↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
19/22

第19話 白い服と黒い水

金槌が鉄釘を打ち込む高い音が、埃っぽい吹き抜けに反響する。


廃屋だった旧中継所の母屋は、今や骨組みを剥き出しに解体されつつある。


その中央で、白髭を蓄えた大工の棟梁――トムが、粗末な木机の上に広げられた図面を節くれ立った指で小突いた。


「おい、坊主。ここは食堂って話じゃなかったのか?」

トムは噛みタバコを吐き捨て、図面を睨みつけた。


「壁をぶち抜いて、幅一間の窓口を開けろだの……前庭の柵を取っ払って、馬車が旋回できるU字の通路を作れだの。……肝心の客席の床板は、どうすんだ? 指示がねえぞ」

「客席はいらない」


「いらねえわけがあるか。椅子もテーブルもねえ食堂なんざ、デンバー中探したってありゃしねえ。客に立ったまま食えってのか」

「いいや? 馬車から降りる必要もない」


トムが怪訝そうに眉根を寄せる。

俺は図面の前庭部分、炭で太く引かれた半円の線を指先でなぞった。


「ここを通る荷馬車は、前庭に引いたU字の通路を通り抜け、客は馬車に乗ったまま、街道向きの窓口で金と紙包みを交換し、そのまま反対側の道へ抜けていく。それだけだ」

「……馬車から降りずに、だと?」


「席に案内する手間、注文を取りに行く時間、給仕が皿を運んで片付ける人件費……全部ゼロになる。ここは飯を食う場所じゃなくて、美味い飯を早く買う場所なのさ」


トムは怪訝そうに、ガリガリと白髭を掻いた。

「……ああん? 言ってることがよくわからねえが、図面通りに壁をブチ抜きゃいいんだな」


男は腰袋から金槌を抜くと、足早に開口部の工事へと戻っていった。

荒野の廃屋が、食堂ではなく、ひとつの巨大な機構へと作り変えられていく。


◇


改装が進む母屋の奥、かつての厨房スペース。

土間の上に、井戸から汲み上げたばかりの冷水を張った木桶が並んでいた。

ティム、サム、ピートの三人を、俺はその前に立たせた。


「服全部脱げ。井戸端で体を洗うぞ」

「えっ……全部脱ぐんですか? 手ならさっき言われた通り石鹸で洗いました!」


サムが戸惑った声を上げ、ティムも慌てて居住まいを正しながら口を開いた。

「そうです店長。屋台のときから店長に『手だけは絶対に洗え』って教えられていたので、冷たい水でちゃんと洗ってあります!」


俺は固形石鹸と毛先の硬い馬毛のブラシを一人ひとりに手渡した。

「屋台の基準は忘れろ。手先をちゃぷちゃぷ濯いだ程度で済むと思うな。指の股と爪の間だ。ブラシを使って、泥と垢を一本残らず掻き落とせ」

「つ、冷たいです店長! こんな冷水でブラシなんか使ったら、指の皮が擦り切れちゃいます!」


ピートが悲鳴を上げたが、俺はブラシを握る手を緩めさせなかった。

「薄汚れた爪の垢が入ったパンに、誰が金を払うと思う?」

「でも店長、相手は山の鉱夫や牛追いですよ? あいつら、酒場じゃハエが飛んでても平気でメシ食ってますよ。清潔さなんて気にしてないです」


サムの当然の疑問に、俺は首を横に振った。

「あいつらが気にしねえのは確かだ。だがな、泥と埃しかないこの荒野で、俺たちだけ、俺たちだけが真っ白な服を着て、圧倒的なスピードで熱々の肉を出すんだ」


俺は少年たちの顔を順に見据えた。

「そうすりゃ、この店のことが街に広がったとき、男どもだけじゃなく、女や子ども、あのお嬢様みてぇな金持ちまで『一度は行ってみたい』って思うかもしれねえ」


ティムが息を呑み、サムとピートがぽかんと口を開けた。

「ただ胃袋を満たすだけじゃねえ。この街の常識全部塗り替えて、誰もが群がる憧れの場所にする。そのために、埃っぽい街道の窓口をどこの高級ホテルよりも清潔に保つんだ。それが最初のルールだ」


俺は木机の上に、用意しておいた衣類を広げた。

糊のきいた、真っ白なコットンのシャツ。

そして、胸元から膝までを覆う純白のエプロン。


埃と油にまみれるのが日常のこの土地じゃ、誰もが汚れの目立たない茶や黒を着る。白を着る人間なんて、教会の聖職者か金持ちの屋敷の給仕くらいのものだろう。


「これ……真っ白です。一瞬で油まみれになってしまいませんか?」

ティムが神聖なものに触るかのように敬虔な手つきで、恐る恐るエプロンの縁に触れた。


「油で汚れたら、その都度洗って漂白する。白さは、俺たちが一切の手抜きをしていない証拠になる」

震える手で冷水を浴び、泥を落とした少年たちに純白の制服を着せた。


煤けた肌の浮浪児たちが、背筋を伸ばした瞬間に、ひとつの組織の顔つきへと変わった。


「次は、焼きと組み立ての手順だ」

俺は鉄板が据えられる予定の作業台の前に立った。

木机の上には、特注で作らせた真鍮の砂時計と、一定の深さを持つ金属製のスプーンが置かれている。


「お前たちの、いや俺の判断すらこの厨房には持ち込まねぇ。あるのは手順だけだ」

三人の視線が、俺の手元に集まる。


「パティを鉄板に叩きつけたら、てこ式スマッシャーで一度だけ真下へ押し潰す。砂時計をひっくり返し、砂がすべて落ちきった瞬間――ヘラで一気に裏返せ」

「色を見て判断しちゃダメなんですか?」


サムの問いに、首を横に振った。

「ダメだ。見る人間によって『いい焼き色』の基準がズレる。時間の計測だけで管理しろ。ソースも同じだ」


俺は真鍮のスプーンを取り上げた。

「すりきり一杯。多くても少なくてもだめだ。これをバンズの中央へ落とす。これがお前たちを、そして俺たちの店を守る」

俺は三人の顔を順に見据えた。


「ティム、サム、ピート。お前たちの勘や思い込みは一滴も混ぜるな。渡した手順だけを、機械のように正確にトレースしろ」

「はい、店長!」


ティムの鋭い返事に釣られ、サムとピートも喉を鳴らしながら力強く頷いた。


◇


厨房の隅、レンガを積み上げて急造した小さな炉の前へ移動した。

薪が爆ぜ、赤黒い炎が鉄鍋の底を舐めている。


鍋の中では、粘り気のある黒褐色の液体が、泡を立てて煮えたぎっていた。

「うわ……なんですかこれ。薬屋の裏みたいな匂いがします……」


覗き込んだティムが、目を丸くして鼻をひくつかせた。

煮詰めているのは、砂糖の精製かすである糖蜜(モラセス)だ。


本来なら安酒の原料か家畜のエサにしかならない二束三文のクズだが、この野卑で強烈な甘みこそが、過酷な労働で擦り切れた舌には一番効く。


俺はその黒いドロドロに、乾燥させたオレンジの果皮、砕いたシナモンの樹皮、ナツメグとクローブの粉末を次々と投入した。


焦げ付かないよう、木べらで一定の速度を保ちながら丹念にかき混ぜる。


ツンとした柑橘の酸味と、甘く重厚なスパイスの香気が、立ち上る湯気と共に鼻腔を突いた。


「店長、そんな真っ黒なシロップ、何に使うんですか? お肉に塗るタレですか?」

「いや、飲み物のベースだ」


木べらを持ち上げると、糸を引く黒いシロップが、艶やかな光沢を放ちながら鍋の中へ滴り落ちた。


◇


昼過ぎ、車輪の音が響いた。

二頭立ての辻馬車が、前庭へ滑り込んでくる。

ステップから降り立ったのは、薄絹のベールを纏ったシャーロットだった。


後ろから、商会の屈強な使用人たちが厳重に梱包された木箱を運び出してくる。


「約束の機材よ、レオ・カーター」

シャーロットは日傘を畳み、木箱を開けさせた。


中から現れたのは、磨き上げられた真鍮のシリンダーと、複雑に張り巡らされた銅の配管、そして重厚な手動レバーを備えた金属の機械だった。


東部の最新鋭ソーダファウンテンで使われている、炭酸水生成機だ。


「言われた通り東部から急ぎ貨車で取り寄せさせたけれど、食堂の改装で、こんな医療機器まがいの機材に大金を投じる人間なんてどこにもいないわ。

……こんなものに金をかけて、どうするつもりなの?」


シャーロットは額の汗をハンカチで押さえ、母屋の中へと足を踏み入れた。

立ち込めるスパイスの匂いに眉をひそめ、土間の炉で冷まされていた鍋の中身に目を留める。


「……それに、この異様な匂いは何? タールでも煮詰めているの?」

「シロップだ」


俺は冷め始めた黒い液体を柄杓ですくい、木製の計量カップへ注いだ。


「このシロップを、あの機械で作った強炭酸水で割る。氷が手に入らなくても、裏の井戸から汲み上げたばかりの雪解け水を使えば、喉が痛むほど冷たい炭酸水ができる」

「炭酸水……? あんな高価な機材を取り寄せて、水売りの真似事をするつもり?」


投資家なお嬢様は費用対効果が疑わしいようだ。

俺は計量カップを置き、機材の金属肌に手を置いた。

「そのとおり水売りさ。だがこいつが、うちの店で一番稼げるドル箱になる」

「ドル箱?」


「ハンバーガーやポテトは、どれだけ仕入れを工夫しても、仕込みの手間もかかれば、鉄板の熱量も消費する。単体じゃ、客を呼ぶための撒き餌にはなっても、利益を大きく膨らませることはできねえ」


俺は黒いシロップの張られた鍋を指差した。

「だが、こいつは違う。スパイスの仕入れに多少の銭は飛ぶが、使うのは大鍋一杯にほんの数つまみだ。中身の大半は、タダ同然の廃糖蜜と、裏の井戸から汲み放題の冷水だ。一杯あたりにかかる原価なんざ無いに等しい」


シャーロットの視線が微かに動く。

「荒野を一週間さまよって、挙句肉と塩と油を胃袋に詰め込んだ男たちは、最後に何を欲する? 水筒のなかにあるぬるい水か? そうじゃねえ。喉を焼くような甘みと、口の中の油を洗い流す鋭利な刺激だ。銀貨を投げてでも飛びついてくる」


俺は前庭の街道を顎でしゃくった。

シャーロットは何も言わず、黒いシロップの鍋と、真鍮の炭酸水生成機、そして街道へ続くU字の通路をゆっくりと見渡した。


やがて、その涼やかな双眸が細められる。

「……つまりあなたは、喉の渇くものを売りつけて、渇いた喉にタダ同然の水を売るってこと?」


日傘の先で床をトンと鳴らし、呆れと感嘆の混ざった息を吐き捨てた。

「悪魔のような男ね」


俺は口角を吊り上げ、肩をすくめてみせた。


「お客様の望むままに……さ、お嬢様」


面白いと思って頂けましたら、下の☆マークから評価をポチッと応援をよろしくお願いします!

毎日更新頑張りますのでブックマークをして更新お待ちください!

また作品に対する感想、助言などお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
いつも楽しんで読んでます。 とうとうコーラが出ましたね。フレーバーを変えればファンタもできるのかな? 会計場所横で、フライドチキンやドーナツも販売して欲しいです。特にドーナツは警官とコラボしやすいで…
面白い展開が続いてて楽しみです
良いね、コーラ、バーガーとポテトにはコーラよ、個人的にはスプライトも好き
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。