52. 曲がり角の向こうから
「これを見てください」
夕は北川に、自分の携帯電話を差し出した。
画面に表示されていたのは、一通のメールだ。
『素敵な出会いを、お探しのあなたへ!特別なお知らせです』
この件名。有料アダルトサイトへ誘導するのが目的の、ごくありふれた迷惑メールにしか見えない。
「迷惑メールはブロック設定してるはずなのに、なんで届いたんだろうって……」
なんと気なしに、夕はそのメールを開いてしまったのだ。
中身は更にひどかった。
夕の元に届くまでのどこで躓いたのか、メールはひどい文字化けを起こしていた。
内容をまったく読み取ることができない。
しかし、しばらくメールを見つめるうちに北川は気づいた。
意味をなさない文面に、見慣れた文字列が隠されている。
中野翼という名前と、『アカバネ』というタイトル。
ふたつの言葉が文字化けの隙間を縫って、小鳥の足跡のように点々と配置されている。
そしてメールの最後に記されているURLは、アダルトサイトのものではない。
翼の書いている、あのWEB日記のページのアドレスだった。
「最初は先輩がふざけて、このメールを送ってきたと思ったんですが……」
メールの届いたのは、夕が翼に『アカバネ』を教えたその前日だ。
もともと、夕は『アカバネ』を知っていた。
翼と同姓同名の、登場人物がいることもだ。
「本当に中野先輩のイタズラなのか?カマをかけるつもりで、あの日わたしは『アカバネ』の話を持ち出したんです」
しかし、翼からは返ってきた反応は薄かった。
『アカバネ』というマンガも、その時初めて知ったようだった。
「じゃあ誰が、そんなメールを波戸さんに送ったっていうんだ?やっぱり中野翼君の仕業じゃないの?」
いちおう北川は聞いてみた。
「良く考えたら、その時先輩はわたしのメールアドレスを知らなかったはずだし」
ふたりがアドレス交換をしたのは、つい最近の話だ。
「だいたい何のために、中野先輩がこんなことをしなきゃいけないんですか?自分の日記の宣伝ですか?」
だったら、面と向かって「見てね!」と言えばいい。
こんな回りくどいことをする必要はない。
「で、波戸さんは中野翼君の日記を読んだの?」
「ええ……一応」
あの日記は、自分が承認したメンバー以外は見られないように設定してある。
翼はそう言っていた。
なぜか波戸夕は、そのチェックをすり抜けてしまったらしい。
「このメールか日記を見せて、中野翼君に聞けば良かったのに。これは貴方が書いたんですか?って。なぜそうしなかったんだ?」
「い、言えるわけがないじゃないですか。確かな証拠があるわけじゃないんですから」
夕のうろたえぶりを見て、北川は分かった。
彼女は翼の日記を、ずっと読み続けていたのだ。
確信がもてない?日記の記述と、実際の翼のアルバイトシフトを照らし合わせてみただけでも、両者が一致しているのが分かるだろう。
「うん、事情は分かった」
北川が言った。
夕は怪メールや翼の日記だけで、今回の騒動のすべてを理解したわけではないだろう。
ナカノツバサの名前が日記に登場し始めたその頃から、様子が違ってきた中野翼。
そして実際、銀髪の少女が翼の元に現れたことを、夕は聞き及んだ。
更に、この北川の出現だ。
全部が出揃ったところで、夕は行動に出ることに決めたのだ。
「波戸さんは、あいつに惚れているのか」
あくまでも平板な口調で、北川は言った。
からかう意図など微塵もない。ただの事実確認だ。
「わたしが先輩のことを好きだったら……それが、どうしたって言うんですか?」
夕は挑むように、北川をにらみ付ける。
――ああ、面倒くさいなもう、と北川はため息をつく。
「別に悪いことなんてないさ。勝手にやってくれ」
本当に悪いことなんてない。
北川は感動すら覚えていた。
この向こう見ずな、恋する乙女の行動力と勇気に。
彼女はその真っ直ぐな想いを梃子にして、勇気を振り絞り、今得体の知れない敵と対峙しているのだ。
……その仮想敵の役目を押しつけられた、北川としては少々迷惑な話だが。
「あいつのどこがいいんだ?」
北川は、特に答えを期待して聞いたのではない。
しかし夕はよどみなくその質問に答えた。
「わたしがあの店で、働き始めたばかりの頃のことです。悪人に襲われたわたしを、中野先輩が助けてくれたんです。先輩はわたしをかばって、ケガまでしてしまって……」
「へえ、まるで正義のヒーローだ。あいつのこと見直したわ。波戸さんが惚れるのも無理はない」
北川は調子を合わせた。
しかし、あの調査報告書で北川が読み知っていたことと、今の夕の話には食い違いがあった。
それはカラフル、かつセンセーショナルな事件ではなかったはずだが?
「大好きな中野先輩のところに、ナカノツバサという美少女が突然現れた。波戸さんとしては、心中穏やかじゃなかったわけか」
「怒りますよ」
1拍遅れたこの夕の反応。図星だったようだ。
「大丈夫。中野翼と彼女はそういうのじゃない」
きっぱりと北川が言い切る。
「なんで、あなたにそんなことが分かるんですか!」
「次元を超えふたりが出会った理由が、愛や恋?そんなベタなことであってたまるか!俺がまるで馬鹿みたいじゃないか。それに、ふたりとも顔に出やすいたちだからな。そういうナニがアレするなら、すぐに分かるだろ」
「……お茶とケーキ、ごちそう様でした」
軽く頭を下げて、夕が立ち上がった。
気づけば長い時間話し込んでいたようだ。
お互い話すべきことは話した。
そのまま見送るつもりだったが、思い直して北川は彼女を呼び止めた。
「波戸さん、ひとつ頼まれてくれないか?」
「なんですか?」
「これも何かの縁だ。図々しいお願いだが、俺の仕事を手伝ってくれないか。もちろん報酬は出す」
「は?仕事、なんでわたしが?無理です!」
「俺はこの世界に来て間もない。右も左も分からんのよ。しかも唯一の知り合いが、あのボンクラだ」
人助けと思って頼む、と北川は頭を下げた。
「困ります」
当然夕は断ったのだが、北川は重ねて言った。
「学業や、波戸珈琲での業務に支障が出ない程度の軽い仕事だ。たまにお使いや、簡単な調べ物をお願いすることになると思う」
「そんなこと言われても」
尚も渋る夕に、北川はダメを押した。
「中野翼君のことが心配なら、俺と繋がっていた方が得だと思うけど?俺を信用できないなら尚更さ。監視ができる」
「嫌味は余計です……メールをください。引き受けるかどうかは、具体的な仕事内容を確認してから決めます」
「うん、分かった。それでいい」
「……わたしからも、北川さんにお願いがあるんですけど」
「なに?なんでも言ってくれ」
「これは純粋にわたしの趣味から、お願いすることなんですが……」
緊張した夕の表情。
何事かと、北川は身を乗り出した。
「いくぜ超必殺、弾丸エクスプロージョンっ!……って、言ってもらえませんか?」
***
夕が帰ってしまったあとも、北川はしばらくその場に残った。
紅茶のおかわりを頼み、椅子の背に深くもたれて考えをまとめる。
気になるのはやはり、あの文字化けメールだ。
メールに表れた、あの歪みは特徴的だ。
間違いなくあのメールは『アカバネ』世界から、次元を超え夕の元へと届けられたのだ。
誰がそんなことをした?
考えるまでもない。
犯人は中野翼だ。
ふたつの世界の繋がりに関して、彼の関わらないことなどありはしない。
波戸夕の助けを必要とした中野翼は、こんな方法で彼女を巻き込んだ。
問題になるのは、それを意図し、実行したのはいつの時点での翼なのか?ということだ。
2つの世界を流れる時の速度は異なる。
そして時の潮流はもつれ、複雑に絡み合っていた。
もつれが生み出した死角を、中野翼は利用した。
いま現在、この世界に存在する自分自身をも欺くために。
この話、北川にも見えていない部分がまだ多く残っているようだった。




