絃歩、その能力とは
「なんだあれ……」
妹から目線を外したレクが呟く。兄の見つめる先には、机に置かれた二枚の書類があった。
さよはベッドから立ち上がる。自分が座っていた部分がシーツに跡を作っている。窓際に設置された小さな机から、さよは書類を手に取ると、また兄の元まで戻る。
二枚のうち一枚を手にしたレクの目を丸くした。
金色の模様が描かれた厚い紙には仰々しい文字で「契約書」と刻まれていた。その下に「第八条」まで要項が記してあり、署名欄がある。もう一枚、さよが手にした書類にはすでに自身の署名と拇印があった。
「お兄ちゃん、私"たち"、入ることになったの……」
さよは、伏し目がちに組織に加入する事実を告げる。
「……そうか。さよ、ごめんな」
レクの言葉にさよは顔を上げる。
「俺が、悪いよな。俺が、巻き込んじまったんだ、お前を」
「お兄ちゃん……」
「でも、安心しろ。これから危険なことが増えるかもしれないけど、絶対俺が守ってやる、お兄ちゃんが守ってやるから。だから」
レクは一つ一つの言葉を噛みしめるように思いを伝える。そして無邪気に微笑むと、さよの頭にポンと手を置く。そして愛おしそうにさよは頭を撫でられる。
「だから、大丈夫だから、お兄ちゃんに任せろ」
レクはそういうと自分のセリフに恥ずかしさを覚えたのか、照れ臭そうに笑った。
さよは目頭が熱くなるのを感じる。しかし、それを悟られぬよう、咳払いをしてごまかす。
「うん、任せた、お兄ちゃん」
涙を見せる代わりに。
さよは、今自分にできる、精一杯の笑顔を浮かべた。レクは、本日初めて見た妹の笑みに安心したのか、ホッと息をつく。
「よかった~俺お前に嫌われたのかと思ったよ」
「え、私が? どうして」
「だってお前なんか昨日の夜とか機嫌悪かったじゃん」
昨日の夜……ええと。さよは、顎に指を当て記憶をたどる。
ああ、そう言えば。
「そんなこともあったね」
さよは苦笑する。
「なんであんな怒ってたんだよ」
「ええと、それは……」
さよは兄から視線を反らす、必死に頭を働かせながら「設定」を考える。
「それは……嫉妬、しちゃって。あ、あはは」
「嫉妬?」
「そ、その。お、お兄、ちゃんの、強さに……? わ、私もお兄ちゃんみたいな力があったら、なーなんて……」
さよは引きつった笑みのままぎこちなく話す。レクは「はぁ~」とため息を吐き、やれやれと肩をすくめ首を振る。
「まぁ、しょうがないよ、さよ。人は誰しも弱いからな。力あるものに憧れるのは無理もないことだぜ、手に入らないことへの怒りを覚えるのもな。……ただ、そんな自分を責めちゃいけない。さよは何も悪くないんだ、悪いのは俺だ。強すぎる、俺がいけないんだ。ああ、なんて罪深い存在なんだ、俺は!」
先ほどまでの兄へ抱いた信頼は泡のように消え、激しい苛立ちが底から込み上げてきた。
何が「お兄ちゃんに任せろ」だ。お兄ちゃんのバーカ。
ただ、一人ベッドの上で「自分で自分が怖い……」と呟く兄が、今日はいつもよりおかしくって思わず吹き出した。
「あ、そうだ、さよ」
するとレクは何かを思い出したように、妹の方へ向き直る。
「安西……俺のクラスメイトを見なかったか、女の。髪が長くて、綺麗な女の子なんだけど」
「ああ、この前話してた転校生の子? 特に、見てはないけど……」
「そう、そいつ。おかしいな、帰っちゃったのかな。なんにせよ安西のお陰でここまで来れたんだ。もしかしたらっていうか多分、能力のことも見られたと思う……。明日ちゃんと説明しないとな……」
レクは遠くを見るような眼差しで、窓から闇に包まれた庭を眺めた。
先ほどまで彼が死闘を繰り広げていた場所は、すっかり夜の静寂に包まれていた。
☆ ☆ ☆
街灯が照らす夜道を坂本豪と乃木絃歩は制服姿のまま駆けていた。星が綺麗に輝く夜だった。
「さよちゃんの言ってたことほんとだったね~」
豪と絃歩は、先ほどの藤宮兄妹のやりとりを別室にてカメラを通し、映像で確認していた。
藤宮さよの言う通り、やられたはずの藤宮レクは記憶を一部失くして、意識を取り戻した。
「ご~ぉ~、人殺しにならなくてよかったね~」
走りながらニマニマと笑みを向けてくる絃歩を「フン」と鼻を鳴らして無視する豪。
「『ゴキブリ野郎』が『妄想ゴキブリ野郎』じゃなかっただけの話だろ」
「ねぇねぇ、レクくん気絶させた時どんな気持ちだった? お澄まし顔してたけど、焦った? 怖かった? 今まで育ててくれたお母さんの顔とか浮かんだ? ねぇ、どんな気持ちだったの? ねぇ。ねえねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」
「うるせぇなぁ! バカ絃歩! 一回そのだらしねぇ口閉じろ!」
夜の街に豪の怒鳴り声が響く。
「あはははは。おこったーおこったー」
絃歩は走りながら万歳をして喜びを表す。笑顔を浮かべていたかと思えば、一変して真顔になり「あ、化けた」とポツリ呟く。
「もう誰かを襲ってんのか?」
絃歩はクンクンと鼻を動かして、「ううん。まだ」と豪の質問に答える。
乃木絃歩はエナジーの察知能力に長けている。組織の中でも群を抜いており、豪とは比べ物にならないほどだ。
「ほんとお前は鼻が効くよな、前世犬なんじゃねぇの? ブルドッグとかがお似合いだぜ」
「え~やだ~、いとほプレーリードッグがいいでしょぉ~」
「それネズミだろ」
「あ、噂をすればいたよ~」
「プレーリードッグが!?」とツッコミたくなる気持ちを抑える。絃歩が指していたのは罪獣のことだ。
二人は駅の前で足を止める。
そして視線を上げ、隣接している高層デパートの屋上を見上げる。
「あそこだね~」
「みたいだな」
「高いね~」
「みたい、だな……」
とっくにデパートの営業終了時刻である二一時は過ぎている。入り口にはシャッターが下ろされており、侵入経路を見つけるのは骨が折れそうだ。何より、それまで敵が待ってくれる保証もない。とにかく、急いで屋上まで辿り着かなければならない。
豪は周囲を見渡す。時間も遅いので辺りに人は少ないが、無人というわけでもない。堂々と能力を発動するわけにもいかないので、大通りから裏道に移動するが時を停止してもこの高さを登ることは不可能だ。
自身の能力では不可能となると、残された選択肢は……。
「いとほの出番でしょぉ~」
絃歩は「はーい」と挙手をすると、背負っていたリュックからうさぎの人形「ミミちゃん」を取り出す。
「ね~ミミちゃん」
「絃歩、任せたぞ」
「絃歩と『ミミエル』にお任せ~」と軽快にその場でターンをして、絃歩は手に抱いた人形に口づけをする。
「豪、私の"カラダ"よろしくね」最後にそう言い残して。




