其の漆 4
突如として野太い声が響き渡るや、森の茂みから深い紫色のローブを纏った、太った老人が姿を現した。
綺麗に禿げ上がった頭に、垂れ下がった瞼。
ベアトリクスがまっさきに受けた印象は「溶けかかってる」というものだった。
「あぁっ! 隣のじじぃ!」
シビルが老人を指差した。
「じじぃというな。このガキが。アドルケ様と呼べ。命吹き込む者・アドルケ様とな!」
アドルケがシビルを怒鳴り付ける。
だがシビルも負けじと、アドルケを殺気だった目で睨み付けていた。
どうやらこの老人が、シビルを敵対視し、抹殺しようとしている人物であるようだ。
「なんであんたがここにいるのよ! あ! ……ははぁ、書き換えたときにしくじって、呑みこまれたのね」
アドルケの事態を悟り、シビルが鼻で笑った。
「ふん。貴様の混沌とした頭の中など理解できるものか。いや、理解する必要などない。貴様など協会に不要な人材なのだ。この混じり者が」
「少なくともあんたよりは必要とされてるわよ!」
シビルが断言した。
途端、アドルケの口元が痙攣したようにピクピクと引き攣れた。
「なんとでも云うがいい。どうせこの世界で朽ち果てるのだからな」
「そんなことないわ。扉は開いたのよ。すぐにそこを通って、研究室に帰ってやるわよ」
シビルががなる。だが、彼女の足が微かに震えていることに、ベアトリクスは気がついた。
シビルのこの態度は、精一杯の虚勢なのだ。
アドルケの態度に、腹立たしさが増した。
「それは無理だな。私の方が先に帰るのだ。数時間のタイムラグがある。その時間で本の設定を書き変え、この扉を閉じてくれよう」
「そんなことあんたにできるわけないじゃない!」
勝ち誇ったようにシビルが云う。だが、アドルケの余裕は崩れない。
懐に手をいれ、にやりと笑みを浮かべた。
「貴様のペンはワシがこうして持っておる」
アドルケがオパールの埋め込まれた、流麗なデザインの羽根ペンを掲げた。
「外にでたら、すぐに結末を書き変えてくれるわ。貴様らはここで――」
ザム!
嫌な音が響き、アドルケの腕がペンを握ったまま飛んだ。
腕がいきなり切断されたのだ。そう、ヌンが、あの赤竜を繋ぎ止めた小鎌を撃ち、アドルケの腕を刈ったのだ。そしてすかさずヌンは大鎌を展開すると、宙に待ったアドルケの腕を刃先に突き刺し、回収した。
「シビル」
奪回した世界を綴るベンをシビルに渡すと、ヌンはいらなくなった腕をアドルケに向けて放り投げた。
「返すぞ。これは御主のものだからな」
ヌンの平坦な声が響いた。
直後、アドルケが切断された右腕を押さえ、絶叫をあげた。
ヌンの鎌のあまりの切れ味に、腕を投げ渡されるまで、自分の右腕が切断されたこと気付かなかったのだ。いや、あまりのことに、現実として受け入れられなかったのかも知れない。
アドルケの右腕から、血がぼたぼたと噴き出るように滴っている。
ベアトリクスはその様にクラクラとしてきたが、いま気を失うわけにはいかない。
真っ青な顔のベアトリクスを心配したのか、シビルが不安そうな顔でベアトリクスを見上げながら、握っている彼女の手に、ほんの少し力をいれた。
アドルケが血走った目でヌンを睨み付けた。
「ワシに手を上げることがどういうことかわかっておるのか? 貴様など死刑に――」
「私は人間ではない」
ヌンは淡々とした口調で云った。
「命を吹き込む者などというからには、さぞ高名な傀儡師なのだろう?」
「そうよ。あのじじぃは悔しいけど、帝国最高のゴーレムクリエイターなのよ」
シビルがアドルケを指差した。
「笑止。傀儡の第一人者がこの私を人間と誤認するとはな。御主の実力など、我がマスターの足元にも及ばぬ。身の程を知れ」
そしてヌンは声のトーンを下げ、さらに言葉を続けた。
「私は人形だ。人に造られし者だ。更に云えば、私はロゴスダウに属す物ではない。なにしろ、違う時代の者だからな。御主の云う法になど括られておらぬ」
その言葉の意味するところを察し、アドルケはたじろいだ。
死の象徴を持つ自動人形は、その象徴に相応しい行動を選択する。
即ち――
「さぁ。御主は殺し合うことを所望だ。ならば、すぐにはじめようではないか。御主の力が、ここに至るまでに屠ってきた竜よりも上であることを望む。でなければ、興醒めだ」
そういうや、ヌンは大鎌をアドルケに向け突き出した。
アドルケは痛みに脂汗を流しながら、唇を噛んだ。
例え人形とはいえ、この目の前にいるモノは、竜を屠る程の戦闘能力を持っているのだ。たいした攻撃魔法も使えない、ゴーレムクリエイターが敵うはずもない。
「ならば、貴様たちをここに足止めし、この世界ごと葬りさるまでだ!」
「宣言したな。ならば私は御主を誅す! 私は御主のような人間は大嫌いだ!」
ヌンが大鎌を振り上げた。と同時に、アドルケが炎の球を撃ち放った。それもベアトリクスたちに向けて。
ヌンが慌てて大鎌を横殴りに振り、炎の球を払い落とした。たちまち、大鎌と、炎の球の落ちた岩が炎の包まれ、あたりに熱波を撒き散らす。
その隙にアドルケは、扉の前にまで逃げ出していた。
「下衆め。卑怯ぞ!」
「黙れ人形。貴様の相手は別のものがしよう。来れ! そしてこやつ等を食い殺せ!」
アドルケが叫ぶ。すると森が震え、何かが上空に飛びあがった。
森の木々より枝葉を撒き散らして現われ出でたもの。それは青い巨躯を誇りし雷竜!
「うそ! なんで四匹目がいるのよっ?」
シビルが驚愕の声をあげた。
「貴様等の相手はそやつがしてくれる。その間に、私はこの世界を滅ぼすとしよう」
そう捨て台詞を残し、アドルケが扉の向こうに姿を消した。
そしてその扉を護るように、青竜が降り立ち、威嚇する。
ヌンは大鎌を構えたまま、足を止めた。
下手に動き、もしブレスを吐かれたら、ベアトリクスたちを守りきることはできない。
かといって、時間を掛けるわけにもいかない。外に出たアドルケが、この本を破壊しようと画策しているのだ。時間を止められ、無敵となっている本とはいえ、所詮は魔法具だ。その術式を解き、破壊可能にすることは、できないことではない。
だが……。
ヌンは歯を軋ませた。決断するしかない。
ブレスを吐く前に、首を刎ねるのだ!
「待って、ヌン! あの竜、変よ!」
踏み出そうとしたヌンが、ベアトリクスの声に動きを止めた。
青竜は動かず、いまだに威嚇している。
「どういうことだ?」
「だって、あいつ、私たちを殺したいのなら、あの竜にブレスを吐かせればそれで終わったわ。この距離じゃ、ヌンだって全員を助けるのは無理だもの!」
確かにそうだ。だが目の前にいる青い竜は、まぎれもなく雷竜だ。電撃のブレスを吐く、危険な竜なのだ。
いったい、ベアトリクスはなにを云わんとしているのか?
「ベアトリクス、要点を頼む」
大鎌を構えながら、ヌンがベアトリクスに云った。
「つまりはこういうことよ! 図書館でこの本に入ったのは、私たちふたりじゃなく、三人だってことよ!」
そう、ベアトリクスは、いまさらながらに思い出したのだ!
三人目の存在を。
ヌンの口元に笑みが浮かんだ。
アキコや、彼女のマスターが見たら、きっと驚いたに違いない。
「そういうことか。あの馬鹿が、あの下衆に操られたというところか」
「きっとそうよ!」
「ど、どういうことなの?」
ベアトリクスの腰にしがみついているシビルが尋ねた。
「あれは人間よ。変身の術で化けているのよ。中身はただの変態よ!」
「へへへ、変態?」
ベアトリクスの云わんとすることを理解できず、シビルはただオロオロとしていた。
ロロやネネも同じらしく、ベアトリクスの足にしがみついている。
「シビル。四匹目は絶対にいなかったんだな?」
ヌンが尋ねた。
「うん。それは、絶対にそう」
「この世界の中から、設定を変更することはできない。そうだな」
「うん。できてたら、私、ひとりで外に出られたわ」
「……ならば確定だ」
シビルの答えを聞くや、ヌンは一気に青竜へと間を詰めた。
位相術による変身術。これは、姿形を変えるだけで、その本質は変わらないタイプの変身術である。いうなれば、粘土細工のようなものだ。粘土でどんな動物を形作っても、それは粘土でしかない。つまり、目の前にいる者は、例え竜の姿をしていたとしても、それは人間でしかないということだ。
よって、ブレスを吐くことなどできない!
ヌンは振り下ろされた前足を掻い潜ると、大鎌をぶんと振った。
ごすっ!
狙いは違わず、大鎌の背、柄の先が青竜の側頭部に直撃し、えらく鈍い音が響いた。
果たして、青竜はくりんと白目を向くと、ばったりとうつぶせに倒れてしまった。
「弱っ」
シビルが呆れたような声を上げた。
怯えていたのが馬鹿みたいだ。
やがて青竜の体が輝き出し、みるみるうちにその姿が変わっていった。
そして瞬く間に人間の姿に変わってしまった。
間違いない。図書館で大騒ぎをした、あのジャレッドだ。
もちろん、またしても裸だ。
ベアトリクスは顔をしかめると、目を背けた。
「やれやれ。すっかりハメられたな。恐らくヤツは目的を達するだろう。ベアトリクス、急ぐとしよう。世界が消える前に」
得物をホルスターに納め、ジャレッドを担いだヌンが云った。
「うん、そうね。急ごう」
ヌンに向かって足を踏み出したとき、シビルがベアトリクスの手を離した。
慌てて足を止め、ベアトリクスは振りかえった。
シビルは、悲しそうな顔をしていた。
「それじゃ、ここでお別れだね。お姉ちゃん」
シビルが寂しそうに云った。
シビルには伝えた。
元に時代に戻っても、命を狙われると。
そして、それを避けるために、自分たちと一緒に行こうと。
それでも、シビルはそれを拒む答えを云った。
ベアトリクスはしっかりとシビルの顔を見つめた。
彼女の思いを知るために。
そしてひとつ息を吸いこみ、しっかりと大地に足を踏みしめて立つ。
ベアトリクスは決断した。
それは、自分の想いに忠実なこと。
「一緒に行こう」
ベアトリクスはシビルに右手を差し出した。
このままここで別れれば、もう二度とシビルとは会えない。そして、シビルは死ぬのだ。例え、敵対するものがいなくなったとしても、ロゴスダウ大帝国滅亡に巻き込まれ、死んでしまうのだ。
そんなのは嫌だ。
絶対に嫌だ。
だからベアトリクスはシビルに右手を差し出した。
「え、で、でも」
「ひとりぼっちなんでしょう?」
シビルが俯く。
家族はもう、とっくにいないも同然だ。自分は、協会に売り飛ばされたのだから。
それも、厄介払いができると喜んで。
そして協会でも、自分の存在は疎まれている。
でも……。
「きっと、強く手を握っていれば、わたしたちと一緒に行けるよ」
根拠はない。まったく根拠はないが、ベアトリクスはきっと大丈夫だと、信じていた。
この本は不完全なのだ。きっと、違う時代の者が一時にでようとしたら、本は迷うに違いない。そして自分たちはふたり、シビルはひとりだ。
きっと、大丈夫。
だが、シビルは拒もうと、しっかりとベアトリクスの顔を見た。
そこは自分の帰る場所ではない。
自分のいていい場所ではない。
そう、云おうとしたとき――
「シビルと離れるの、寂しいよ」
ベアトリクスが云った。
その言葉に、シビルの目から涙がこぼれた。
シビルは決断した。
どうなるかわからない。
ううん。どうなったって構わない。
シビルはベアトリクスの手を掴んだ。
両手で、しっかりと、抱きかかえるように。
それを確認したヌンが、ベアトリクスの左手を握ると、光る扉に飛び込んだ。
瞬く間に世界は白い闇に包まれ、やがて、なにも見えなくなった。




