48. 夜道で待ち伏せ
翌日の昼下がり、北川は再び波戸珈琲を訪れた。
「いらっしゃいませ……あ、中野君はきょうは、お休みなんですが」
注文を取りにきたマスターが北川を見とめ、そう声をかける。
「きょうは食事に来ただけですよ。クロックムッシュとカルボナーラとホットケーキ、それにブレンドをお願いします」
事実、北川は翼がいない時間を狙ってきたのだ。どうせ、夜にはまた顔を合わせる。
注文を受けたマスターが席を離れると、北川は鞄からモバイルパソコンを取り出しメールのチェックを始めた。
未だ少々ぎこちない手つきでキーボードを叩き、不必要なメールを削除し、返信が必要なメールの作成をする。
「おまたせしました」
注文した食事とコーヒーを運んできたのはマスターではなく、波戸夕だった。
忙しい仕事の合間を縫って北川がこの店に足を運んだのは、うまいと評判のコーヒーだけが理由ではなかった。
波戸夕――彼女の事が気になっていたのもある。
「ご注文は、以上でよろしいでしょうか。ごゆっくりどうぞ」
先ほどのマスターと、北川のやりとりを彼女は耳にしていたはずだ。
しかし北川を気にするそぶりを、彼女は毛ほども見せなかった。他の客を接客する態度と変わらない。
一方的に北川が、夕を意識していた。
翼と『アカバネ』を最初に結びつけたのは彼女だ。
その一点だけをとっても、彼女は十分に観察対象足りえる。
しかし彼女にさける人員の余裕なんてない。なにせ動いているのは自分ひとりきりだ。
顔をみただけで、満足するしかない。
実際、食事や睡眠に割く最低限の時間さえ惜しいのだ。
ここに存在するのは自分の肉体ではなく、ただのイメージ。
なのになぜ腹が減り、眠くなるのだろう?
限られた時間、見知らぬ世界、しかも彼は孤立無援だった。
『アカバネ』世界にいる蝋月の助けは得られない。
異世界間で安定した通信を行うことは容易ではなかった。
時と空間の座標軸を調整するには、繊細な制御と莫大な魔力が求められる。
それは北川の手にも余った。
おまけに門である翼の力は、あの通り気まぐれだ。
コーヒーは確かにうまかった。翼の言ったとおりだ。
途中ブレンドを2回おかわりし、約2時間後に北川は店を出ようと立ち上がった。
テーブルに置かれた伝票を取り上げたとき、その下にもう一枚小さなメモ用紙が置かれているのに気づいた。
メッセージは、簡潔なものだった。
「連絡をお待ちしています」
そこにはメールアドレスも書き添えられていた。
マスターに気付かれないように、夕はこれだけ書くのに精一杯だったのだろう。
北川はフロアに目を走らせた。
奥のキッチンにでも下がっているのか、夕の姿は見えなかった。
マスターに代金を支払い、北川は店の外へと出た。
「さて、どうしたもんかね」
北川は呟く。
しかし結局そのメモは、スーツのポケットにしまい込まれたままになった。
北川が彼女に連絡を取る事はなかった。
波戸夕が何を思って、そんな行動に出たのかは分からない。
だが中野翼の関係者である彼女の背景は調査済みだ。
それを踏まえて、警戒には値しないと判断した。
それに誰かのペースに乗せられるというのは、北川の趣味ではないのだ。
***
しかし波戸夕は早くもその翌日、2度目のアタックを仕掛けてきた。
表通りでタクシーを降り、翼のアパートの前までやってきたその時。
「すいません。北川さん……ですよね?」
アパート入り口脇、ちょうど影になっているスペースから波戸夕がひょっこりと現れた。
セーラー服姿の彼女。手には学生カバンをさげている。
学校帰りの夕刻からずっとここに陣取って、来るかも分からない北川を待っていたのだろう。
風がまだ冷たい5月の夜。なんという忍耐力だ。
彼女の苦労をしのびつつも、北川は呼びかけを無視してアパートの前を行き過ぎようとした。
意表をつかれた波戸夕。
一瞬遅れたが、慌てて北川を追いかける。
「ちょ、ちょっと待って。待って下さい!わたし、あなたに大事なお話があるんですけど!」
夕は北川の前に回りこんだ。
仕方ないので北川は足を止めた。
「Anne saludo! Z obszarem desierta, TRANQUILIDAD!! de la Vivienda, El trabajo Y La Inspiración?」
見知らぬ日本人に話しかけられ、戸惑っています!
そんな外国人を装って、北川は早口でまくしたてた。
両の手のひらを上に向け、首をかしげるジェスチャーつきだ。
しかし、この無邪気なモノマネはうまくいかなかったようだ。
「ちょっと、ごまかさないでください!北川さん、あなた日本語わかるでしょう!?」
「ごめん、間に合ってます」
「何が?何が間にあってるっていうんですか?話を聞いてください」
「今、俺忙しいんで」
なぜ、夕は北川の名前を知っているのだろう?
翼が彼女に、事情を打ち明けたとは聞いていない。
しかし夕は、彼が『アカバネ』の北川であることを、マンガの登場人物であることを確信しているようだった。
「時間はとらせませんから」
夕は引き下がらなかった。
北川はため息をついた。
「しつこいナンパは嫌われるぜ」
「な……失礼な!誰があんたの事なんか」
体格差にひるむことなく、夕はまっすぐに北川を睨みつけてきた。
校則をきっちり守ったスカート丈に、ワンポイント入りの白のハイソックス。
長い黒髪は、茶色のゴムでキュッとまとめてある。
鞄に下がったマスコット人形――どっかのアニメのキャラだろう――彼女の持ち物・服装の中で色味といえるのはそれくらいだ。
いかにも、真面目で大人しいメガネの女子高生。
なのに、あんがい気が強い。
彼女には、あきらめる気がないようだ。
ここで、あまり騒がれるのもまずい。
「いちおう聞いておく。話って何?」
「わたしが言いたいことはひとつだけです。先輩に、中野翼にこれ以上近づかないで下さい!」
「フフッ、そうきたか。初対面の挨拶にしてはあんまりじゃないか?波戸夕さん」
北川が名前を呼んでやると、夕はハッと息をのみ目を見開く。
自分のことが知られているなどとは、夢にも思っていなかったんだろう。
「なんでわたしのことを知っているんですか?」
「君のことを調べたわけじゃない。ついでさ。俺は中野翼君に関することにはたいへん詳しいんだ」
ふたりはしばらく、無言のまま見つめ合っていた。
北川には、思わせぶりに微笑むだけの余裕があった。
夕には、明らかな焦りが見える。
しかし、これはどうも穏やかな流れではない。
中野翼に近づくなだって?
彼女にそんなことを言われるような心当たりも、言われも無いのだが。
「なにか誤解があるようだね」
「……どうして、こっちの世界に来たんですか?なんで?一体どうやって?」
「話せば長いわけがある。聞きたいかい?だが今日はもう遅い。明日に改めようか」
不服そうな顔をしていたが、結局夕は北川のその提案にうなずいた。
「きのうわたしが渡したメモ、まだ持ってますか?今度はちゃんと連絡ください」
「分かった」
そして、真剣な顔で波戸夕は付けくわえた。
「あともうひとつ、お願いがあります。今日わたしがここにいたことも、そして言ったことも全部、中野先輩には黙っていてもらえませんか?」
「了解」
夕に言われなくても、北川はそうするつもりだった。
「かたじけない」
そう言って、ぺこりと夕は頭を下げた。そしてジリっと一歩後ろに下がった。
一転、彼女は北川に背をむけると、一目散に駆け出していった。
「明るい道を選んで、気を付けて帰れよ」
夕の背中に声をかけたが、返事は返ってこなかった。




