其の漆 1
竜を再びやり過ごすと、ヌンは洞穴から出た。気付かれないように、岩影から岩影へと、音も無く竜の後を追って行く。
出来うる限りこの洞穴から離れた場所で、竜を仕留めるためだ。荒事はからっきしなベアトリクスとシビル、そしてネネはもちろん留守番である。
だがロロは。
「ぼ、ぼ、僕の仕事ですから」
ガタガタと震えながらロロは云うと、スパイス玉を持ってヌンの後を追いかけた。
見ると、震えて足に力がまともに入らないらしく、なんとも弱弱しい足取りで岩影から岩影へと移動している。
「……大丈夫かしら?」
「不安にございますね」
「でも、スリングはやたらと上手いのよね」
不思議そうにシビルは首を傾いだ。
ロロもネネも、一応は猫……のようなものである。当然、狩猟本能なるものを持っているのだ。そしてロロはスリングの名手なのである。スリングといっても、革紐を振り回して石を投擲するものではなく、Y字の木の枝にゴム紐を渡した、スリングショットというものだ。
「そんなに上手なの?」
「凄いわよ」
「でも、慎重と臆病が掛け合わされておりますから」
ネネの的確な評に、ベアトリクスとシビルは顔を見合わせた。
「そ、それは心配ね」
「大丈夫かしら?」
「お茶でも飲みながら、吉報を待つと致しましょう」
ネネは呑気な笑みを浮かべた。
一際大きな岩に身を隠すと、ヌンは手にしていた得物を展開した。それは、今朝方ミディンより手渡された武器だ。展開したその姿は、いわゆる普通の鎌。ただ唯一ちがうところは、柄の端が、まるで槍のように尖っていることだ。
ヌンは竜の姿をしっかりと確認しながら、後方の岩影に隠れているロロを手招きした。
「ロロ。準備はできているか?」
隣にやってきた黒猫に、ヌンは尋ねた。
「ははは、はいぃぃ。だだだ大丈夫ですすす」
ガタガタ震えているロロは、もはや恐怖で動きまでもがぎこちない。
「深呼吸をしろ。安心しろ。戦うのは私だけだ。お前は、奴にそのスパイス玉をぶつけたら、すぐにこの場から離れて隠れていろ」
「いいいいいえ、ぼぼ僕も戦いますぅぅ」
ロロが云う。だが、その足はガタガタと震えている。
ヌンの顔に微かな笑みが浮かんだ。
「ならば、私がピンチになったら、助けに来てくれ」
ヌンがロロに云った。
こう云っておけば、ロロは無茶をすまい。
そしてヌンは、もうひとつ先の岩影にまで走った。谷の中央辺りで、竜が反転する。
ヌンがロロに合図を送る。
ロロのスパイス玉の攻撃が、戦闘開始の口火を切る事になるのだ。
ゆっくりと竜が向かってくる。
ロロは深呼吸を何度もすると、最後に大きく息を吸い込み、止めた。そして大岩の上によじ登ると、スリングを構えた。
スリングを持った左手を竜に向け、ゴム紐に掛けたスパイス玉をぎゅっと引っ張る。
狙うは、竜の鼻先。
急に、竜の向かってくる速度が上がった。
ロロの姿を見つけたのだ。竜にしてみれば、ロロなど単なる餌に過ぎない。
まだ。まだ。もっと。もっとひきつけないと。
震えだしそうになる体をどうにか押さえ込み、ロロは向かってくる竜を睨んでいた。
まだ届かない。射程外だ。
まだ……まだ……。
今だ!
ロロがスパイス玉を放つ。と同時に気が抜け、ロロは大岩から転げ落ちた。
そしてスパイス玉は。
スパイス玉は狙い違わず、竜の鼻先に直撃し、辺りはまるで埃につつまれたようになっていた。
がふっ!
竜が咳き込む。咳き込み、その度にがくんと高度を落としては、ばたばたともがく様に高度をあげる。
それを何度も繰り返し、一行に地面に降りる気配はない。
だが、あれではブレスは吐けないだろう。
「降りぬか。ならば、墜ちてもらおう」
ヌンは岩影からでると、竜に鎌を向けた。途端、鎌の部分が撃ちだされた。
ワイヤーで繋がれた鎌がファイアドレークの首を掠める。
「よし。戻れ!」
一気にワイヤーを引き戻された鎌は、しっかりと竜の首に食いついた。直後、柄の端の尖った部分が撃ちだされ、すぐ後ろの大岩に突き立った。
かくして竜との綱引きが始まった。いや、この場合、釣りというべきか。
ヌンがギリギリと鎌のワイヤーを引き戻す。だが、竜は失速もせず、ヌンを中心に旋回するようにして、いまだ上空でもがいている。
そして不意に、竜の飛び方がしっかりとした。
直後――。
ごっ!
巨大な炎の球をヌンに向けて吐き出した。
ファイアドレーク特有の、炎の球のブレス!
炎の球はヌンにまともに直撃した。たちまち火柱があがり、あたりに炎が飛び散った。
その様を見ていたロロは、慌てふためき、うろたえた。
ピンチになったら助けに来てくれといっていたが、これではピンチどころではない。
ロロはぺたんとへたり込んで、炎に包まれたヌンを見つめていた。
やがて火勢が衰え、炎の中に黒い影が見えた。
ヌンだ。
ヌンは、炎の中。微動だにせず立っていた。だが、その姿は大きく変わっていた。
まるで、金属で鋳造した人型のもの。
炎に照らされ、銀色のその体は、真っ赤に輝いていた。
ヌンの鎧たる流体金属が完全に全身を覆ったのだ。手足はもちろんのこと、彼女の長い黒髪まで。そのため、彼女の後頭部から背を覆うように、金属の板が被さっているようにみえる。
やがて流体金属はその形をしっかりと固定し始めた。
それはまさに鎧。全身を覆い、要所を重点的に護る形の全身鎧。
戦闘専用型自動人形の完全戦闘形態。
「よくもやってくれたな。この赤蜥蜴が」
ヌンが大鎌を展開し、大岩を斬る。すると竜を上空に釘付けにしておいた、もうひとつの得物の先端部分が外れた。それを確認すると、ヌンはワイヤーを巻き上げた。たちまちヌンは竜に向かって飛び上がり、その反動で一気に竜の背に立った。
「さぁ、今度こそ墜ちてもらうぞ」
ヌンが大鎌を振るう。鎌は、竜の翼の皮膜を引き裂いた。
左の翼はその役を果たせなくなり、竜はきりもみするように墜落した。
ヌンが最初からこの戦法取らなかったことには理由があった。上空から落ちた場合のダメージの予想がつかなかったのだ。もし、自分が行動不能に陥った場合、ベアトリクスたちがこの世界から脱出する可能性が激減してしまう。戦うことができるのは、ヌンだけなのだ。それだけは、どうしても避けなくてはならなかった。
だが、竜が再びブレスを吐けるようになった以上、引きずり降ろす案は却下だ。そう何度もブレスに耐えることなど出来ない。
竜は這い蹲りながらも、翼をバタバタと羽ばたかせていた。
ヌンは墜落の衝撃に耐え、まだ竜の背に乗っていた。もし地面に放り出されていたら、行動不能に陥っていたかもしれない。
ヌンは竜の背に立ち上がると、突き立っている右手の鎌をまるで手綱のように持ち、左手の大鎌で翼の付根を何度も切りつけはじめた。ファイアドレークの鱗は、先に仕留めた巨竜の皮膚など比べるべくも無いほどに硬い。だがヌンの大鎌は、ついには鱗を割り、皮膚を裂き、肉を斬りつけていく。
噴き出した血がヌンの全身を朱に染めあげた。
やがて、白い筋の入った布のような物が見えた。この巨大な翼を羽ばたかせるための要である腱だ。
ヌンは思い切り大鎌を突き立てると、腱を引き裂く。だがあまりにも硬く、一度では斬れず、何度も何度も大鎌を突き立てる。
突き立てる度、竜が耳をつんざくような悲鳴を上げる。振り向き、背にいるヌンにブレスを吐きかけようとするも、首元につき立っている鎌のために、首を巡らせることができず、竜は見当違いのところに炎を吐き出していた。
ばつんっ!
なにかが弾け切れるような音がして、竜の左の翼ががくんと落ちた。ヌンが遂に翼の腱を切断したのだ。
血まみれの傷口からは筋肉が捲れ上がり、骨が見える。その骨の奥に竜の心臓がある。
竜が激痛に吼える。その声はあまりにも痛ましい。
だがヌンは無情だ。
「残念だが、もうこれで終わりだ」
再びヌンは大鎌を振り上げると、竜の肋骨を砕きはじめた。




