SNSの悪魔より愛しい読者様へ
この小説は、あなた様の貴重な時間を奪い、不快にさせる恐れがございます。
それでもよろしい場合は、読み進めてくださいませ。
「ああ……どうしようかね」
悪魔酒場で、うだつのあがらない声を出すオレ。
オレは悪魔だ。
悪魔といえば、人間からすれば、超常の力で好き勝手生きているとか、自侭で、自堕落で、不誠実と思われているかもしれないが、んなこたぁない。
悪魔はこの世界で最も誠実な生命体だ。
というのも、悪魔は確かに魔法の力を使ったり、永劫の時を生きたりするやつもいるが、そんな力が無料で無限に使えるわけもなく、必要な対価を差し出して初めて得られることになっている。
具体的には、人間の『魂』の力が必要になるのだ。
この魂の力を配分することで、魔法を使ったり、オレらの寿命が延びたりするわけだ。
つまり、魂の力を回収できないやつは、うだつのあがらないやつで、寿命だって短い。場合によっては十年かそこらで、魂の力が足りずに消滅しちまったやつもいるらしい。
オレも二十年とそこそこ、どうにかこうにか、せせこましく魂をかせいで生きてはきたが、いよいよ限界が近い。
オレの魂財布を見てみると、すっからかんに近く、貯魂を考えても、あと一週間かそこらで尽きる。つまり、オレは死ぬ。
人間は死んだら、地獄か天国にいけるらしいが、オレたち悪魔にはそんなセーフティネットはない。ベーシックインカムなんかあるはずもなく、ただ、透徹した無へと身を浸すのみ。
いやだっ。
消えたくないっ。
なぜオレが消えなければならないんだっ。
ちくしょう。
そんな、社会に対する怒りのようなものが無限に湧いてくる。
しかし、そんな怒りも長くは続かない。
しぼんだ風船のように、げんなりした気分になった。
悪魔が絶望するなんてどんな状況なんだ。
「マスター。勘定を」
「どうなさったのです? ひどいお顔ですよ」
マスターは老齢の紳士といった風情の悪魔だ。
この悪魔酒場にいるのはみな悪魔なので、当然彼も悪魔である。
しかも、見た目が老齢ということはオレなんかよりも、ずっと長生きをしているに違いない。
だから、なのか。
悪魔の世界は生き馬の目を抜くようだというのに、マスターに対して、オレは言ってしまった。
「オレ。消えそうなんすよね」
「ほう。魂が尽きかけているのですかな」
「そうっす……」
まさに消え入るような気分だ。
悪魔は通常、自分の貯魂がどれくらいか吹聴したりはしない。
ましてや、それが尽きかけているなど、自分が無能ですといいふらしているようなものだ。
誰もそんな者のそばによりたいとは思わないだろうし、世間に顔を向けて寝られなくなる。
「恥じ入ることはありませんよ。わたしもあなたぐらいの年齢のときは、そういったこともありましたねえ」
マスターは幽雅な動作で、オレにもう一度座るように促すと、黄金色をしたウィスキーを、とぷとぷとついだ。
「マスター。オレ……魂が」
「おごりですよ。もちろん」
「あ、ありがとうございます」
悪魔の世界で、人情をかけられたのは初めてだった。
ウィスキーを口に含み、一気に胃の中に流しこむ。
カッと心臓が燃えるように熱くなる。
「ちくしょう。どうしてうまくいかねぇんだ」
「時代は変わりましたな」
マスターはお盆を吹きながら、モノクルをくいっとあげた。
「たかだか二十年くらいで、人間が変わったんすかね」
「いいえ。人間が変わったのではなく、社会が変わったんですよ」
「社会が……」
「いまの人間社会。高度情報化社会と言われているでしょう」
「ええ……」
「ICTという言葉をご存知ですかな」
「ITーなら知ってるんですが、Cって……」
「コミュニケーションのCですよ。海外ではICTのほうが一般的ですな」
「あいしーてぃえるよ……なんつって」
「……」
「すいませんでしたっ」
席から立ち上がって、オレは頭を下げた。
マスターはすぐにとりなして、許してくれた。
「ともかく、こういう技術革新のせいでしょうな。いまでは人間に魂の売買をもちかけても、たいしてのってこない。なぜだと思います?」
「地獄にいくかもしれないと知っているからでしょうか」
「それもあるでしょうね。ただ、昔も同じですよ。人間は地獄の存在を知っていました」
「確かにそうですね。あの忌まわしい世界的ベストセラー著書のせいで、人間は悪魔と取引すれば地獄に落ちるらしいことを知ってしまっています。だったら、情報社会になったからって何が変わるってわけじゃ」
「人間の感情というものが、即座に共有されてしまうようになったからですよ。例えば、昔は誰かに復讐したいと思ったら、それはきわめて個人的な事柄でした。誰かを殺したい。辱めたい。名誉を回復したい。そのためだったら魂を削ってもいい。寿命をいくらかかくれてやってもいい。そう思うやからがたくさんいたんです。だから、我々は交渉をもちかけることができた」
「いまだって、交渉はもちかけることができるじゃないですか」
「確かに、そのとおりですよ。ただ、復讐したいと思ったときに、それがありふれたものであるということを人間は既に知ってしまっている。自分の個人的な体験として、世界で唯一の体験としての復讐というものは幻想でしかなく、世界で苦しんで不幸を背負っているのは自分ひとりに違いないという幻想は、なかなか抱けなくなっている。その忌まわしいICTのせいでね」
「スマホで、誰かと会話したからって、例えば殺人鬼に親を殺された人の恨みが晴れるとも思えないんですが」
「もちろん、そうでしょうね。ただ孤軍奮闘するよりは、"被害者の会"にでも入ったらいいですし、犯人に復讐したければ超常の力に頼らなくても、探偵を雇えばいい。ただ泣き寝入りする程度で済むほどの傷であれば、夜中に匿名掲示板で泣き叫べばいいんです。つまり、我々が介入する前に、彼らはその欲求を満たしやすくなっているのですよ」
「そうなんすかねぇ……」
「まあ、人間自体が、中途半端に善性をもっているせいで、たいしていいこともしなければ悪いことをしないようになってきているというのもありますがね。そうそう……、あなたが最近、魂の交渉をしたのはいつなんです?」
「一ヶ月くらい前ですかね」
「それはどういった経緯で」
「オレと同じくらいの年齢のやつで、そいつは出世をしたがっているみたいだったんで、寿命の半分をくれたら出世させてやるよと持ちかけたんです」
「で、ダメだったと」
「はい……」
最初はうまくいっていると思ったんだ。
もちろん、人間に対するパフォーマンスは忘れていない。
登場したシーンは宙を浮いていたし、指先から炎を出すちゃちな魔法を使ってやった。
そいつはオレが悪魔であることは信じたみたいだった。
けれど、最後にブルっちまって、寿命を半分も渡すくらいなら自分でがんばったほうがマシだと言いやがったんだ。オレはおまえの未来は見えている。オレの力に頼らなければ万年平社員だぞといったんだが、それでもいやだといいやがる。
言うまでもないことだが。
悪魔は誠実だ。
悪魔と人間が交渉するときは、悪魔は嘘をつけない。そして無理強いすることもできない。人間がいやだと拒否しているのに無理やり魂を持っていこうとすると、あの忌々しい光ってる奴らがやってきて、強制排除をくらっちまうんだ。
しかたなしに帰ったあと、あとでこっそり見てみたら、そいつはソシャゲでSSRのカードをひきながら、「まあいっか」とか言っていた。
まあいっかじゃねえよ。
こっちは営業に時間費やしてるんだよ。
そんなんだから、おまえ出世しねえんだよ。
と言ってやりたかったが、もちろん暴力もご法度だ。
光ってる奴らが来るというのもあるが、そんなことの前に、悪魔は人間ごときに暴力を振るう必要はないという不文律のようなものがあって、もしもそんな手段を使って、まんまと魂を回収しても、そいつは悪魔界で笑いものになる。
オレは歯噛みしながら、クソ安いボロアパートに帰るしかなかった。
「なるほど。しかし、足で稼ぐというのは悪くないことです。いまどき、君のような若者は少ないですからな」
「はぁ……、そうっすかね」
「ただ、寿命の半分というのは、どうなんでしょうね」
「え?」
「たかだか出世くらいで、寿命の半分というのは、付加価値としてはどうなんでしょう」
対価性。
つまり、契約にはそいつが望むべきものを与え、その対価として魂をもらう。
これが著しく不均衡だと、オレたち悪魔は魂をとれない。
そういった感覚は悪魔なら、誰しも持っており、この感覚にしたがっている限り、対価性を欠くということはありえない。
例えば、そいつを出世させるというのは因果を曲げる行為なわけで、そいつが出世できない因果を持っていたら、オレの力を使わなければならない。一日の寿命と引き換えに出世させたとすると、オレが大損する。
それに心の中では、そいつもうすうす気づいていたんだ。
自分が出世するなら寿命の半分くらいは差し出さないといけないってな。
ちなみに、悪魔の契約は黙示でも成立する。
そいつが、心のどこかで、『それでいい』と思ったら、成立するんだ。
「でも、そいつは出世したがってましたよ」
「まあそれは正しいでしょう。ただ、今の世の中は、これもまたICT技術のせいなのでしょうが、趣味が多様化しているんです。そして価値観も当然多様化している。出世したいのは、お金が欲しいからで、お金はいろいろなことを中和してくれる存在ですが、人生はそれだけではないこともまた知っているわけです」
「確かに……そうかもしれません」
「まあその人も、出世よりもSSRのキャラ愛のほうが勝ったわけですよ。だから、あなたの取引は失敗したんです」
がっくりとうなだれるほかなかった。
いつだって、人間どもが悪魔に勝利する際には、『愛』がかかわってくる。
「どうすりゃいいんでしょうね……」
「そうですねぇ。やはり営業は時代に合わせるべきだと思いますよ」
「どんなふうにですか」
「ふふ。それを他人に聞きますか」
「あ、いや、すみません」
営業方法を他人に聞くなんて、悪魔としては三流もいいとこだ。
そいつは、自分で考えられないといっているようなものだから。
だが、悪魔には上司はいない。師匠にあたるようなやつもいない。
なぜなら、悪魔は完璧なまでに個人主義だからだ。
つまり、本質的に悪魔は無償で取引するということはなく、そこには常に交換という概念が横たわっている。
「きみのようなガムシャラさ。なかなか惜しい人材だ」
「マスター……、オレは消えたくない。教えてくれ」
「何パーセントでしょうか?」
「え?」
「つまり、わたしがあなたに、『時代に合わせたやり方』を教えたら、どれくらのバックマージンをいただけるのですかな」
「ご」
「ご?」
「五十パーセントで、どうでしょうか」
「ふっふっふ。若いですな。せいぜい五パーセントくらいにしておきなさい」
なんていい悪魔なのだろう。
こういう言い方が正しいのかわからないが、人ができている。
「まあ、従来どおりのやり方。つまり足を使った営業方法で言いますと、あなたが考えるべきはターゲット層でしょうな」
「ターゲット層? うだつのあがらない三十代くらいのサラリーマンではダメなんですか?」
「ダメとは言いませんが、彼らはまだ未来に希望が残っています。だったら寿命を支払ってまで、出世したいとか思わないでしょう」
「いったいどこを狙えばいいんですかっ」
「焦らせるつもりはなかったのですが……、まあいいでしょう。ズバリ言いますと、高齢者でしょうな」
「高齢者?」
「はい。高齢者、老人です。ついでに言えば、生活保護をもらってるような経済的弱者が望ましいでしょうな」
「でも、高齢者といったら、もう寿命がつきかけているでしょう。そんなに収益が上がらないんじゃ」
「ひとりでドカンと考えるからよくないのですよ。考えてみてください。もう残り少ない人生、生活保護をもらっていて、生活もまさにギリギリ。お小遣いなんて五千円もいけばいいほうでしょう。身寄りもおらず、孤独に打ち震えて、いずれは認知症にでもなり、何も残せず死んでいく。そう思ってる方も多いんじゃありませんか」
「確かに。そんな人たちに、百万やるから、残りの寿命をよこせといえば、成功する確率も高い」
「しかも……」
マスターは付け加える。
「彼らは情報弱者でもあるわけです。人間は七十歳を越えてから、急速にインターネットを使わなくなります。統計では七十歳、八十歳になると、五十パーセント以下に落ちこむようですよ」
「なるほど。わかりましたっ。がんばってみます!」
「ええ、がんばってください。ただ──」
「ただ?」
「あなたにはもう少し先に進めてもらいたいとも思うんです」
「え、なにをです?」
「従来の商売のやり方ではなく、そうですね。もっと画期的やり方、方法、そういったものを開発していただきたいんですよ」
「そんな、オレがですか」
「そう、あなたみたいな若い感性を持つ方じゃないと難しいでしょう。お恥ずかしいことに、わたしはもう八百年は生きておりましてな。なかなか若い子たちの感性についていけないのですよ」
「わかりました」
オレはマスターの目を見据えて言った。
心のうちには、燃えるような決意を抱いていた。
「ふっふ。しかし──、どうするのですかな」
「え、なにをです」
「運転資金ですよ」
「あ、そうか……」
今のオレに残されたのはわずか一週間程度の魂の力だ。
さすがに、一週間で成果というのは出ないだろう。
悪魔銀行で魂を前借りするか。
しかし、オレは既に一週間分ほど前借りしている。
そちらのほうの返済も迫っている。もはや、これ以上借りれないだろう。
どうすれば……。
「いいでしょう。わたしが少し融通しましょう」
「え?」
「そうですね。九百万ほどあればたりますか?」
「きゅ、九百万……」
もちろん、悪魔金融的な九百万だ。
つまり、寿命九百万秒のことを指す。
寿命に換算して、だいたい三ヶ月程度。
その価値も人間の感覚でいって、九百万円とさほど変わらない。
ただの酒場の客にそこまで貸してくれるなんて、いい人すぎて、逆に怖い。
オレはマスターに懐疑的な思いを抱いた。
こんなにまでしてくれるなんて逆に怪しいと思ったんだ。
当たり前だろう。
オレも、マスターも悪魔なのだ。
悪魔は嘘をつかないが、詐言は用いる。
「そんなに硬くならずに。わたしは君みたいな未来のある若者に長生きをしてもらいたい、ただそれだけなのですよ。もちろん、借魂です。いずれは返してもらいますが」
「あの……」
「なんです?」
人好きのする笑顔だった。
だからこそ怖いのだ。
「利息とかは発生しないんですか?」
「なるほど、利息が怖いのですか。なら……、書面にて取り交わしましょう」
マスターがパチリと指を鳴らすと、何もない空間に突如、紙面が現れた。
別段、悪魔であれば契約書を作成するのに、魔法を使うことはおかしなことではない。
問題なのは、その内容だ。
そこにはこう書かれている。
オレを甲、マスターを乙として。
甲と乙は魂消費貸借契約を締結し、乙は甲へ九百万秒分の魂を貸しだす。
魂の受け渡しは本日とする。(実際には何年何月と書いていたがまあいいだろう)
乙が甲へ貸し出す九百万秒につき、利息は発生しない。
返済日は本日より起算して、三ヵ月後とする。
このようなことが、やたら堅苦しい文で書かれていた。
まあ、悪魔が人間に持ちかけるときも、別段、紙で取り交わす必要はないのだが、ときには紙で文章化したいというやつもいるので、こういう文章が苦手なわけではない。
何度も確認するが、確かに利息も書いてないし、九百万も三ヵ月後に返せばいいとなっている。
だまされてはいないよな?
いや、いずれにしろもはや誰にも借りるあてはないんだ。
むしろ破格の条件といえる。
オレは決めた。
「借りることにします」
「よろしい。では、そのように……。あなたの活躍を期待していますよ」
☆
ボロアパートに帰ってきた。
あいかわらず廊下の電気が切れていて薄暗い。
ポストには、無料の広告がポストの中に突っ込まれていて、まるでゴミ溜めのようになっている。
なんの必要性もない広告が、もう食いきれねぇというような状態になっていたんで、引っこ抜いて本当のゴミ箱につっこんでやった。
クソ。めんどうくせえ。
しかし、オレの懐はいま、とんでもなく暖かい。
それだけで現実がクソなことが、いくらか緩和されることになる。
マスターは、金はいろんなことを中和するといっていたが、悪魔にとっての金は魂だ。
魂さえあれば、なんでもできる気分になる。
それに、それはあながち間違いではない。
魂があればあるほど、魔法も大規模のものが行使できるんだ。
もちろん、オレに残された魂は三ヶ月と一週間程度しかない。魔法なんて非効率的なことをしている余裕はないんだ。
小心者のオレは、まずは悪魔銀行の借魂から支払った。
これで、残りは九百万に少し届かないぐらい。
タンス貯金的なものも合わせれば、まあなんとか三ヶ月程度は時間的猶予ができたことになる。
身奇麗になったあとは、やったのはパソコンで『老人ホーム』を調べることだ。
だが、少し思いなおした。
老人ホームに入るということは、そいつらは既にある程度の生活が保証されている。
それに、生活保護を受けているようなレベルで経済的に困窮している場合、老人ホームに入るということがそもそも困難なんじゃないかと思った。
いろいろ検索しているうちにわかったんだが、どうやら、生活保護というのは、主に住宅扶助費と生活扶助費という二つに分かれていて、その二つの合計がだいたい十万円前後というのが相場らしい。
で、老人ホームは、月に十万円で済むかというと、ほとんどは十五万円が相場という感じで、生活保護を受けてるような貧乏人は入居できないってわけだ。
まあ、別に老人ホームだけの商売っていうのも、少ないみたいなんで、例えば訪問介護とかを付け足しておいて、そこからの介護保険料という形で国から金をとれば、生活保護だろうがなんだろうが、入居させるメリットはあるようだが、わざわざそんな大変なことをしないでも、老人なんて、この国にはいくらでもいる。儲けることができそうな金持ちを先にいれたほうがいいに決まってるというわけだろう。
人間にしては頭がいいじゃないか。
なんて思いながら、じゃあどうすりゃいいんだと思った。
マスターの話によると、高齢で身寄りがなく、さらには生活保護を受けているような経済的な弱者がいいということだったが、そんなのどうやって探せばいいんだよ。
そいつらはインターネットすら使ってない可能性が高いんだぞ。
人間がこのごろ使ってる短文を吐き出すSNSである『あーくまったー』で、『高齢で独居で生活保護受けてるやつらってどこにいるんですかね』と呟いたところ、リツイートという形で来たのは『行政に聞けばいいんじゃね?』だった。
しかたないので、行政に聞いた。
それっぽい職業を名乗って、聞いてみたら、ケースワーカという謎の職業のやつが取り仕切っているらしい。そいつとコンタクトをとって、ようやく、独居で生活保護で高齢者という、ターゲットとのつながりができた。
しかし──、
問題は、そいつは、そのターゲットは……、認知症で、既に……。
はい。契約を結べる状況じゃなかったんですよね。
無理やり在宅で、かつ訪問介護のときだけパンツ変えて、飯食ってるような状況で、わりとギリギリの生活しているなという印象でしたです。
人間って大変なんだと思いました(小並感)。
……。
ちくせう。
前にも述べたが、悪魔の契約は人間の自由な意思を必要とする。つまり、認知症が進んで、既に自分の名前もかけないようなレベルだと無理だ。
もちろん、この国の高齢者なんていくらでもいるから、条件に合うやつは根気よく探せばいつかは当たるだろう。しかし、オレにのこされた時間は少ない。
それからさらに時間が経過し、幾人かのケースワーカと連絡をとりあったりもしたのだが、あいつらはどうにも使命感に燃えてるやつらばかりで、どうにも仕事がやりにくい。
まず、やつらは自分達の客を大事にしている奴らが多くて、こちらが接触してくると身構える。信頼させて、接触し、最後にターゲットに近づくまでに時間がかかりすぎるのだ。
こんな非効率的なことをやるぐらいなら、そこらの疲れたリーマンを適当に見繕うほうがマシかもしれない。
いや、可能性は感じているんだがね……。
二週間の間に、ひとり客と接触して。
そいつは死ぬ間際に最後にもう一度故郷の山を見たいとか言い出して、そんなの連れ出してもらったらいいじゃねーかと思ったんだが、客は客と思いなおして、魔法で連れて行ってやった。
で、そいつの寿命は残り二週間だったんで、上がりで言えば、百五十万魂くらいか。
そして、三ヶ月が経過した。
マスターはすぐにやってきた。返済を迫るためだ。
「どうですかな。調子は」
「すみません。マスター、可能性は感じているんですが……」
「どの程度回収できたんです」
「百五十万です」
「三ヶ月で百五十万の売り上げ。支出はあなたの寿命ですから、これがだいたい九百万程度。ふむ、純然たる赤字ですな」
「はい。そうです……すみません。待ってください。オレは消えたくない」
「わかりました。では、遅延損害分として百万分だけいただいておきましょうか」
「え? 遅延損害? 利息はとらないって約束じゃ……」
「利息と遅延損害は違いますよ。そりゃそうでしょう。三ヶ月後に返すと約束して返さない。ペナルティがないわけではないのです。それにわたし自身に対してのペナルティでもあるのですよ。あなたという人を見誤ってしまいました。もう少しできる方だと思いましたのに」
まさにそのとおりだった。
オレはどんな理由であれ、三ヶ月で借魂を返せなかったのだ。
がっくりとうなだれていると、いつのまにやらマスターはいなくなっていた。
マスターにとっても、九百万を貸して、たった百万しか回収できないというのでは大損なのは間違いない。
この収益モデルに自信があったんだろうが、それをまわすオレに才能がなかったんだろう。
あと一週間。
それでオレは消える。
消えるのか。オレは……。
魂が欲しい。
誰でもいい。
しかし、世の中のやつらはわりと考えないようで考えている。
寿命というものを見据え、それに見合うだけの効果だけ欲しいと考えている。
例えば、オレに残された一週間。
この一週間をもう一週間だけ引き伸ばすのに、どの程度の対価を求める?
悪魔の契約は、対価性を有していなければならない。これは心理的な対価性で、例えば、人間が本当に欲しがっているものであれば、魂を多くもらうし、逆にたいして欲しがっていないものであれば、そんなにまで魂は削れない。これは悪魔的な感覚に基づくものであり、オレが意識的に勝手に無理やり簒奪することはできないのだ。
マスターが提示した収益モデルの『高齢者、生活保護、独居』という場合、金がなかったり孤独に飢えていたりして、その結果、人生が楽しくないと感じている可能性が高い。だから、悪魔の契約が成立する可能性が高いと考えられたわけだ。そういった人間が比較的多いカテゴリーでもあるしな。
ただ、そいつらから簒奪するモデルは、やはり破綻しているのかもしれない。
そいつらも、というべきか。
ケースワーカという謎の職業のやつらに守られていたし、つまり『愛』されているわけだ。
こういう場合、オレらのような悪魔は太刀打ちできない。
自己の魂を削るという心理的障壁をのりこえることができない。
心理的障壁――。
つまり、魂を削ってもいいという同意。
残された日数。
いろいろなことが頭をめぐって眠れない。
せめて一日でも。一日でも魂が欲しい。
どの程度なら、一日をくれる。耐え難い飢えが襲った。それはまさに、存在そのものの根底からくる飢えだった。せめて、物理的に飢えを満たそうと思い、コンビニに向かう。
外に出る途中で、また広告が溜まっていて──
クソという気分で、ゴミ箱に放りこんだ。
帰宅。
結局、タバコだけ買った。
ちくしょう。どうすればいい。
マスターは、もしかしたらまだ心のどこかでオレのことを期待しているのかもしれない。
だって、そうじゃなかったら、オレはもう終わってる。
残された五十万秒が、オレに与えられた時間だ。
せめて一日あれば。
一日だけもらえれば──。
ん?
あれ?
一日だけ──って、どれくらいの心理的障壁を乗り越えればいいんだろうな。
人間が寿命を一日だけくれって言って、くれる可能性はどれくらいあるんだろう。
もちろん、やつらは自分が死ぬことを恐れているから、くれといってくれるほど人が良いわけではないだろう。
だが──。
一日ぐらいなら、場合によっては『それでいい』と思ってしまわないか。
人間の中に潜む悪魔的性質が、それでいいと思わせてしまわないか?
そうか。
そういう方法もあるか。
思い立ったが吉日という言葉もあるように、オレはあることをした。
それから、三日後。オレの寿命は二週間ほど伸びていた。
☆
「すばらしい。三日で、二百万を稼いだわけですか」
「ええ、マスターにお返しできる日も近いですよ」
「どのようにというのはお聞きしないほうがよいのでしょうな」
「いえ、そうですね。ひとつはカンタンですからお教えしますよ」
「ほう……」
マスターがうれしそうに目を細める。
それはあのときにとっさにひらめいたことだった。
何のことかというと、家のポストにつっこまれている大量の広告だ。
オレは思った。
あれはいったいどんなやつらが突っ込んでいるんだろうってな。
今では、どんなボロアパートでも『広告の類はお断りしてます』の一文を載せてあるところがほとんどだろう。それなのにもかかわらず、彼らは広告をつっこんでいる。
だから、オレは──
ポストの前にさらに一文追加したシールを掲載した。
『広告を入れないでください。もしも入れた場合は、魂を一日分いただきます』
その一文は目に入ったはずだ。
そして、心理的障壁を易々と乗り越えた。
たった一日だったら。
あるいはそんなの嘘に決まってる。
だって、広告を入れるのは仕事だし。
そんな言い訳とともに、広告は投げ入れられる。
心の中で同意してしまっているんだ。
広告を投げ入れるかわりに一日くらいなら魂をとられてもいいってな。
つまり、悪魔的性質──怠惰。
そんなわけで、無駄で無意味で、なんの必要性もなかった広告は、オレにとってお金が投げ入れられているのと同じ意味を持つにいたった。
「なるほど……すばらしい発想ですね。しかし、教えてもよかったのですか」
「いえ、この方法だとたかが知れているんですよね。あくまで自分のとこのポストくらいですし、他人のポストに張っても、契約が成立しないわけですから」
「ただ、このやり方を悪魔業界に流せば、君は悪魔特許をとれるかもしれませんよ」
「いや、いいんです。他にもいろいろと思いついてますし」
「よろしい……。なら、次も面白い発想を見せてください」
「はい」
まあ、今試しているのは、例えば店先に傘を突っ込んでおくことかな。
その傘の柄のところには『勝手に持っていかないでください。持っていった場合、一日分の魂をいただきます』と書いてある。
これもまた、雨で濡れるよりは、一日分の魂を差し出してでも傘を盗みたいと思っているわけだ。
だから、問答無用で契約は成立してしまう。
悪魔と直接対話しなくても、まあ言ってみれば、野菜を外で出しっぱなしにして売ってるようなものだ。人は不在であるが、自分の中で対価性があると判断し、その決断をしていたら、取引は成立してしまう。
傘は──、まあそこそこの売り上げだったかな。
雨が降るまで待っておかなければならないし、オレ以外にも傘は大量に置かれているのがこの国だから、たまたまオレのおいたやつがとられるとは限らないんで、難しいところ。
で──、まあそういうわけだよ。
結局、物理的な世界に比べて、こういう無作為の投網漁法的なのは、ターゲットがひたすら多いだけでいい。属性なんて考えない。ただ、オレの思想に触れさえすればいい。そんなのは、ネットの世界のほうが適しているに決まっている。
だからさ。
オレはこの文を読んでるおまえに言いたいんだけど。
わざわざ前文で書いてたとおり、警告したよな。
オレはおまえの貴重な時間を奪うと。
それなのに、なぜここまで読んでるんだ。
小説というのは、いわば娯楽だ。読者に暇つぶしという時間を与えている。
そう、オレは与えているんだ。
今度はおまえが払う番だろう。
もちろん、そんなのはオレの勝手な考えであって、それはそれでいい。
だが、オレはあえて、ここで魂を簒奪されるのを回避する方法を提示してやろう。
魂をとられると書いているにもかかわらず、あえてポストに広告をつっこんだやつのように、その怠惰な性質が、魂の取引を成立させる。
だから書くのさ。
──この作品に対して、なにかしらのリアクションをとってくれ。
ただ読むだけ?
ええ、もちろんそれでもかまいませんよ。
悪魔はあなた様の選択を心より尊重していますので。
その場合は魂を一日分いただくことにいたします。
まあ、なんというかドラクエ4の四コマでやってた、マーニャが負けるほうに賭けて、負けてるけど勝ってるというような、例の理論です。
負けても勝てるなんてすごい!