死霊の姫の憂鬱
「コルテッサ、お前はクランベルグへ行きなさい」
18歳の誕生日を迎えたその日、父王であるフランソワ4世から告げられた言葉は私にとっては、まさに、寝耳に水だった。
「クランベルグの第一公子、マルコ=アルマニオ=クランベルグがお前との婚姻を望んでいる。来週にもお前はクランベルグ公国へ入ることになるだろう」
――え、え、え???
頭の中が疑問符でいっぱいになる。
お父様は昔から人の心に鈍感で、何をするのもいきなりな朴念仁だったけれど、それはあまりにも唐突じゃない?
それに来週? え、え、え?
「陛下。お待ちください」
私は務めて平静を装い、問い返す。
ここは王宮。大臣たちも見守る謁見の間だ。
昼食をすませて、内々で主催する夜のパーティに備えて準備をしなくちゃね、とメイドのリリアと話していた時、急に呼び出された。
謁見の間に通されたという事は、父と娘としてではなく、王と王女としての公式な面会だ。言動には気を付けなければならない。
「それは、間違いなく、わたくしコルテッサに向けてのお話なのですね?」
まぁ、無いだろうなとは思いながらも、確認を取る。
お父様ってば、度を越したおっちょこちょいでうっかり屋さんだから、もし万が一伝えるべき相手を間違えてた、なんてことがあるかもしれない。
万が一、だけど。
「――ああ、間違いない。コルテッサ=マルグリッド。お前に縁談の話が来たのだ」
やっぱだめか――と私は心の中で盛大に溜息をついた。
ついに、ついにこの時が来てしまったかと落胆する。
私も今日で18歳だ。一国の王女として、この年まで縁談の話が一切なかったのは、本当はおかしな話。
でも、それにはちゃんとした理由がある。
その理由を考えれば、縁談が来たって事のほうが異常事態なのだ。
「陛下、本当に間違いはないのですね。でもにわかに信じられませんわ。だって、わたくし――こうなのですわ」
――出てきていいわよ。お前たち。
私はみんなに呼びかける。
謁見の間に一陣の冷えた風が吹いた。
燭台の火が一斉に揺らめき、いくつかの火が消えた。
ぬぅと、私の足元からいくつも、浮かび上がるものがある。
それは、半透明で空中を浮遊していて、人の身では触れられないもの。そして、近寄るものには、寒気と恐怖を与えるもの。
死霊たちだ。
死霊たちは、ケタケタと笑いながら、私の周囲を飛び回る。
はい、全員集合。私のそばから離れないでね。みんなが怯えるから。
広間にいる家臣たちから動揺の声が上がる。
可哀そうに端に侍るメイドの子は震えだしてしまったわ。
「なんと……禍々しい……」
ちょっとそこ、聞こえてる。私の大事なお友達たちを禍々しいとか言わない。
「わたくしは死霊の姫コルテッサ=マルグリッド。忌まわしき墓場の淑女。悪名が広がっているのはわたくし自身も承知している通りですわ」
私は宣言する。そういう事だけど、本当にいいの? 何かの気の迷いや、勘違いじゃなくて? お父様。前言を撤回するなら今をおいてほかにないわよ?
だが、お父様は頭を抱えながらいうのだ。
「だからこそ、だ。愛する我が娘よ。先方はそんなお前でも良いと言ってきたのだ」
げ、まじで。いったいどんな物好きなのよ。
「急なのも、それが理由だ。呪われた姫と名高いお前を娶ろうなどという奇特な国がほかにあるとも思えんのだ。お前も一国の王女、わがままや私情で嫌とは、よもや言わないであろうな?」
当たり前だけど、拒否権はないわね。
◆◆
「陛下も陛下ですね。姫様の気持ちも無視して、許されないことですよ。それに嫁ぎ先が格下の公国だとは……っ!」
自室に戻ってきて、開口一番、メイドのリリアは憤慨していた。
「ありがとう、リリア。でもね、王女なんて本来は、そんなものなのよ」
リリアは、私のお付きのメイドで、唯一の親友だ。私の身の回りのお世話はすべてリリアがしてくれている。本当は、もっとたくさんのメイドがいてもおかしくないんだけど、私にはリリアしかいない。
その理由は一つ、私が呪われた姫だから。ほかの子たちは怖がってお世話もできないのだ。
「そもそも、姫様が死霊まみれなのも、姫様のせいではないのです」
「そうは言っても、そういう体質だからしょうがないのよ」
私は生まれたときから呪われた子だった。
子供の頃から、私の周囲には死霊たちが自然と集まってくる。ただ、死霊たちは悪さはしなかった。それどころか、私の友達だった。
呪われた子、しかも死霊と遊ぶ子供なんて普通は殺されてもおかしくないものだと思うけど、優しい父王と、母。それと当時国の教会の大司教をされていたプリンシパル様の特別の計らいで、普通に育てられることになった。
私のそばにいる死霊たちは基本的に人畜無害だったし、私の言う事をよく聞いてくれた。
だから私にとって、死霊がそばを漂うのは日常だ。
少し空気がひんやりするのも、夏場には逆に快適でいいくらい。
「私は、この子たちとあなたが居てくれればそれでいいわ。……一応確認なんだけど、リリアも一緒に、来てくれる?」
「何言ってるのですか。当たり前です。どこまでもついていきますよ」
私の友人はとっても頼もしい。この子が居てくれれば、見知らぬ土地でもやっていけると思えた。
私は、満足して深くうなづく。
考えてみれば、いつまでも、実家に引きこもっている訳にも行かなかったし。こうなるのも、運命だったのかも。
どんな時でも、いい方向に考えないとね。
さぁ、そうと決まれば。
「うーん、それじゃあリリア。パーティの準備は任せるから、私はちょっと行ってくるわね」
「ああ、姫様。もしかして、聖堂ですか?」
うん。そう。私は午後のこの時間、いつも城の聖堂に通ってお祈りをするのが日課だ。
もともとそんなに信心深くはないんだけど、赤ちゃんの頃、私を助けてくれたプリンシパル司祭様の手前、物心ついたころから毎日通っている。
お父様とお母さまは、神様の力で、私の体質が治ることを期待していたみたいだけど、結局効果はなかった。
それどころか、死霊たちは教会の空気が好きなんだって。澄んでいて気持ちがいいって言っているのを聞いた時は、死霊って何なんだろうと、一晩悩んだくらいだ。
まぁ私が足しげく通うのはそれだけじゃないんだけど……
黒髪を揺らし、お城の渡り廊下を歩く。
お母さま譲りの黒瑪瑙色の髪と瞳を、正直、私は地味だと思っている。
でも、私の見た目のプロデュースを一手に引き受けるリリアによると、
『地味? とんでもないですね。その漆黒の髪と瞳は姫様の麗しく白いお顔と合わさったとき、その魅力を10倍にも、100倍にもさせるのです。その憂いを帯びた表情たまりませんね。そうそう、もっとうつむいて、まつ毛を下げて……。ああ、その悲しそうなお顔…………ふう、とっても良いです』
――性格は結構明るい方だと思うんだけど、リリアに言わせると、悲しそうにしているほうが“らしく”見えるらしい。
そんなわけで今日も聖堂で跪いて祈りを捧げる。リリアの言う通り、できるだけ物憂げに眉毛を寄せて、物悲し気に……。
「コルテッサ様。今日は一段と憂いておられますね。何か悲しい事でもありましたか?」
「シリウス様」
声をかけてもらっただけで、ついつい声が跳ねてしまう。
いけない。リリアの教えその一 『淑女は軽々しく喜んではなりません。喜ぶときは、最大限の印象を残しながら、相手の目を見てニッコリと』だ。
午後の柔らかな陽光に照らされて淡く小麦色に光る明るい髪色。穏やかな湖面のようなアイスブルーの瞳。見るものすべてを癒すような、優し気な表情。
ゆったりとした身のこなしで壇上の端から歩いてくる青年は、シリウス=プリンシパル様だ。
私の命を救ってくれたプリンシパル大司教様のお孫で、22歳という若さで、引退したおじい様の後をついで司教職につかれた英才だ。
「君たちも元気そうですね。良いことです」
死霊たちがシリウス様のまわりに群がる。シリウス様は死霊たちにもとっても好かれる。
城内の誰もが、死霊たちを気味悪がるけれど、リリアとシリウス様だけは、分け隔てなく接してくれる。死霊は友達と思っている私にはそれだけで救われる話だった。
「君は新しい子だね……たぶん、猫かな?」
シリウス様は死霊のもとの姿あてが特技だ。
私の死霊たちは、基本丸くて、半透明ふわふわというどの子も似たような姿をしている。
よーく見ると、小さなしっぽがあったり、牙があったりと、生前の特徴が残ってるんだけど、本当によく見ないと分からないくらいの差。
それをシリウス様は的確に当ててくる。その的中率はいつも100%だ。
「すごいですね、シリウス様。確かにその子、猫です。昨日の夜に城下町の路地裏で死んじゃったんだと言っています」
「そうでしたか。――命半ばで死んでしまった事は悲しむべき事ですが、生まれ変わるまでの今しばらく、姫のそばで過ごすのもいいでしょう。あなたの魂に祝福があらんことを」
祝福をもらった元子猫の死霊はうれしそうに聖堂の天井に舞い上がり、くるくると回った。それをみて、優し気に微笑むシリウス様。
はー。尊いってこういうことをいうのでしょうね。ほんとに聖人。
私は、シリウス様のこの笑顔が本当に好きだった。
「ところで、姫様。先ほど王に呼び出されたと聞いたのですが、何かありましたか?」
ぽけーっと、シリウス様の顔を眺めていたら急に話を振られてびっくりした。
私は、動揺を抑えながら答える。
「え、えっと……、実は私に縁談が決まってしまって」
私は、遠方のクランベルグに嫁ぐことになった事、一週間後にはもう行かなくてはならないことを伝えた。
「なんと――それは、なんというか」
いつも聖人君子なシリウス様だから、普段通りの笑顔で
『それはとっても良いことですね。おめでとうございます』
とでも言われるのかなと思ったら、意外なことに、シリウス様は言葉を詰まらせた。
それどころか思い悩むように、眉毛を寄せて考え込んでしまった。
「姫様は、よいのですか? そんな説明もろくになく、他国に追いやられるように嫁ぐことになっても」
「それは……正直突然のことですし、こころの準備もできてないのですが、でも王族ってそういうものですし、ね……」
そうなのだ。私だって、生まれたときから王女をやっている。国のならいくらい、理解している。王族に小説のような自由恋愛なんて許されていないのだ。
――でも、本当のことをいうと、嫌だった。
逃げたい。断りたい。顔も知らない男の所に行くのなんて、まったく想像できない。
それに……今、目の前で真剣な顔で私のことを心配してくれているシリウス様。
本当は、私はこの人のことが好きだった。
好きだという気持ちを自覚したのは、14歳の時だ。シリウス様は、まだおじい様のプリンシパル様の下で、修行中の身だったけれど、たまに会う私にとてもよくしてくれた。
そのころから死霊たちとも仲良くしてくれた優しい人に、私はすぐに好きになった。
お父様に、シリウス様と結婚したいとわがままを言ったり、本人にも好きだと伝えたけれど
「姫様、私は神に使える身、ましてや修行中の身です。それに、姫様とは身分も違いますから、どうか」
と、困らせてしまった。
お父さまにも王女としての自覚が足らないと、こっぴどく叱られて、その夜は一晩中泣いて過ごしたものだった。
シリウス様のほんとうに困った顔が忘れられなくて、それからその気持ちはそっと胸の内に秘めたままにしてある。
だけど、18歳になった私の胸にもその想いはまだ残っている。きっとこれからもずっと。
「――しょうがない事、なんですよ。本当に、しょうがない……」
そこまで言って、私はしゃがみこんでしまう。そんなつもりはなかったのに、止めどもなく涙が溢れてきた。声が抑えられなくなって、ついにはしゃくりあげてしまう。
『――そっか、私、本当はすごく、悲しかったんだ』
一度自覚してしまうともう駄目だった。どうしても止められなくて、シリウス様の僧衣の裾をつかんで、大声で泣いてしまった。
シリウス様は黙って、そっと抱きしめてくれた。
死霊たちがそっとほほをなでてくれたのが、ひんやりとした風が通り過ぎてなんとなく分かった。
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