5.手からビーム
食事の後は、狭いキッチンに身を寄せ合うように並んで洗い物をした。
ツバサが手伝うといってきかなかったのだ。
そして彼女は言いだした。
「お礼をさせてください」
「そんなのいいって。僕も楽しかったし。それにこんなことで、お礼なんて貰えない」
たかだか中古の携帯電話と、ガサツな男料理だ。
恐縮されるとかえって申し訳ない。
「受取ってください。わたしがこの世界に来たという証しを、翼さんに残しておきたいんです」
しかし携帯電話だけを握りしめ、彼女は『アカバネ』世界からやってきたのだ。
翼に渡すものなど、なにも持っていないはずだ。
「翼さん、このお部屋にもう使わない、不要になったものはありませんか?それをひとつ、いただきたいんです。できれば、なるべく固いものが良いんですけど」
「え?」
僕にプレゼントをくれるんじゃなかったの?
不要品はありませんか?と、チリ紙交換みたいなことを言い出した彼女に、ポカンとする。
訳も分からないまま、翼は玄関へと向かい、紐もかけずに積み上げていた古雑誌を一冊手に取る。
「どうぞ」
翼が彼女に渡したのは、業者が勝手に送りつけてきた通販カタログだ。
石板のように分厚くて、固い代物だった。
「本当に不要なものなんですか?綺麗な絵が、たくさん付いているのに」
「うん、捨てようと思ってたんだ」
「壊してしまっても構いませんか?」
それはまったく、聞き捨てならない。
壊すって何だ?壊すって?
破ると言わずに、ツバサはこれを壊すと言った。
まさか、この細身のツバサは怪力の持ち主だったのか?
これから彼女はその手で、分厚い通販カタログをバリバリと引きちぎる。
まさか、そんなことあるわけない。
「う……うん、好きに使ってよ」
「それでは失礼して。よーく見ててくださいね」
ツバサはスッと立ち上がった。
手狭なワンルーム、低い天井スレスレの高さまで。
ツバサは片手で、その重く分厚いカタログ雑誌を放り投げた。
そしてクルリと一回転、制服のスカートをはためかせターンする。
すべては、わずかな時間に起こったことだ。
彼女の唇がかすかに動く。聞き取れないほどのささやき声が漏れた。
そして彼女は左手のひとさし指を、落ちてくるカタログに向かって伸ばした。
指先から放たれたのは一条の光だ。
青い光はカタログを貫いた。
最後に光を出したのとは逆の手で、落ちてきたカタログをキャッチする。
「どうぞ」
結果は見なくても分かっている、というように。ツバサは翼にカタログを差し出した。
いま起こったことは、翼の見間違いではない。
ポーズをとって微笑む表紙の女性モデルの額には、直径1.5cmほどの穴が開いていた。
向こう側の景色がクッキリと見通せる。
光線は分厚いカタログを貫通していた。
翼は恐る恐る、穴のふちに触れてみた。
穴は紙が燃えてできたのではない。焦げあともなく、焼けた匂いもしなかった。
穴があいた部分、ツバサの指から出た光に触れた部分だけが消失した。そうとしか思えない。
翼はカタログを置くと、パチパチと拍手をした。
ツバサがむくれた顔になる。そんな反応が欲しかったわけではないようだ。
「これは手品とは違います!」
「もちろん、分かってるよ」
それは正真正銘の魔法の力だ。
彼女は本物のファンタジーなマンガ世界の住人だ。
しかしその翼の感動に、すぐさま冷水が浴びせられる。
「それでは、手順を説明させていただきます。まず……」
さっそく説明に入ろうとした彼女に、翼は待ったをかけた。
「ま、待って。僕へのプレゼントって?」
「はい、あいにく何もさし上げられるものがないので。せめて、わたしの世界の技術を知っていただきたいと思って」
「ツバサさんが、僕に教えてくれるの?」
「はい」
「魔法の使い方を……!?」
「はいっ」
「なんでそうなる!?」
「翼さんは、これを気に入ってくれたんじゃないんですか?」
「いやいやいや、確かに拍手はしたけども!自分もやってみたいなんて、ひとことも言ってない」
と、翼は必死に首を横に振る。
「おぼえておけば便利ですよ」
ツバサが簡単に言ってくれた。
便利?指からビームが出ることが?
甚だ遺憾だ。
「護身に役立ちます」
護身どころか過剰防衛だ。
あんなビームが命中したら、相手は間違いなく即死だろう。
動く理屈が理解できる分だけ、拳銃を渡されたほうがまだマシだ。
「気持ちは嬉しいけどもさ。絶対に無理!魔法なんて、僕に使えるわけがない!!」
「できます!翼さんには力があるんです。ふたつの世界を繋いでわたしをここに呼んでくれた……翼さんに記憶がなくても、それは事実です」
そしてツバサは翼の手を取った。
「……ツバサさん?」
その感触にハッとさせられた。
翼の手の甲に重ねられた手のひらは、そのたおやかな見た目に反し固くひきしまっていた。
彼女は、日常的にその手に剣を握るのだろう。
翼は、彼女と自分が住む世界の隔たりを感じた。
本当に遠くから、彼女はやってきた。
剣と魔法、そして戦いが日常である世界から。
「ここに意識を集中させてください。大丈夫、本当に簡単なんです」
翼は目を閉じ、集中している振りをした。
ツバサには悪いが、何も起こらなければいいなと思いながら。
先ほどと同じように、聞き取れないほどの小声でツバサはなにやら唱え始めた。
やがて変化が訪れた。
最初、翼は自分の右手が痙攣し始めたのかと思った。
いやそうではない。
翼の中で脈打ち始めたのは熱だった。
その熱はまるで生物のようにうねり、翼の内側から湧き出していた。
翼は目を開いた。
自分の右手を光が包んでいる。
揺らめく光のその色は、濃い青だ。
先ほどツバサの指から発せられた光と同じ色だ。
生まれたときから20年間見なれたはずの右手は、翼の扱いきれない別のなにかに変わってしまったらしい。
「やっぱり、間違ってなかった。翼さんはわたしの特別な人です」
そして確かめるように、ツバサは翼の手を強く握りしめる。
「特別?」
「翼さんはわたしと同じ色、同じ星を持っている」
ツバサが重ねていた手を離した。
「翼さんは自由にこの光を使うことができるんです」
「できないよ。僕はなんの呪文もしらない」
翼の言葉を聞いて、ツバサは微笑する。
「決められた言葉なんてありません。飼い猫と同じです。好きな名前を付けて、呼んであげてください。必ず翼さんの声にこたえてくれます」
「そんな適当なことでいいの?それで魔法が出るわけ?僕のこの手から?」
「はい」
「うーん」
翼は頭を抱えた。
未だパニックの真っただ中だ。そんなことを言われたって、なにも思いつくわけがない。
「……たとえばさ、たとえばだよ?単純に『手からビーム!』とかでもいいのかな?」
「いいと思います」
真顔でうなずかれた。
そしてツバサは穴のあいた通販カタログを手に取り、翼に差し出す。
この的に向かって撃ってみてください、ということだ。
彼女の真っ直ぐな瞳に押される形で、翼はそれを受け取った。
ツバサのような曲撃ちは、とてもできそうにない。
翼は通販カタログを投げたりせず、たた片手に持って立ち上がった。
腕をピンと伸ばして、できる限り自分の体から的であるカタログを離す。
翼はそのまま硬直していた。
えーっと、この光をまとっている右手全体がピストルだと考えると、銃口にあたる部分はどこなんだ?
どうやって狙いを定めたらいいのか、まるでわからない。
オロオロする翼に、ツバサはアドバイスをくれない。
ただ隣で、じっと見守っているだけだ。
とにかく集中集中……と翼はまた目を閉じた。
5秒、10秒……
プレッシャーが痛い。沈黙が痛い。
30秒、40秒……
窓の外を通り過ぎるトラックの排気音。どこからか聞こえる犬の遠吠え。
自分の呼吸や心臓の音までもが、なけなしの翼の集中力をかき乱す。
そしてたっぷり3分たったところで、翼は耐えきれずに不安をぶちまけた。
「ねえツバサさん……これが外れたら、やっぱりまずいよ」
ビームが壁や天井に当たって、大穴でも開けてみろ。もしかしなくても警察沙汰だ。
「ビームの強弱を調整できる方法とかってないの?ほんのトロ火程度でいいんだけど」
ふざけているのではなく、翼は必死だ。
しかしツバサは沈黙したままだ。
「ええっと……うん、ツバサさんの教えてくれた方法に文句があるわけじゃない……けどさ、いきなり本番っていうのも危険だと思うんだ!急に泳いだら足をつって溺れる、なんてこともあるじゃない?準備運動とか、素振りとか。そういうの魔法にはないのかな……?」
準備運動をする魔法使い。そんなもの翼だって、どこのマンガでも映画でも、見たことないけれど。
「ねえ、ツバサさん?」
返事がない。馬鹿な質問で、怒らせてしまったのだろうか。
「ツバサさん……?」
そこで、翼は目を開けた。
ツバサはいなかった。
そして翼の右手を包んでいた青い光も、いつの間にか消えていた。
しばしの放心状態から覚めると、翼は狭い部屋の中を探した。
トイレ、バスルーム、クローゼット――人が入りこめるスペースは全部確かめた。
ツバサはどこにもいなかった。
彼女は行ってしまったのだ。
無事に元いた世界『アカバネ』へと、たどり着くことはできたんだろうか?
翼にそれを知る術はない。
先ほどまで部屋に立ち込めていたナポリタンの匂いも、もうほとんど消えてしまっている。
一人の部屋がいやに白々と見えた。
ツバサがここにいたという痕跡はない。残ったのは記憶と、さきほど握った手の感触だけだ。
いや、あきらめるのはまだ早い。
彼女には携帯電話を渡してあるのだ。
翼はちゃぶ台の上のノートパソコンを開くと、自分の日記サイトへとアクセスした。
日記にツバサにあてたメッセージを書き込む。
「今日は楽しかった。君に会えてうれしかった。もし可能なら、ここにコメントを書き込んでほしい」
そんなことを、ゴチャゴチャと書きこんだ。
「君にまた会いたい」
その言葉は迷ったが書けなかった。




