42. 姫のお茶会
それは今からひと月前。
蝋月が宮廷を去る、その日のできごとだった。
いくつかの書類に署名をし、型どおりの挨拶も終えた。
長きに渡るお務めも、これで完了だ。
しかし城内の回廊で、蝋月は二条桜木につかまってしまった。
桜木は対魔専戦隊を預かる長だ。
といっても、胸にとめられた徽章以外、それを示すものはない。
飾りなどなくとも、彼は十分に特別な存在だった。
見た目の優美さを裏切る、苛烈な剣撃。
柔和さの陰に秘められた、鋭さ。
相反する要素が、彼をより魅力的に形作っていた。
人を引きつける男だ。しかし、容易に他人を踏みこませない隔絶した部分も保ち続けている。
「まさか貴方の背中を、見送る日が来るなんて思いもしませんでした」
「やむにやまれぬ事情があってね。しかし宮廷を離れても、わたしが陛下の忠僕であることには変わりがない。帝都は君たち若者に任せた。ご活躍を陰ながらお祈りいたすよ」
二条桜木は蝋月にとっても好ましく、興味深い人物だ。
しかし今は、彼と話すのに適切な時とはいえないだろう。
蝋月は早めに、この会話を切り上げるつもりだった。
「今日は、お茶のご招待に参りました。先生がお発ちになる前にお会いしたいと、ゆらぎ姫が仰せです」
「先生?姫がそう言ったの?」
蝋月は苦笑を禁じ得ない。
何かをゆらぎ姫に教えていたのは、10年も前。
たった半年にも満たない間だった。
それに勉強をするよりも、向き合ってカード遊びをしていた時間のほうが長かった記憶がある。
母君を亡くしたばかりの、6歳のゆらぎ姫。
今からは想像もできないほど、内気なおチビさんだった。
しかし姫の名を出されては、さすがの蝋月も逃げ出すわけにはいかなくなった。
「それにしても、精鋭部隊の隊長殿がメッセージボーイとはね」
「はい。姫様の為とあれば」
軽く嫌味を言ってみたが、流された。
案内されたのは、姫が城内で多くの時を過ごす部屋だった。
執務室と名が付いていたが、堅苦しい場所ではない。
室内はピンクと白の淡い色合いで占められ、可憐な小物類で溢れ返っている。
部屋の主の代わりに、執務机の椅子に陣取る大きな猫のぬいぐるみを見て、蝋月は思わず頬をゆるめた。
まったくあの姫様らしい。
桜木はこの部屋にも、姫の本邸にも頻繁かつ堂々と出入りしていた。
対魔専戦隊隊長・二条桜木と第三皇女・羽生ゆらぎ。
ふたりが腹違いの兄妹であることは、秘中の秘。当の姫自身も知らないことだ。
しかし親密なふたりを邪推する、下世話な噂が人の口に立つことはない。
姫君は桜木とは別の若者――身分も資産もない天下御免の風来坊だ――にぞっこんご執心であることは、全国民の知るところだからだ。
慣れた様子で桜木は、部屋付きの女中にお茶の指示を与え、蝋月に椅子を勧めた。
そして自分も、向かいに腰かける。
蝋月の予想した通り、部屋の主は不在だった。
「おや?先ほどまでは確かに、ここにいらっしゃったのですが。少しお待ちになっていてください。すぐに戻られると思いますから」
白々しい桜木の言葉に、蝋月は不承不承うなずく。
最初から、これが狙いだったのだ。
「さて、このお茶会の主催が戻るまで、どうやってこの場を繋ぎましょうか?」
含むように桜木は、喉の奥で笑った。
「どうでしょう……我々の共通の友人の話などをして過ごすのは」
「わたしと二条君の共通の友人……ねえ?」
耐えきれずに、蝋月は吹き出してしまった。
話の運び方が不自然すぎる。
蝋月の笑った顔をみて、桜木も苦笑する。
この若者にだって欠点はある。
腹芸めいたことをするのは不得手らしい。
「……伺いたいのは、北川ビオラのことです。2週間前まで彼は我々、対魔専戦隊の一員でした。しかし現在は貴方の元に身を寄せている」
桜木の問いは直球だった。
「貴方は、北川に何をさせようとしているのですか?」
「世間話というよりも、尋問めいてきたね……まぁいい、ごく最近わたしが北川君と知り合ったというのは事実だ。しかし、彼を雇ったおぼえはないね」
蝋月の言葉は事実だ。
しかし目の前の桜木は、それを信じた様子はない。
「わたしは北川君に、何も命じたりなんてしない。ただの遊び仲間だ」
「遊び?」
「ああ、遊びだよ。対魔専戦隊隊長が気になさるほどのこともない。ささやかなね」
蝋月にとって今回のことは遊びだ。
楽しい。けれども、それだけだ。
ツバサと違って蝋月は、中野翼に夢など見ていない。
「北川は私と違って、真っ直ぐな男だ。貴方と悪い遊びをするような器用さなんて、持ち合わせてないんですよ。気まぐれなら、他を当たってください」
「はは……ずいぶんだねえ」
蝋月それを遊びだと言って笑う。
しかし、北川はこの上なく真剣であると桜木は知っていた。
「ひと月前に北川が、私の自宅に訪ねてきました。その時すでに、隊を辞める決意を固めていたのでしょう」
青い顔をした彼は長い時間、桜木の前で押し黙ったままだった。
しかし大の男をあやして、優しく聞き出してやる義理もない。
いい加減うざったいので蹴りだしてやろう。
そう桜木が決意したところで、北川はやっと絞り出すような声で話し始めた。
「北川は私に尋ねたのは、おたくのお嬢さんのことです……ツバサさんのことをね。半年前、わたしが彼女と会った時のことを聞きたがった」
桜木は当然、首をかしげることになった。
ナカノツバサとのことを、北川に話したおぼえはない。
それは気軽に伝えられる性質の出来事ではなかったからだ。
旧三月十三日隊のメンバーには、いずれ時を選んで話すつもりではいたが。
思いがけない北川の問いに、桜木はただ当惑した。
「当然、北川に聞き返しました。なぜそんなことを聞くのだ?と」
すると北川はますます青ざめ、ついに絶句してしまった。
そこで、その話はそれきりになってしまった。
「悪いけど、くだらないよ」
蝋月は、あくびをして見せる。
「若い男が、若い女のことを気にする理由なんてただひとつだろう?恋だよ、恋!」
「……は?」
「浮世離れした君には、理解しがたいかもしれないが。まー、うちのツバサちゃんは超絶かわいいからね。北川君の気持ちもよくわかる」
蝋月はこの時、この軽口が事実に近いものであることを知らなかった。
それはもちろん、桜木もだ。
冗談はさておき、と桜木は言った。
「分からないのです。何も告げずに、彼は隊から去っていった」
「近くにいた君だからこそ、見えないこともあるだろう」
「おっしゃるとおりです。以前にも北川は、隊を外れたいと言いだしたことがありました。そして、その時にはそれだけの訳があった。けれど今回は違う。皆目理由の見当がつかない」
桜木がいう以前とは、北川が無位の双眸の力を暴走させた、その時のことだろう。
「ふぅん。その時は、どうやって慰留したんだい?」
「ぶん殴りました、しこたまね。それでも聞かないので、ゆらぎ姫を煩わせた。ひとことお言葉をいただいたのです。己の務めを果たせと」
「そいつは怖い」
本心から蝋月は言った。
こうやって自分を呼びつけておいて、同じことをするつもりじゃあるまいな?
「しかしそうまで君に思われる北川君は、よほど有能な隊員なんだね。それとも二条君がこだわるのは、彼が君の友人だからか?」
少し考えた後に、桜木は答えた。
「両方です」
力を振い、壊すことしか能のない自分とは違う。
北川にはできることが多い。
得難い人材だ。
対魔専戦隊隊長としての桜木は、北川を高く評価していた。
友人としての北川への思いは、もう少し複雑だ。
借りを作ったのは自分の方だ。
桜木はあの出来事をそう捉えていた。
自分が去った帝都に、隊に、北川は残った。
北川は桜木の分まで主と、中野司の残した三月十三日隊の矜持を守ろうとしたのだ。
だが今になって、隊の役目を捨て、北川はいなくなった。
役目より、ゆらぎ姫の言葉より、優先すべきものを北川は見つけたとでもいうのだろうか。
「先ほどもいいましたが、あいつは素直なやつでね。つまらないことで、道を曲げて欲しくはないのです」
「素直か。あまり褒めているようには聞こえないけど」
「ええ、単純馬鹿と言い換えてもいいくらいだ」
「余りお利口ではない君の友人を、盗ろうという気はないよ。しかし彼はしばらくの間、対魔専戦隊を離れるべきだと思う」
「なぜですか?」
蝋月から、そのとり澄ました表情が消えた。
代わりに苦さと悲しみが、その瞳に浮かぶ。
「このまま君の元に留まれば、あの子は近いうちに命を落とすことになるよ。北川君との付き合いは確かに短い。しかしわたしは過去にも、ああいう顔をした若者が死に足を掴まれ、倒れていくのを見てきた。失意という空洞に、最も入り込みやすいのは死だ」
「山井様、あなたは……?」
「うん、そうだ。半年前になにがあったのか、わたしは知っている。そこで北川君がどんな傷を受けたのかもね」
「本人から聞いたのですか?」
「わたしが知っていることを、彼は知っている」
『アカバネ』の存在を、二条桜木に明かすわけにはいかない。
なので蝋月はそんな迂遠な言い方をした。
「そして、ツバサちゃんから聞いたこともある」
蝋月があのナカノツバサの後見人であるということを、桜木は知っていた。
しかし、それはただの名目上の関係に過ぎないことだと思っていた。
だがその認識は誤りだったらしい。
ナカノツバサの信頼を、この山井蝋月は得ているのだ。
「立ち入ったことをお聞きします。隊長……いや、中野司はどうして貴方に、ツバサさんを託したのですか?」
「わたしにとっても、それは意外な申し出だった。人間の騎士と、エルフの評議員。彼とわたしは宮廷内で、そう近い場所にいたわけではないのだから」
それでも蝋月と中野司の間には、穏やかな交流があった。
「わたしは人より長く生きる。たまにその事実にうんざりすることもある」
倦怠は、長い年月をかけて雪のように積もる。
蝋月は、その中にいまや肩までつかっている。
この穏やかならざる世界、過去に感じた怒りは諦念へと変わり彼ををさいなむ。
諦めはやがて絶望に至る。
「中野司は、わたしに退屈を忘れさせてくれた。400年生きたエルフの僕さえも、見たことのない景色を拓いてくれた。わたしは彼の中に、光あふれる未来を夢見た……可笑しいね、わたしは彼に憧れていたんだ。親しく言葉を交わすような間柄ではなかった。けれど、わたしは彼のことが本当に好きだった」
そう、中野司の死は蝋月に予想以上の喪失感をもたらした。
その孤独を埋めてくれたのは、他ならぬナカノツバサの存在だった。
彼女の為なら、何でもしよう。
そしてもう一人の大切な人、国本女史の信頼に足り得る人物であろう。
ふたりを預けてくれた中野司に応えたい。
それが蝋月の決意だ。
だから、今回のことを決めた。
「中野司は、わたしの抱える退屈を、静かさを、好ましく思っていてくれたのかもしれない。彼のいる場所、つまり隊から離れた場所に、ツバサちゃんを置いておきたかったんだろう。だからわたしを彼女の後見人に選んだ……勝手にそう思っているよ」
しばらくの間、桜木は沈黙していた。
いま蝋月が言ったことを噛みしめている。
「……貴方のことを、誤解していたようだ」
「誤解じゃない。わたしは、噂通りのひねくれ者だ」
「けれど後ひとつ、打ち明けてはくれないのですね。これから貴方が、なさろうとしていることを」
「ささいなことだよ。いいさ、それでも君が聞きたいって言うんなら教えてあげる。全部が終わったあとにね」
「北川のことを、よろしく頼みます。そして、お嬢さんとひだりさんにもお伝えください。この二条のことを、忘れないでいただきたいと。何かお役に立てることがあれば、いつでもお申し付けくださいと」
完全に蝋月の言葉を理解したわけではない。
けれど今は待とう。桜木はそう思った。
「ごめーん!おまたせ!や、蝋月せんせー。久しぶりだね」
その時、所用とやらで出かけていたこの茶会の主催者が、騒がしくこの部屋に戻ってきた。
並んだ顔を見れば桜木とゆらぎ、兄妹はやはり良く似ていると蝋月は思った。
顔立ちというより、その凛とした雰囲気に通じるものがある。
しかし見計らったかようなの登場のタイミングだ。
いや、実際に見ていたに違いない。
蝋月が挨拶を返す間もなかった。
姫は蝋月に駆け寄ると、その体をギュッと抱きしめた。
そしてクリクリと蝋月の頭をなでまわす。
「ふわっ!?ちょ、ちょっと姫!やめなさい、はしたない」
「えへへ、相変わらず蝋月せんせーは、小っちゃ可愛いね。きょうは、いいもの持って来たんだよ」
じゃーん!
口で効果音をつけて、姫は一組のカードを取り出し、高く掲げた。
「さぁ、せんせー。10年前のリベンジマッチ、受けてもらいますから。サクラちゃんも、今日はとことん付き合ってよね」




