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第23話 幕間 テンチョーという名の神

神はいるかと聞かれたら、僕は迷わず「いる」と答えるだろう。



目が覚めると、背中には柔らかい感触があった。

鼻をくすぐる石鹸の匂いと、清潔なシーツの肌触り。


肌を刺すような隙間風を完全に遮断してくれる、分厚く頑丈な壁。

ここは新店舗の二階。

店長と僕たちが暮らせるよう、駅馬車の宿舎を改装した従業員用の居住区画だ。


路地裏の軒下で凍えながら身を寄せ合っていた僕たちにとって、ここは天国そのものだった。

隣のベッドでは、仲間たちが無防備な寝息を立てている。


今日は、店が休みだ。

グランドオープンから六日目。凄まじい数の客が押し寄せた昨日の夜、店長は無理やり店を閉めた。


「今日はここまでだ。明日は休むぞ」

売上が立たなくなることを僕たちは恐れたが、店長の決定は絶対だった。


僕はベッドを抜け出し、窓辺から外を見る。

外はまだ薄暗く、朝靄が立ち込めている。

通り過ぎる馬車の音もない、静かな朝だ。


ふと窓の下を見下ろして、息を呑んだ。

前庭のU字通路に、見慣れた背中があった。

店長だった。一人で大きなシャベルを握り、黙々と地面に落ちた馬糞を掻き出している。


昨日、あれだけの数の馬が通り過ぎたのだ。通路は一面、泥と馬糞にまみれているはずだった。

その強烈な臭いの中で、一番偉い店長が、たった一人で掃除をしている。


僕たちを暖かく清潔なベッドで休ませておいて。

じっとしていられず、僕は着の身着のまま階段を駆け下り、一階の庭へ飛び出した。


「店長! オレがやります!」

冷たい朝の空気の中を駆け寄る。

店長はシャベルを止め、少しだけ驚いたように僕を見た。


「……なんだティム。今日は休みだ。寝てろ」

馬糞の臭いが漂う中でも、店長の表情は相変わらず涼しげだった。


「でも、こんな仕事店長にさせられませんよ! オレたちがやります! やらせてください!」

「いいから戻れ。お前らも昨日まで働き詰めだっただろ。休むのも仕事のうちだ」


店長は淡々と言って、再びシャベルを動かし始めた。

「今後に向けて、掃除係も雇わないとな。いや、それだけじゃない。この客足だ、シフトを回すために、お前らと同じように店に立つ人員も増やさないと」


お前らと同じように店に立つ人員を増やす。

その言葉を聞いた瞬間、喉の奥がヒュッと鳴った。

隠し続けてきた黒い不安が、腹の底からせり上がってくる。


店長の作り上げたやり方は、完璧だ。

手順さえ守れば、誰でも同じように美味しい食事が作れる。


でも、それは。

「……新しい人が来て、その人がちゃんと仕事できるようになったら」

声が上擦った。口を閉ざそうとしたが、止められなかった。


「僕たちは、ここを追い出されるんですか」


手順さえ守れば誰でもいいなら、僕たちじゃなくてもいい。

新しい大人が雇われたら、用済みの子供は路地裏に捨てられる。

あの日々の凍えるような寒さが、足元から這い上がってくるようだった。


店長は、ピタリとシャベルの手を止めた。

怒られる。身をすくめた僕を、静かな視線が射抜いた。

「いや、逆だ」

店長は、はっきりと否定した。


「だからこそ、『人』が重要なんだ」

「……え?」


「手順を完璧に守り、何も足さず、何も引かない。それは口で言うほど簡単なことじゃない」

店長は僕を真っ直ぐに見据えた。


「お前らは、俺の理想通りに実によくやってくれている」

息が止まった。

店長は、ただの使いっ走りとしてではなく、あの完璧な手順を任せる人間として、僕たちを見てくれていた。


「だが、このまま客が増えりゃあ、前に起きた過重労働の繰り返しになる」

カジュウロウドウ。

よくわからない言葉だった。だが、それを口にした店長の目はひどく暗く、どこか遠くの悲惨な景色を見ているようだった。


「どうしても人は増やす必要がある。俺のためにも、お前らを潰さないためにもな」

――お前らを潰さないためにも。


『潰す』という言葉を聞いた瞬間。

あの氷点下の朝の、泥の冷たさが肌に蘇った。

僕たちを無理やり帰し、一人で徹夜で仕込みを続けて倒れた店長。

泥の上に突っ伏していた彼を抱き起こした時の、あの死人のような顔。


そういうことか。

店長は、僕たちがあの日の店長みたいに、ボロボロに壊れてしまうことを恐れている。

路地裏で病気になれば見捨てられ、死んでいくのが当たり前だったこの世界で。


鼻の奥がツンと痛くなった。

視界がぼやけて、足元の泥が滲む。

「明日は、絶対に僕が馬糞を片付けます! 絶対ですから!」


それだけ叫んで、僕は逃げるように背を向けた。

神様の顔を、まともに見られる気がしなかった。

二階の居住区画に戻ると、部屋ではまだ仲間たちが寝ていた。


僕はストーブの残り火の暖かさを確かめながら、自分のベッドに潜り込んだ。

カーテンを閉じて、柔らかいシーツをすっぽりと被る。

胸の奥が、まだじんわりと熱い。


僕たちはもう、路地裏のゴミじゃない。

ゆっくりと目を閉じる。

心地よい二度寝の微睡みの中へ落ちていく僕の頭の中には、ただただ満たされた穏やかな時間が流れていた。



神はいる。僕たちの、この店に。




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馬糞にまみれてお前らを潰させたくないから休めって言ってくれる人は神でしかない スーパーテンチョーだ
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