時的なもので、娘はすぐに暴走しだした。」


 彼は手に持っていたマスクを掲げた。


「このマスクの試作品があったから、私はこれを使い、鎮静剤を娘に吸わせた。娘は大人しくなったが、暴走した娘に引っかかれたことで、私もすでに感染していた。破壊衝動に飲まれ、助手たちに噛みついてようやく、私はこれが感染症だと気づいた。」


 白衣の男はくっくっと笑い出した。


「私もおかしくなっていたのかもしれないね。自身を含め、感染した者たちを隔離し、様々な薬剤や治療を試した。ああ、人体実験と呼んでくれて構わないよ。そうして私は、ウイルスの特性に気づいた。君も知っての通りの、狂暴化、出血、皮膚の壊死……そういう、症状だけじゃない、プラスの側面だ。」


 自分の話に興奮しだす現象は、以前リーダーがゾンビ化した時もあった。白衣の男の理性のコントロールは不完全といえるだろう。


「娘には抗うつ剤に近い効果が見られた。長女は時折理性を取り戻し、活発だった頃に戻った。私はこのウイルスに可能性を感じ、研究所内にウイルスを広め、さらなる『サンプル』を集めることにした。」


彼は今や狂気的な笑みを浮かべていた。


「……そして、このウイルスが宿主の精神状態および遺伝子によって症状が変わることを突き止めたのだ。」


 遺伝子……この男と娘たち、あるいは私と甥のような、血縁者同士で理性を保つ特徴が一致するのはそのためか。


「抑うつ状態の人間や、理性的な言動が習慣化された人間のような、特殊な精神状態、これが第一条件だ。さらに第二条件である遺伝的要因が重なると、ウイルスによる凶暴化は軽度に抑えられる。」


 甥は理性を保ったのに対し兄が発狂した理由が分かった。私の兄は昔から感情的なタイプで、白衣の男の言う、第一条件を満たしていなかったのだ。


「ウイルスにはもう1つのプラスの側面がある、それが肉体の変異だ。二つの条件を満たした者は肉体の変異をも理性で制御できるようになる。生物の常識を覆すほどの変異だ……私はこれに気づいた時、一つの計画を思い付いた。」


 その「計画」の察しがついた。彼の目が輝いている。顔の腐った側も、目だけは生きている。


「ウイルスを世界に放ち、人類を『振るいにかけれ』ば、私の理想とする社会を構築出来るのではないか?正しく理性的である人間だけが、種としての進化を果たせるのだ!」


 私は思わず叫んだ。


「ふざけるな!『正しく理性的』だと?死んだ人間たちは愚かで間違っていたとでも?!」


「その通りだよ!最低でもその可能性があった!欲にかられた人間は共同体を顧みない!人類史は奪い合いと傷つけあいの繰り返しだ!私はそれを終わらせる!」


「そんなものはただの独裁だっ!」


 白衣の男は高笑いした。


「独裁で結構!私の理想が叶うなら汚名など小さな問題だ!」


 頭に来た。


 私白衣の男にとびかかった。彼が反応できないほどの速さで距離を詰め、首に左手をかけた。右手の五本の触手は全て展開し、蛇のように彼の体に巻き付けた。抵抗は封じた。


「あんたが自分の好き放題やりたいってならこっちもそうさせてもらう。」


「私を簀巻きにして連行しようというわけか。」


「少しでも妙な真似をしたら四肢を切断する!」


 白衣の男は少しも焦りを見せない。それが不愉快だ。


「言え!あの子はどこだ!近くにいないのは呼吸音でわかってるんだ!」


 白衣の男はせせら笑いながら言った。


「だから焦りすぎだよ。君は人類を導く存在なんだから、もっと理性的になりなさい。」


 急に目の前が真っ暗になった。


 次に、私の首根っこが後ろから捕まれ、勢いよく投げ飛ばされた。私は慌てて空中で回転し、着地した。


 そして何が起こっているか理解した。


 触手だ。黒々とした巨大な筋触手が、床、壁、天井の至る所から生えている。全部で八本、あの少女のものと同じ数だ。そのうちの一本が、白衣の男に巻き付いた私の触手をはがしている。それで気づいたが、私は両腕を切断されていた。


「腕を切ってしまってすまない。しかし娘たちは私を助けようとしたんだ。」


 娘たち、だと?


「君にはすべてを話すつもりだ。例えば、どうして私の娘たちは一体化しているのか、とかね。」


 触手の一本が私に襲い掛かってきた。私はそれをかわし、体をひねって回転蹴りで触手を切り落とした。


 白衣の男が制止に入る。


「待つんだ、争いは望んでない!」


 私はそれを無視し、切り落とした触手の切り口に、自分の両腕の切り口を合わせた。肉の接合が始まる感覚がする。


 それをさせないとばかりに、触手が次々襲い掛かってきた。


「肉体の融合もできるとは!」


 白衣の男が感心している。私は触手の連撃を避け、腕の再生を済ませた。再生といっても、骨は作らず、触手としての機能しかない仮の腕だ。


「彼を殺してはならん、捕まえるのだ!」


 私は触手を薄く硬化させ、太い触手たちを次々切り落としていった。動きは速いが的が大きいため狙いやすい。これならなんとかなる、


 そう思った瞬間、私は天井に衝突した。


「なん、でっ……」


 私は近くの作業テーブルの上に落ちた。壁や障害物、天井の高さは把握して動いていたはず。


 しかし、私の認識は間違っていた。天井が、下がっていたのだ。それだけではない、床がせりあがり、棚や壁がこちらに接近してくる。研究室全体が、収縮していた。


「外のゾンビか!」


 巨大触手の先にいる本体が、部屋ごと押しつぶそうとしているのでは!


 部屋の出口を探したが間に合わなかった。部屋の中にあったすべてのものが、津波のように押し寄せてきて、私はそこに埋もれ身動きできなくなった。


「やはり、こうして捕まえてしまうのが手っ取り早いのかもしれないな。」


 がれきの上に白衣の男が立って、こちらを見ていた。


「先に説明しておくとしよう。君たちの想定より私たちは巨大なのだよ。今やこの研究棟全体が、私の娘……長女と融合している。」


 建物全体だと?


「だから好きな場所に目や耳や舌、触手や管を作れる。建物の構造をいじくることもできるから、このつぶれた部屋も後で戻せる。」


「長女といったが、八階にいた蜘蛛ゾンビはあんたの娘じゃないのか。」


「あれは私が集めたテロリストの一人だよ。長女の血を与えて同じ能力になるか実験したんだ。」


 この男は自分の理想のためにどれほどの非道を重ねてきたのだろう。


「さて、話が途中だったな……ああ、動けないからと言って、目から体液を発射しようなど考えんでくれよ?こちらも手荒な対応をせざるを得ない。」


 白衣の男は私を説得するために、これまでのすべてを話すつもりらしい。聞く気になれないが、聞くしかなさそうだ。


「ゾンビ化ウイルスの性質と可能性に気づいた私は、社会を作り変えるための準備を始めた。ウイルスをただ外に出せばいいというものではない。全世界、同時多発的にやるのが理想だ。」


「それは調べがついている。社会に不満を持つ人間を騙して集めたんだろう?」


 白衣の男は楽しそうに笑った。


「さすがにここへ来るだけのことはある、良く知っているね。実行組織の幹部が一人逃げたときいてはいたが、彼かな。」


 やはりこいつは、ガスマスク集団を捨て駒としか考えてなかったのか。


「あんたが利用して切り捨てた人たちは、あんたと同じように社会の闇に苦しんだ人たちじゃないのか?」


「切り捨てた?何か勘違いしてないかい?実行組織の幹部メンバー達には感謝しているからね、彼らには私の作る新たな社会の一員になってもらうことにしたんだよ。」


 三度目の地鳴りがした。今度は、自分のいる場所ごと動いている感覚がした。


「君に見せてあげよう。これが私の作る社会の最初の一歩だ……おいで!!!!」


 白衣の男が声帯を強化して叫ぶと、これまで見た中で一番大きい筋触手が現れた。山腹にトンネルを作れそうなほどの太さだ。


 いや、違った。


「触手、なのか……?」


 首だった。蛇のようで、口も目もない巨大な首。それが頭部だと判別できたのは、先端に小さく、人の頭が見えたからだ。


「君の視力なら長女の顔が見えるはずだ。ちなみに、役目を終えた幹部メンバーたちもこの中に取り込んである。」


「何っ?!」


「街でうろつく変異ゾンビと違い、取り込んだ人間は生きている。皆で意識や感情を共有しているんだ。これが、新しい社会の形の第一歩だ。」


 これを人間の共同体と呼んでいいものか、私にはわからなかった。


「ほら、新入りたちだ。見てごらん。」



 巨大な首の、濁った半透明な体の中で、魚のような何かが漂っているのが見えた。


 それは、ガラの悪い男だった。白衣の男が付け加えた。


「がれきの下敷きにしてしまうのももったいないと思ってね、取り込んでおいたんだ。」


 よく見れば、神経質そうな男やひっつめの女、他にも道中置き去りにしてきた仲間たちが、『社会』ゾンビに取り込まれていた。そして、


「あっ!」


 少女がいた。近くにいるというのはこういうことだったのか。


「あんた、自分の娘を取り込んだのか!」


「その通り。次女はウイルスに適応できた人間だったから、取り込んでからというもの、触手の調子がいいんだ。」


 白衣の男は一切の罪悪感がないようだった。


「やはり次女にもウイルスを感染させたのは正解だった。このウイルスは宿主の体の中で急速に変異していく。元は同じ長女のウイルスでも、宿主が違えば異なる症状になるのだ。ならば、次女の体を経由したウイルスは、より人間と調和的なウイルスとなるのでは、私はそう考えた。」


 一家の中で一番、あの少女がウイルスになじんでいるようだし、その体内で変異したウイルスを『逆輸入』することで、さらなる適応を目指したということか。


「そんなに大事な被験者を、どうして数か月も野放しにしたんだ。」


「次女が逃げ出すことは想定外だったが、血液は保管していた。それで十分だと思ったんだよ。実際には、取り込んだ新たなウイルスは元からいたウイルスと競合をおこし、次女のような適応は得られなかったが。」


 確かに、社会ゾンビについている長女の顔は見るからに理性を失っている。白衣の男も、顔の半分が壊死したままのあたり、適応は上手くいってないのだろう。


「しかし実験の過程で解決策が見つかった。脳を一緒に取り込むことで、異なるウイルス同士は競合を起こさず、それぞれの特徴的な症状を引き継げる。そこで私は、敷地内にいたゾンビ共を片っ端から長女に取り込ませた。」


 社会を名乗るだけあって彼の長女は相当数のゾンビを取り込んでいるのだろう。それ故のこの巨体なのだ。


「素晴らしい成果だと思わないかい?ここに取り込んだゾンビ達は本体から分離することもできるんだ。分離したゾンビ達は私達の意思を引き継ぎ、簡単な命令ならこなす事ができる。あれを見てくれ。」


 私を包んでいる瓦礫が動かされ、地上が見えるようになった。視力を上げなくてもわかるほど、ゾンビが集まっている。


「彼らはいわば兵隊だよ。研究所の外に派兵し、感染を広めて帰ってくる。君たちが突破してきた護衛のゾンビ達は、無数の兵隊のごく一部に過ぎない。」


 偵察隊の報告にあった、『研究所に向かうゾンビ』を思い出した。やはり全て白衣の男の仕業だったのか。


「だが所詮はゾンビ……次女を探すという命令をこなすほど理性が残っていなくてね……すでに理性を失ったゾンビを何人取り込んでも、長女の理性は完全には回復しなかった……正直、困っていたんだよ。このままではゾンビの国を作ってしまうはめになる、とね。」


 社会ゾンビが瓦礫を動かし、再び私は白衣の男に面と向かった。


「そこへ君たちが現れた。しかも次女を連れて来てくれた……」


 白衣の男は心底嬉しそうに言った。


 私は悔しかった。これまでの全ての努力が裏目に出ていたのだ。


「すでに次女は取り込んだ……六階で暴れていた君たちの仲間の女も取り込んだ……おかげで長女の様子はかなり安定したが、まだ足りない……ゾンビ化ウイルスを完全に制御できている人間が必要だ。」


 それが、私か。


「君を吸収すれば、『新たな社会』は完成すると思うんだ。長女をはじめ、取り込んだ人間・ゾンビ達が全員、理性を取り戻せるんだ!だから頼む!協力してくれ!」


「もう俺を拘束してるんだ、そのまま取り込むだけなんじゃないか?」


「無理矢理ではダメなのだ、君ほどのゾンビなら、意志の力が症状に影響を与えるからね。君の脳で、この集合体を制御して欲しいのだ。」


 正直、このマッドサイエンティストに従うしか、私の選択肢はないと思った。個人的には今すぐにでもこの男を殺してやりたかったが、仲間を人質に取られている。私が『新たな社会』を導く存在になれば、意識が戻らない仲間も、ゾンビ化してしまった人達も助かるのだ。


 これが、正解なのだ。


「わかった。俺はあんたの提案に乗るよ。あんたの身勝手の被害者達を救えるなら、喜んでこの身を捧げよう。」


 白衣の男は顔をほころばせた。


「ありがとう!君は人類の救世主だ!」


 社会ゾンビの首が、私に近づいてきた。体表から細い触手が何本も生えてきて、私に巻き付き固定した。そして私を抑えていた瓦礫が緩み、私の体は摘みあげられ、『新たな社会』へと引きずり込まれた。



 

B


 真っ暗だ。何も聞こえないし、何も感じない。


 私の頭の中に、声が流れ込んできた。


「もっと食べたい!!!」

「眠い……」

「お腹空いた!!!」

「セックスしてえよお!!」

「痛い!もう嫌だ!」


 ゾンビ化した人間たちの欲望や情動といったものが暴走しているのだろう。こういう狂気的なものに触れると、私は途端に冷めてしまう。


「静かにしてくれよ。」


「欲しい!欲しい!欲しい!」

「食べたいよお!!」

「体が止まらない!!熱い!!」


「黙れ!!!」


 私が思わず一括すると、喧騒は消えた。頭が少し熱くなっている。


「落ち着け、俺。」


 途端に、頭の熱も和らいできた。


「さすがだよ、この空間で意識を保てるとは。」


 白衣の男の声がした。どうやら彼も今この中に融合しているらしい。この声も、聞こえるというより頭の中に流れ込んでくるといった感じだ。


「俺はどうすればいい?」


 すぐに返事がきた。


「君の方からも肉体の同期を意識してみてくれ。いつもやっているようにな。」


「わかった……くっつけ。」


 急に、全身が締め付けられるような感覚がした。恐らく、これでいいのだろう。


「みんな、聞こえるか、俺だ。」


 先に社会ゾンビに飲み込まれている仲間たちに、呼びかけてみた。


「え、おじさん?」


 あの少女の声だ。意識を取り戻したらしい。


「そうだ。俺も取り込まれちゃったよ。」


「うそ……」


「今、このバカでかいゾンビを内側から操れないか試してる。もともと分離能力があるらしいし、上手くいけばみんな外に出られるかもしれない。」


「それは無理だよ……」


「え?」


「だってお姉ちゃんが、うっ……」


 少女の声が途絶えた。


「どうした?おーい?」


「何かあったのかい?」


 白衣の男が聞いてきた。


「あんたの娘、次女の方だ……分離は無理だって言ったきり声が聞こえなくなったんだ。」


「なんだと?私にも説明がつかな……」


 白衣の男の声も途絶えた。何がどうなっている?


「くそ……とにかく、このでかい体の支配権をもらおうか。」


「……この体は渡さない……」


「誰だ?」


 今の声は思い当たる節がない。


「……お前には消えてもらう……」


 突然、体が急降下し始めた。重力をはっきりと感じる。


 そして視界が開けた。私は外に出たのだ。


「なっ!」


 さらに下を見て気づいた。私は落下していた!研究棟の十四階から、地上に向かって落とされていたのだ。


「なんだよ!もう!」


 私はいつの間にか右手の触手を素早く伸ばし、建物の窓枠に引っ掛けた。右肩に体重がかかり、落下が止まった。


「いったいどうなって、」


 すぐ近くで、研究棟の外壁が割れた。爆発音がし、大きな触手が二本飛び出してきた。


 その二本がすぐに私に襲い掛かってきた。私は窓枠に捕まっていた触手を離し、薄く硬化させると、身を翻して二本を切り落とした。


 建物から触手が飛び出したってことは、まさか!


 思考をまとめる暇もなく、次から次へと触手が壁から生えてきた。全て私を狙っている。


「足場がいるな。」


 再び落下し始めた私は、触手で建物の窓を割り、そのまま中の床に先端を突き刺した。


「ふん!」


 触手で体を引き寄せ、そのまま建物内に入った。外の触手が追ってくるのが見え、私は奥へ走り出した。とりあえず、十四階に戻ってみるか。今何階にいるのかわかってないが、天井に穴がいくつも開いているので八階以上だろう。


「うわっ、」


 壁のいたるところに目が生えており、さらに口も生えている。


「まずいっ!」


 粘着質の舌が発射されてきた。私はそれを躱しながら走った。背後に太い触手が迫ってきているのも感じる。この連続攻撃は間違いなく、社会ゾンビによるものだ。なぜだ?


 私は触手や舌を切り落としながら、天井の穴から上の階に入った。するとそこには、あの蜘蛛ゾンビが、群れで待ち構えていた。


「見つけた!」

「殺せ!」

「食い殺せ!」


「どういうつもりだ!」


 先頭の蜘蛛ゾンビの顔面に思いっきり左腕を突き刺しながら、叫んだ。


「俺と融合するのがお前たちの望みじゃないのか?」


 殺した蜘蛛ゾンビの死体と左腕を融合させ、血の弾丸として発射した。後続の蜘蛛ゾンビが全員動かなくなるまで、発射し続けた。


「……それはお父さんの考えよ……」


 はるか遠くで女性の声が聞こえた。『お父さん』?


 壁が迫ってきた。十四階でやったように、私を押しつぶすつもりらしい。


 だが今度は対策を考えている。私はまだ残っている蜘蛛ゾンビの死体に両腕を突き刺し、思いっきり発射した。大砲のような音がし、肉の砲弾は壁を丸ごと吹き飛ばした。外が見える。


「お前は、あいつの娘なのか?!」


 恐らく、少女の姉だ。理性を失っているんじゃなかったのか?


 私は崩壊した壁から外に戻った。待ち構えていたように触手が現れたが、それを数本まとめて切断し、切り落としたうちの一本に右腕を突き刺した。


「……どうしてもここに来る気なのね……」


「当たり前だ!」


 私の仲間たちが取り込まれたままなのだ。救い出さねばならない。私は右腕で突き刺した巨大触手を操り、屋上まで伸ばした。


「……させない……」


 壁から新たな触手が生え、私の伸ばした触手を切断した。


「それを待ってた!」


 すかさず、残った触手で壁の触手を捕らえた。そこを支えにし、私は一気に建物の壁面を駆け上がった。


「……来ないで!……」


 私の走っていた壁面が反り返った。研究棟がねじれ、歪み、崩れだしている。社会ゾンビは建物ごと私をつぶそうという魂胆だろう。


「なら仲間たちを返してくれ!」


 私は叫びながら、ぐちゃぐちゃになっていく鉄筋コンクリートをかわし、上を目指した。軽量化のため右腕に連結していた触手は切り離し、落ちてくる壁や天井の破片を蹴りながら、反動で上がっていった。


「……それはダメ、みんな死ぬのよ……」


「どうして!!」


 ついに屋上まで戻ってきた。社会ゾンビの首がこちらを睨んでいる。


「……もう終わりにしないと。お父さんは人間を選別しようとした。でもこのやり方じゃ上手くいかないわ……」


「そんなことは俺もわかってる!」


 私は崩壊した建物からのぞいている、赤黒い肉の部分に左腕を突き刺し、体を固定した。


「……私、分かったの。人間の本質は弱さにあるって。弱いからこそ傷つけあう。ウイルスで怪物になってもそれは変わらない……だからもう、全て終わりにするのよ……」


 それに反駁したのは白衣の男の声だった。


「人間は変われるとも!選ばれし人間だけで不死の肉体を分かち合えば、恒久的な平和が実現する!もうお前が傷つくこともなくなるんだ!」


 彼も外に追い出されたらしい。社会ゾンビの肉体にしがみついていた。


「……お父さん、私はね、いまだに信じられないの。自分が生き残るべき人間だってこと……」


「お前は生き残るべき人間だよ!!ウイルスはお前を選んだんだ!」


「……私は弱者よ!社会についていけなかった!社会から必要とされなかった!……」


「そんな社会は間違っている!だから作り変えるんだ!」


「……作り変えても同じよ!怪物になっても私は臆病でうたれ弱い人間のままという自覚があるの!ここにいると、取り込んだ人たちの声が聞こえるわ。みんな同じように、自分の弱さに苦しんでる人間だってわかった……」


「あの男を取り込むんだ!脳機能が融合しお前の言う弱さも、全て補ってくれる!」


 白衣の男の悲痛な叫びは、我が子を愛する一人の父親としてのそれだった。私は思わず、兄を思い出した。


「……だめよお父さん、私はもう、可能性というものを信じてないの。自分自身にも、そして人間というものにも……」


「お願いだから、」


 白衣の男は懇願の言葉を最後まで言い切ることはできなかった。社会ゾンビの体から細い触手が鋭く伸び、男の首を貫いたのだ。


「……さよなら、お父さん、ありがとう……」


 白衣の男は信じられないという顔のまま、息絶えた。


「……さて、次はあなたね……」


 社会ゾンビの首の先、小さく飛び出している女の顔は、どこか悲しげだった。


 私は彼女に問いかけた。


「あんな狂った男でも、死んだら心が痛むだろ。」


「……ええ。とても苦しいわ。叫びだしたい……でも……」


 彼女の表情が虚ろになった。


「……そういう……感情が荒れ狂うことから、もう、解放、されたいの……」


 社会ゾンビの首筋に無数の目、耳、口が浮き出てきたのが見えた。


「……私の中、の、みんなが、か、解放されたがってる……ダカラ、全部終わリに、スるノ……私ハ、みんなヲたべテ、ミンナデ、ネムル……ずーっと、ズーット……」


 彼女は、狂気に飲まれることを選択したようだった。


「アアアアアア、ヒトダァァァァァアアアアア!!!!!!」


 社会ゾンビは私に向かって咆哮した。


 次の瞬間、社会ゾンビの全身から次々と細く鋭い触手が飛び出した。数えきれない。すべて私に向かってくる。


 私は足元にあるコンクリートの巨大な破片を右手ではがした。とっくに両腕の骨格は再生し終えている。ここからが本番だ!


「うおおおおお!!!」


 私はコンクリート片を振り回し、針のような触手を次々弾いた。


 社会ゾンビの首から、何かが剥がれ落ちてきた。顔だ。大きい。四体降ってくる。私は突き刺していた左腕を離し、落下することで巨大顔面との距離を取った。


 巨大顔面はそれぞれが独立したゾンビらしく、蜘蛛のように脚が八本ずつ生えている。その足でがれきの間を高速移動し、口を開閉しながら迫ってきた。自由落下する私より速い。


 噛みついてきた一匹を避け、その額に腕を突き刺した。このまま肉の砲弾に変えてやる。


 しかし、私が発射するより先に、巨大顔面は爆発した。


 私は吹き飛ばされて建物外壁に突っ込みかけたが、すんでのところで体勢を変え、両足をコンクリート壁に突き刺してこらえた。


 下を見ると、今度は地上にいたゾンビたちが上ってきている。こちらもすさまじい速さだ。


「来るなら来い!!!」


 右腕の触手でゾンビを一体捕まえ、そのまま鈍器として振り回した。近づくゾンビ達をなぎ払い、さらに頭上に迫った巨大顔面に思いっきり叩きつけた。


 巨大顔面が爆発し、また私は吹き飛ばされた。


 宙に浮いた私に、ゾンビ達が飛びついてくる。


 私は肋骨を剥き出し、ゾンビたちを串刺しにした。


 だが飛びかかってくるゾンビは後を絶たない。


「なら、全員食ってやる!」


 全身の筋繊維と神経をほぐし、まとわりついたゾンビたちに絡めた。肉体の融合が始まる。


「うっ、」


 ゾンビの脳とも融合したことで、私の脳内に彼らの意思が流れ込んできた。


「解放シロ!」

「人類ヲ残ラズ!」

「生キテイル事カラ解放シロ!」

「全部終ワリニシヨウ!!」


 感情の波にのまれそうだった。


 そうか、これが彼女の思いか。


「私ガ悪イ!私タチガ悪イ!」

「モウ消エテナクナリタイ!!」

「苦シイ!辛イ!」

「何モ考エタクナイ!狂ッテシマイタイ!!」


 ゾンビに覆われて真っ暗なはずなのに、様々な景色が見えた。


 顔を真っ赤にして怒鳴りつける太った男の顔。


 意地悪な目つきをした中年の女が何か言っている。


 パソコンの画面から視線を上げると、暗いオフィスには誰もいない。


 SNSの画面で自分で打った「死にたい」の文字を消している。


 鏡に向かい、目の下のクマをファンデーションで懸命に隠している。


「もういい。わかったから。」


 私はつぶやいた。


「今楽にしてやる。」


 残像のような景色が消えた。頭で響いていた声がやんだ。いつの間にかゾンビの群れも、巨大顔面たちも消えていた。かわりに、とてつもない大きさになった私の手足が視界に映った。背丈は三十メートルはあるだろうか。私は巨人になっていた。


 目の前に、ほとんど廃墟と化した研究棟があった。無数の触手が建物から生えており、崩れ切った屋上からは社会ゾンビの首が生えている。さすがに大きさではまだ向こうの方が倍以上あるが、力の差はかなり縮まったと言える。


「いくぞ!!!!」


 私が叫ぶと、呼応するかのように、両肩から追加の腕が生えてきたのを感じた。同時に四本の腕の先それぞれを薄く硬化させ、剣状にした。


 社会ゾンビが立ち上がった。とうとう研究棟は完全に崩壊し、社会ゾンビの全身が初めて姿を表した。恐竜のように四本足で体を支え、体中に生えているたこのような触手をこちらに向けて構えている。


 私はそこに突進した。


 触手が槍の雨と言わんばかりに降り注いだ。私は四本の腕を振るいことごとく切り落としたが、触手は切られたそばから再生していた。


「もっと速く!」


 剣を振る速度を、触手が追い付かないほどに上げる!


 だが簡単ではない。触手の連撃を防ぐので手一杯なほどだ。


「こんなものじゃないだろ!」


 私の腕が熱くなった。剣を振る速度が上がった。


 負けじと、触手の攻撃も苛烈さを増した。


「みんなが待ってるんだ!生きて帰ると約束したんだ!」


 私の剣が速くなった。


……もっと熱くなれ……


「死んでいった人に報いるためにも!!」


……もっとだ、もっと力を引き出せ……


「俺は生きたいんだ!!!!」


 剣を振る速度がついに、触手の再生するスピードを上回った。触手が減っていく。


 しかし今度は切られた触手が動き出し、私の体に噛みついてきた。


「そいつらも取り込め!」


 私の体が触手片と融合した。取り込んだ肉塊を背中に集める。剣をさらに激しく振り、どんどん触手を減らしていった。


 すると今度は社会ゾンビが、肉の砲弾を撃ってきた。切られて短くなった触手を弾にしている。連射はよけきれなず、私の腕が一本吹き飛んだ。


 だがそれは捨て身の攻撃のはずだ。


「今がチャンスだ!!!!」


 私は背中の肉塊を開き、翼のように折りたたんだ、私の全身よりも長い脚を二本生やした。


「跳べ!!」


 背中の脚で地面を蹴り、私は宙へ舞った。社会ゾンビの首は真下だ。


 社会ゾンビが叫んだ、いや、笑っているようにも聞こえる。全ての触手が一斉にこちらを向いている。


「うおおおお!!!」


 私は三本の剣を構えた。狙いは首だ。


 爆発音がし、社会ゾンビの触手が全弾発射された。空中にいた私にはもちろん、避けるすべはない。全て直撃し、私の巨体が崩れていくのがわかった。


 だが、一瞬早く、私も発射していたのだ、私自身を。


 ボディは囮だ。私の本体を弾丸として、社会ゾンビの首に撃ち込む!


 思惑通り、私は首の中に飛び込んだ。


「今度こそ、体をもらうぞ!」


 私の意識が社会ゾンビの意識と融合し始めた。


「ヤメテ、来ナイデ!」


 脳内で彼女の叫びを聞いたとき、私は微かに躊躇いを覚えた。理性を取り戻すことが彼女にとっては苦痛なのだ。情けに近い躊躇いだった。


 しかし、私は冷徹に言い放った。


「だめだ、全て返してもらう。」


 そして私の意識に、正も負も、あらゆる感情が流れ込んできた。



最終話Endingに続く


長女はあえて狂気に身を任せていた節があります。パパとドッキングするときは、パパが体の主導権を握るんですって。次回、完結です。

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