其の漆 3
蒸気竜は再び西瓜の前でぺたんと座り込み、鼻から蒸気を立ち上らせていた。これで口にパイプでも咥えていたら、まさしく一服中のおじさんといえる。
ベアトリクスはその蒸気竜に向かって、無造作にテクテクと歩いていった。
泉のほとりを散歩するかのように歩いて来るベアトリクスに、蒸気竜はすぐに気付いたようだが、特に攻撃してくる様子はない。泉に入ったりしたりしなければ、この竜はなにもしないのだ。
やがてベアトリクスは竜の目の前にまで到達した。
その様子を茂みからみていたシビルたちはハラハラとして、気が気ではない。
「こんにちは。ドラゴンさん」
ベアトリクスが陽気に挨拶をした。
もっとも、本心は全速力で逃げ出したいほどに怖いのだが、そんな雰囲気は微塵にも滲ませていない。
竜は目をぱちくりとさせていた。
『不思議なこともあるものだ。言葉は分からぬのに、その意味がわかるぞ』
「あぁ。うん。この額当てのおかげよ。言葉を翻訳して、相手に意味を伝えてくれる魔法具なの」
ベアトリクスは額当てを指差し、竜に説明した。
『ほほう。便利な道具があるものなのだな。してお嬢さん。私に何用なのかな?』
蒸気竜は姿勢を正すと、ベアトリクスに尋ねた。竜としては小型の部類に入るとはいえ、その大きさはベアトリクスが見上げるほどだ。ちょうど、いななき宙を蹴っている馬ぐらいの高さだろうか。
「えぇ。実はちょっとお願いがあるのよ。その後ろのが、虹色西瓜よね?」
『いかにも』
「少し、分けて頂けないかしら? ひとつかふたつでいいんだけれど。とってもおいしいって聞いて、どうしても食べたくなっちゃって」
いいながらベアトリクスは無意識のうちに舌なめずりをした。食べて見たいというのは本心であったし、それにお腹も空いてきた。
蒸気竜はまじまじとベアトリクスを見つめていた。
「だ、ダメ?」
『わはははは。初めてだぞ。これを分けてくれと来た者は。もちろん構わぬとも』
蒸気竜は立ち上がると、のしのしと西瓜の蔦の群れに向かって歩き出した。西瓜は普通、地に這ってなるものだが、この虹色西瓜は木に巻きついており、まるで木に実っているようにみえる実がいくつかある。
「あぁ。勇気を出して聞いてみてよかった。ここに来る者みんな追い払ってるっていうから、もっと怖いドラゴンさんで、分けてもらえないかと思ってたのよ」
『それは心外だな。私はこの西瓜を独り占めしているわけではないのだ。この西瓜を護る為、泉を荒らすものを追い払っているのだ。西瓜を欲する者には、もちろん分けるとも。まぁ、採り過ぎてもらっては困るがな』
わははははと、蒸気竜が豪快に笑う。笑うたびに、鼻から蒸気が噴き出す様は、どことなくこっけいに見えた。
「でも、どうして虹色西瓜っていうのかしら? 別に虹色をしているわけじゃないし。やっぱり、虹の泉の水でしか育たないから?」
『そうではない。きっと、他の水でも育つとは思う。これが虹色西瓜と呼ばれる所以は、七色の実を付けるからだ』
「七色の実?」
ベアトリクスはじっと西瓜をみつめた。見たところ、普通の西瓜にみえる。深緑色に黒の縦縞をした西瓜だ。
『ここに実っている西瓜。そのすべてが、同じではないのだ。あるものは中身は赤、あるものは中身が青といったように、七種の実が実るのだよ』
「へぇ。だから虹色西瓜っていうのねぇ。もしかして、それぞれ味も違うの?」
蒸気竜はベアトリクスに振り向くと歯をむき出した。途端、またもや鼻から蒸気が噴き出す。どうやら、にやりと笑ったらしいが、ベアトリクスにはちっともわからず、怖気づくばかりだ。
『もちろん違うとも。赤は普通の西瓜と変わりないが、青はその色のとおり、さわやかな味がし、紫は……』
どぼーん。
突然、派手な水音が聞こえてきた。
「な、なに? いまの音」
まさか、ロロ、飛び込んだの?
『すまぬがお嬢さん、急用だ。西瓜は適当にもっていくがよい』
蒸気竜は血相を変えて、ばたばたと泉に向かって走って行った。
「ロロ……大丈夫かしら?」
突然ひとり残され、ベアトリクスは途方にくれたように目を瞬いた。
とりあえずは、自分は役目を終えた。あとは帰るだけなのだが……。
ベアトリクスは豊かに実った西瓜たちに目を向けると、色艶や形を吟味し始めた。
「せっかくだもの。もらっていきましょ」
うん。
ベアトリクスはひとり頷くと、目を付けた西瓜に手を掛けた。
一方、泉では蒸気竜がはばたき、泉の上を旋回していた。
派手な水音はしたものの、その音の原因が見当たらない。
蒸気竜はもう一度辺りを見回した。そしてそれに気が付いた。
木に絡み付いていた西瓜の蔦の一本が、西瓜と一緒に泉にぷかぷかと浮いている。西瓜の重みで木から剥がれ落ちたのだろう。
どうやら、先程の音の原因はこの西瓜のようだ。
事の原因に蒸気竜は顔をしかめると、ふんと鼻から蒸気を噴き出した。
「どらごんさーん。ふたつ頂いていきますねー。ありがとー!」
ベアトリクスが大声で蒸気竜に礼を云った。
手を振りたいところだが、生憎と両手は西瓜で塞がっている。
ベアトリクスに気付いた蒸気竜は、すぐに彼女の元へと降り立った。
泉では、ロロが慌てて這いあがって、皆のいる藪へと逃げ込んでいくのが見える。
ベアトリクスの口元が引きつった。
『ふたつでよいのか?』
「えぇ。そんなに沢山食べ切れないし、なにより持ち切れないもの」
ベアトリクスの答えを聞いた蒸気竜は、またもや歯をむき出し、鼻から蒸気を噴き出した。やはりこれは、ニヤリと笑っている仕草のようだ。
「また欲しくなったら、いつでも来るがいいぞ」
蒸気竜はそういうと、のしのしと西瓜の蔦に絡まれた木の下へと歩いて行った。
ベアトリクスは蒸気竜が腰を落ち付けるのを見届けると、森の小道へと入っていった。そして、蒸気竜から見えないだろうと思える場所から、ふたたび藪を掻き分け森の中へと分け入った。今度は西瓜で両手が塞がっているので、さっきよりも遥かに進みづらい。かといって、西瓜を捨てる気など、ベアトリクスにはかけらもない。
せっかくもらった西瓜なのだ。捨ててなるものか。
そうしてベアトリクスは、やっとのことで皆のところに戻ってきた。
「お、お姉ちゃん凄い!」
シビルが胸元で拳を握り、ベアトリクスを尊敬のまなざしを持って出迎えた。
「いいドラゴンさんだったわよ。えと、シビル。この西瓜もその袋に入るかしら?」
シビルに革袋を持ってもらうと、ベアトリクスは慎重に西瓜をその中に入れた。
どうやらこの革袋は、いくらでもものが入るようだ。
「それでロロ。魚は獲れた? 飛び込んだんでしょう? びっくりしたわよ」
「いや、飛び込んだわけではないのだ。運悪く、西瓜が泉に落ちたのだ」
なんだかヌンが、困ったような顔をしていた。
「あそこでございます」
ネネが泉の端を指差した。そこには、蔦と一緒に西瓜がぷかぷか浮いている。
「でもロロ、湖から這いあがってたじゃない」
ロロは少し離れたところで、がっくりと跪いていた。どこからみても、全身で打ちひしがれた様を表している。
「そこから泉に入ったのよ。音を立てないように慎重に。で、ロロが魚の群れを見つけて、さぁ捕まえよう潜ったときに……」
「どっぽーん」
ネネが胸元から弧を描くように両手を広げてみせた。
どうやら最悪のタイミングで西瓜が落ちたらしい。
「あー。それはまた……運が悪かったわね。それで、魚は獲れたの?」
「ご、ごめんなさい」
ロロが泣き出しそうな顔で謝った。
「ダメだったかぁ。せっかく頑張って水に入ったのにね。それじゃ別の手を――あれ? ロロ、お腹のところ、何か動いてるわよ」
ベアトリクスが云うと、皆がいっせいにロロのお腹を見た。確かに、ロロのお腹、帯のすぐ上の部分が不自然に動いている。
ごそごそと黒装束の帯を解き、上着を脱ぐと、小さな銀色の魚が一匹、足元に落ちた。帷子と上着の間に挟まっていたため、ロロは気がつかなかったようだ。
「さ、魚!」
「やったわ、ロロ!」
ネネとシビルが思わず万歳をした。
「ちょ、静かに。見つかっちゃうわよ」
「場所を移動しよう。ここでは気が気ではない。どこに向かえばいい?」
ヌンが問うと、シビルはさらに森の奥を指差した。
道などまるでない鬱蒼とした道を切り開き、一行は奥へ奥へと突き進んでいった。
やがて森が途切れ、平たい岩が一面に広がる場所に出た。だがその場所は狭く、正面数ザス先には、真っ白な、なにも無い空間が広がっているだけ。
いや、それは、空間ですらなかった。
ベアトリクスは岩の縁にまで行き、手を伸ばしてみると、そこには見えない壁が存在していた。
いったいこれは、なんなのだろう?
「ここがこの世界の果て。本の最後のページよ。物語が完結すると、ここに元の世界への扉が現われるのよ」
シビルが真っ白な空間を指差した。
「だが、もう物語りは完結したのではないのか?」
ヌンが尋ねた。
「ううん。まだよ。まだ、ロロたちが願いを叶えていないもの。さぁ、ロロ、ネネ。そのお魚を食べて、願いを叶えるのよ!」
シビルがびしっとふたりを指差した。
だがふたりとも、ただただ顔を見合わせるばかり。
「これは……どちらが食べるべきでございましょうか?」
ネネが手に持っている銀色の魚は、水から出されて大分たつというのに、いまだにびちびちと威勢が良い。
「どっちでも構わないわよ」
「僕はいいです」
ロロが宣言した。するとネネが驚いたような顔をした。
「でもこの魚は、ロロが捕まえたのよ」
ネネが普通の口調でロロに云う。
「僕の願いは、ネネが願いを叶えることです。だから、この魚はネネのものです」
ロロが云った。その言葉に、いつもの、少しばかりおどおどとした雰囲気は無かった。
「あぁ。ロロ。なんて良い子なの」
「これでもう少し度胸があれば、文句無しなのに」
ベアトリクスとシビルはいたく感動していた。
「さぁ、ネネ。早くその魚を食べるのよ!」
シビルが急かす。
ネネはひとつ頷くと、魚をひと呑みにした。途端、ネネの体が輝き出し、あまりの明るさに直視できなくなる。
「な、なにこれ?」
「シビル! ネネの願いってなんなの?」
「私知らない。そこまで決めてないもの」
やがて光りがおさまると、そこには変わらぬ姿のネネが立っていた。
「あ、あれ?」
「変化なし?」
だがネネは自分の体をあちこちみると、急に涙を浮かべて喜び出した。喜び、押し倒す勢いでロロに抱き付く。
「……願い事、叶ったみたいね」
相変わらず首を傾げたまま、シビルとベアトリクスはネネを眺めていた。
「気が付かぬのか? ネネの毛色だ。あの斑だった毛色が、ブルーグレー一色に統一されたのだ。きっと、あの斑模様が、ネネにはコンプレックスであったのだろう」
ヌンがふたりに云った。
慌ててネネの姿を確認する。本当だ。確かに、あのそこかしこにあった斑模様が消え、綺麗なブルーグレー一色になっている。
ごぅん!
突然、金属を叩いたような、低く鈍い音が響いた。
真っ白い空間に四角い扉のような枠が生まれ、その枠内がまるでシャボン玉のような七色の色合いに変化していく。
これがこの世界の出口たる扉だ。
「やった! やった! 扉が開いたわ!」
シビルが喜びの声をあげた。
「これで帰れる!」
「ようやく扉が開いたか。ご苦労。だが、その扉を通るのは、ワシだけだ」
突如として野太い声が響き渡るや、森の茂みから深い紫色のローブを纏った、太った老人が姿を現した。




