其の肆 3
ヌンに促され、ベアトリクスは書架中央にあった梯子を左端へと移動した。
ひとつの書架といっても、その規模は馬鹿げているといえる。ここだけで、きっと詰めこめば、軽く数千冊は書物が収まるに違いない。いまはそこかしこにまばらな場所があるが、これをきちっと整理するのは、かなりの労力を必要とするだろう。
それを思い、ベアトリクスは少しばかり怖気づいた。とはいえ何事も始めなければ終わらない。
よし。まずは、一番上の段から魔法関連以外の本を取り出してしまおう。
気持ちをしっかりと引き締めると、ベアトリクスは梯子に足を掛けた。
「そうだ。ベアトリクス、云っておくことがある」
「な、なに?」
梯子の中段あたりで、ベアトリクスが足を止めた。
「猫に気を付けろ」
「ね、猫?」
ベアトリクスはきょとんとした。
猫ってなんだろう?
「猫ってなに?」
「猫は猫だ。この図書館には猫が住み着いているのだ。もっとも、本物の猫ではない。だが、いまだに妖精なのか、魔法生物なのか、確認はとれていない」
ベアトリクスが首を傾ぐ。
「で、その猫、なにかするの?」
「何分、報告が一様ではないのでな。詳しくはわからん。黒猫と白猫、それと赤猫が確認されている。黒猫はファインド、白猫はハインド、赤猫はバインドと呼ばれている」
ベアトリクスは眉根を寄せた。
「……もしかして、その名前通りのことをするわけ?」
「そういうことらしい。黒猫は目的の本への案内、白猫は罠を発動させ、そして赤猫は書架に拘束するとのことだ。黒猫以外は無視するのがよかろう。もし鉢合わせたなら、すぐに降りて来い」
「わかったわ」
ベアトリクスは頷くと、再び梯子を登り始めた。
そして書架の最上段に辿り着く。辿り着き、書架のてっぺんに何かが載っているのに気が付いた。
あれはいったいなんだろう。
更に梯子を二段ほどベアトリクスは登った。
「……ねぇ、ヌン」
「なんだ?」
「三毛猫はなんていう名前?」
「三毛猫?」
珍しくヌンの声のトーンが変わった。
「三毛猫などいないハズだが」
「……目の前にいるんだけど」
三毛猫は書架の上で、だらしの無い恰好で寝ていた。まるで矢を胸に受け、息も絶え絶えな人間の真似でもしているようにも見える。
梯子の上と下で、ベアトリクスとヌンが顔を見合わせた。
「私が確認する。私に見えれば、それは幻覚の類ではないという証拠になるからな」
そしてヌンがベアトリクスと入れ替わり、梯子を登った。
書架の上では三毛猫が先程の恰好のまま、微動だにせず寝転がっている。
「ヌン、見える?」
「……見えるな。こやつは一体なんだ? まさか三匹が合体したわけではあるまいな」
ヌンはひとまずつついて見た。
三毛猫をはぴくぴくと震えた。
「……」
「ヌン?」
「とりあえず捕まえてみよう」
ヌンは三毛猫の首の後ろを摘むと、ひょいと持ち上げた。
これが猫を捕まえるときの定石である。
この暴挙に三毛猫は目を覚ますも微動だにしない。
あまりにも痛いから身動きしないんだ。
父親がそんなことを云っていたことを、ベアトリクスは思い出していた。
真実のほどは知らないが。
「どうするの?」
降りてきたヌンにベアトリクスが尋ねた。
「どうするもなにもな……まさか捕獲できるとは思ってもみなかったからな」
思ってもって……。
ベアトリクスは呆れた。
「先に話した猫たちは、一度も捕まったことがないのだ。私たちも一度、その正体を確かめようと捕獲作戦を展開したが、捕まえる事はできなかった」
「でも、今回は捕まえられたじゃない」
「ふむ……そうなのだが……。そうだな、ベアトリクス、ゲートを開いてくれ。アキコに預ける。物置に対魔法生物用の特殊檻がある。そこに放り込んでおこう」
ヌンがそう云ったとたん、三毛猫が急にじたばたと暴れだした
歯を剥き、爪を立てた前足をばたばたとさせる。
「む。急に暴れだしたな」
「えぇい、放せ!」
「う、うわ、喋った!」
突然喋った猫に驚き、ベアトリクスが後退さった。
「いや、先に説明した猫たちも喋る。別段、驚くことではない」
「そ、そうなの?」
答え、ベアトリクスはぶらーんと吊り下げられた猫を観察する。
もう、じたばたするのに疲れたらしい。
正直、可愛らしいとは云いがたい猫だ。なにより、この太くて短い尻尾はちっとも可愛気がないし、やぶにらみの顔は不細工だ。
ヌンは三毛猫を自分の眼前にまで持ち上げた。もちろん爪が届かないよう、少しばかり顔からは離している。
「御主、何者だ?」
「て、てめぇ、人形か?」
ヌンの問いに威嚇するように三毛猫が歯牙を剥いた。
ベアトリクスは首を傾いだ。
猫が威嚇するときって、フーッ! って、ふくものじゃなかったかしら?
「ふむ。私を知らぬか。となると図書館の猫ではないな。すると召喚された生物か、罠によって姿を変えられた者か。或いは自ら魔術によって姿を変じた者か」
急に三毛猫は大人しくなった。
「召喚されたものであれば、その痕跡があるはずだ。私には確認できないが、それは調べればわかることだ。それに七王国語を話すことからも、召喚された者とは考えにくい。そして罠により姿を変じられた者であるならば、私たちに助けを求めるだろう。よって御主はそれではない。となると、自ら望んで姿を変えたという可能性が残ることになる。それならば、なにかしら、やましいことがあるというわけだ」
無表情のまま、再びヌンが問う。
「今一度問う。御主、何者だ?」
三毛猫、ぷいとそっぽを向いてだんまり。
どうやら答える気はないようだ。
ベアトリクスは口元に人差指を当て、かすかに首を傾いで考えていた。
いったいこの三毛猫はなんなのか?
ヌンが問い詰めたことから察するに、どうやらこの三毛猫は犯罪者の類のようだ。
でなければ、わざわざ姿を変えたりしないだろう。
「ねぇ、ヌン。それ、人間ってことよね?」
「人間かどうかはわからぬが、まぁ、人であろう」
いや、別に厳密に種族に関して訊いたわけじゃないんだけど。
思わずベアトリクスは苦笑いを浮かべる。
だが、とりあえずはこれで確認できた。
「ヌン。思うんだけど、その猫、例の麻薬組織の首領なんじゃない? 私、昨日ウィランに入ったんだけど、入都審査は凄い厳しかったのよ。でも、そんな風に猫の姿なら、ウィランに入るのも容易いと思うんだけれど」
「なるほど。それは有り得るな。だが、わざわざ図書館で猫の姿をしている必要もあるまい」
「閉館時間を待ってたんじゃないかしら」
ベアトリクスが云う。
「どういうことだ?」
「まず図書館に入って……きっと、その時は人の姿だったと思うのよ。ダレスは動物をいれたりしないでしょう?」
「もちろんだ。ダレスは扉の意味をもつ者だ。門番としてこれほどうってつけの者はおらぬ。よほどの事が無い限り、ダレスを出し抜いて館内にはいれる動物はおるまい」
ヌンはきっぱりと答えた。
「じゃ、きっと本来の姿で入ったのよ。でなければ姿を消して。猫に化けられるんだもの、そのくらいできるわよね。それにきっと図書館の猫のことも知っていたんだわ。だから猫に化けて、見つからないようにしたのよ。もし捜索隊が来ても、猫の大きさなら書架の上にいれば見つからないし、例え見つかっても見逃されるでしょう」
「だがそれにどんな意味があるのだ?」
「ヌン、さっき云ってたじゃない。ここのトラップには、使い方によっては逃走に最適なものがあるって。だからきっと、猫の姿で閉館時間を待って、誰もいなくなってから、ひとりゆっくりとその手の本を探すつもりだったんじゃないかしら? ヌンたちだって、休み無しでずっと働いてるわけじゃないんでしょう?」
ベアトリクスが云うと、ヌンは頷いた。
「確かにそうだ。夜中は誰もいなくなる。なるほど。考えられるな」
そしてじっと猫をみつめる。
「まぁ、真実がどうなのかはわからぬが、御主が極めて疑わしいことは確かだ。ベアトリクス。ゲートを頼む。やはりこやつは檻に放り込んでおくのがよかろう。その上で役人に引き渡すのが一番だと思う」
「そうね。それじゃ、いま魔法陣を――」
「冗談じゃねぇ! ここで捕まってたまるかよ!」
三毛猫が叫ぶや、突然その体が輝き出した。輝き出し、急に三毛猫の体が膨れ上がり始めた。




