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3.ふたりの温度差

「足疲れるだろう?楽にして」

 

 けれどツバサは足を崩そうとしなかった。

 お客様をもてなそうにも、座布団一つない部屋。

 ツバサを待たせて、翼は居間と繋がっているキッチンに立った。

 しかし案の定、コーヒーも紅茶も切れている。


「粗茶ですが」


 やけくそ気味に言って、冷蔵庫からペットボトルのスポーツドリンクを取り出し、マグカップに注ぐ。

 作業台兼、勉強机兼、物置場の小さなちゃぶ台。

 この部屋にあるテーブルと呼べるものはそれ一つだ。

 ちゃぶ台にはノートパソコンをはじめ、雑多にものがおかれていた。

 翼はそれらの物を床に払いのけて、とりあえずのスペースをつくる。

 そこにドリンクを入れたカップを置いた。


 あらかじめ年齢は、16だと知ってはいた。

 しかし小柄な彼女は、2、3歳は幼く映った。


「ありがとうございます」


 ツバサは正座を崩さず、また頭を下げた。

 そして失礼にならない限度いっぱい、めまぐるしくその視線を動かす。

 超庶民的な翼の部屋、ここにあるものすべてが珍しいらしい。


 翼は初対面の人間で、しかも異性なのに。

 緊張はしているだろう。けれど怯えた様子は毛ほどもない。

 マンガの中からやってきた彼女にとって、ここは未知の世界のはずだ。

 劇中で巨大なモンスターと戦っていた子だ。

 冒険は彼女にとって、日常茶飯事なのかもしれない。

 うろたえているのは翼だけだ。

 

 狭い部屋の小さなテーブルに向かい合わせ。

 ふたりはしばらくの間、無言で見つめあう格好になった。

 

 彼女の着ている服は、ごくありふれた公立学校の制服にしか見えない代物だった。

 青みがかったグレーのブレザー、ボックスプリーツのスカート、そして白いワイシャツ。

 首元には濃紺のネクタイを巻いてある。

 しかしその衣装と、彼女の髪と瞳はひどくアンバランスだった。


 彼女はこの世界の人間じゃない。

 理屈ではない感覚で、翼はそれを理解した。

 オーラと表現するのもありきたりだが、他に言葉が見つからない。

 ナカノツバサからは、見ることはできないが異質なものが発散されているように感じられる。

 異世界の住民である彼女と、この翼の庶民的な生活感のこの部屋。

 その空気の断絶が、空間を歪ませている。

 彼女を現実として認識するために翼の視覚、聴覚……六感すべては全力を尽くしてその歪みを埋めようとしていた。


「で、どうしてここに?僕と君が同姓同名だったから?まっさか、そういう理由な訳ないよね」


 問いつめるような口調にならないように、軽く翼は尋ねた。


「わたしは翼さんに会うために、この世界にやって来たんです」


 ツバサがブレザーの胸ポケットから取り出したのは携帯電話だった。

 

「あっ、これは僕のだ」


 それを見て翼は、思わず大きな声を上げた。

 そのメタリックグレイの機体。側面のわずかにはげた塗装とへこみ。そして見覚えのあるストラップ。

 それは間違いなく、翼が先日落とした携帯電話だった。


「ごめんなさい。勝手に中身を見てしまって。でもこの道具のおかげで、わたしはこの世界と、翼さんの存在を知ることができたんです」

「どうして……?僕はふつうに……学校から家までの道のどこかでこれを落としたんだ。なんできみのところに?」

「二つの世界を繋ぐ扉を翼さんが開けたからです。あなたがわたしをここに連れてきてくれたんです」

「ありがとう」


 呆然としつつも、携帯電話を受け取った翼はお礼を言った。

 マンガの世界へと通じる扉を開けたって?

 もちろん翼にそんな記憶はない。

 

 他にも疑問は噴き出してくる。

 携帯電話を使って、この現実世界のことを調べたと彼女は言った。

 翼がかけておいたロック――携帯電話を開くために設定した4ケタの数字。それをどうやってはずしたんだろう?

 翼がこの携帯を落としたのは、今から2週間ほど前。

 充電器まで一緒に落としたおぼえない。

 その間、充電はどうしていたんだ?

 『アカバネ』というファンタジーマンガの中に、充電器は売っているのか?


 それに思い出した。携帯電話を落とした時点で、きちんと利用停止の手続きも済ませておいたはずだ。

 電話会社は何をやっているのだ? 

 だいたい携帯電話利用可能エリアは、いつから異世界にまで広がっていたんだ? 

 常識で考えていたら、追いつかない。


「で、ツバサさんは読んだの?自分が出てくるマンガ、その『アカバネ』を?」

「はい、このケイタイ・デンワを使って」


 ツバサはうなずいた。

 しかしその感想は言わなかった。

 自分が登場する物語を、読者として外から眺める……どんな気持ちだろう?

 翼には見当もつかない。

 

 だが、これはやっと見つけた取っ掛かりだ。

 これで客観的な形跡を、確かめることができるかもしれない。

 翼は携帯電話を操作し、内部データを確かめた。

 翼が導入した憶えのない、コミックビューア――いわゆるマンガを読むための道具――が携帯電話にインストールされていた。 

 そしてクラウドには『アカバネ』コミックスが全巻揃いで入っている。

 2週間前、携帯電話を落としたその日、某大型書店のWEBショップでこの電子版『アカバネ』を買い求めた……ということになっているらしい。

 決済方法はギフトカード――その書店でしか使えない金券だ――となっている。

 クレジットカードと違い、ギフトカード利用者の詳細を辿るのは不可能だ。

 もちろん、翼はそんな買い物をした覚えはなかった。


 どうなってんだ?この出鱈目。

 クラクラしてきた。


 礼を一言言ったきり、あとは黙々と携帯電話をいじっている。

 翼の反応の薄さを見て、さすがにツバサは不安になってきたようだ。


「翼さん?」

「や、ごめん……付いてけない!マジで。何で……?どうして僕なの?『アカバネ』なんて、一度ぱらりとめくった程度だよ?君のことなんて、名前しか知らないのに」

「そうだったんですか」


 ふたりの間には、ずいぶんと温度差がある。

 その事実はツバサを落胆させた。


「ごめんなさい……」

 

 小さな声でツバサは謝った。

 うつむく彼女のその薄い肩、そして細い首筋。

 途方に暮れるツバサは、ひどく頼りなく見えた。


「いや、こっちこそごめん。不安なのは、ツバサさんの方だよね」


 よりにもよって、こんなところに。

 逃亡した敵モンスターを追いかけてきたとか。

 財宝を探しにきたとか。

 一人前になるための異世界に修行にきたとか。

 マンガの世界の登場人物が、この現実にやってくる、座りの良い理由なんていくらでもあるだろう。


「でもツバサさんが、僕に会うためにマンガの世界から来たなんて。やっぱり、とても信じられない」

「このケイタイ・デンワが何よりの証拠です!扉が偶然開くなんてありえません。2つの世界を繋ぐのはとても小さい、重い鍵の付いた扉なんです。翼さん以外の誰が開けたっていうんですか?」

「悪いけど、僕にはやっぱり覚えがないんだ」

「それでも」


 彼女は噛みしめるように言った。


「それでもわたしは信じてます。翼さんがわたしをここへ連れて来てくれたって。だって……」


 だっての後が続かなかった。

 ふたりの間に、また沈黙が落ちた。


「……やっぱり、わたし帰ります」


 ツバサはひとつ頭をさげると、すっと立ち上がり玄関に向かって一歩踏み出した。

 土間に降りようとした彼女の足が、靴を履かない靴下だけということに翼は気づいた。


「ま、待って。ツバサさん!帰るって……どうやって?帰り道、分かるの?」


 ツバサは振り向かず、横に首を振った。


「大丈夫、道なんて分からなくてもいいんです。この世界とって、わたしは不法侵入者です。すぐに向こう側に引き戻されることになるはずですから」


 彼女はすぐに元いた世界に帰る。

 しかし翼はホッとしたりしなかった。

 そうこれは、何かの間違いに決まっている。

 彼女のいるべき場所は、こんな狭苦しい翼の日常じゃない。

 カラフルなマンガの中だ。

 いまこの時間は、ナカノツバサにとってまったく無意味な寄り道だ。

 しかし中野翼にとっては――物語の中から出てきた女の子との出会い――こんな出来事は一生に一度の奇跡のはずだ。

 このまま彼女を帰してしまって、いいわけがない。


「待って」


 思わず、翼は彼女の腕を掴んでいた。


「どうして止めるんですか?」

「どうしてって……こんな夜中に女の子をひとり外に出すわけにはいかないよ。しかも裸足で。すぐに自分の家に帰れるんだろ?なら、それまでの間ここにいたっていいじゃないか」

「放してください」

「おっと、ごめん」


 翼は慌てて彼女の腕を放した。

 ツバサはようやく彼のほうに向きなおってくれた。

 でもその表情は晴れない。


「翼さんに信じてもらえないなら、わたしがここにいる意味なんてないんです」


 翼の携帯電話を拾ってから今まで、向こうの世界でツバサはどんな想像をしていたんだろう。

 彼女は携帯電話をパーティーの招待状のように握りしめ、期待に胸を躍らせてこの世界へとやってきたのだ。


「嘘だなんて言ってごめん」


 うつむく彼女に、静かな声で語りかける。


「ただ少し戸惑っているだけなんだ」

 

 少し考えてから、言葉を続けた。


「さっき言った通り、僕は君のことを知らない。でも、これから知りたいと思う。ツバサさんのことや向こうの世界のことを教えて欲しい」

「どうして?招かれたと勘違いして勝手にやって来て、泥棒みたいにお部屋に上がりこんで……追い返されて当然なのに」

「ツバサさんに会えて、とても嬉しいから。君みたいに不思議で、綺麗な女の子を見るのは初めてだ」


 翼の舌はもつれ、少し声が震えた。

 聞き様によってはキザなセリフだ。

 慣れないことをしたせいで、きっと顔だって赤くなっている。

 16歳の女の子に対して、これじゃまるで変質者だ。

 けれどツバサは眉をひそめたりはしなかった。

 しばらくの沈黙のあと、ポツリと彼女は尋ねた。


「ご迷惑ではありませんか?」

「迷惑じゃない」


 翼は断言した。本心だった。


「見たとおり、孤独で退屈な一人暮らしだ。お客様は大歓迎だよ」



                 ***



 のちに振り返って翼は思う。

 決して、ツバサは嘘をついていたのではない。

 けれど彼女は、すべてを伝えてくれたわけではなかった。

 

 扉を開けたのは翼だと、彼女は言った。

 しかし望んでその扉をくぐって来たのは彼女だ。

 彼女は翼と、翼のいる現実世界になにを求めて来たのだろう?

 そして実際にこの世界と翼を目にして、何を感じ取ったのか?


 僕は君をしらない。

 翼がそう言ったその時に見せた、苦痛に耐えるような一瞬の表情。あれはなんだったのだろう?

 早い段階でそれをつきつめていれば、その後の展開はだいぶ違うものになっただろう。


「あなたに会うためにやってきた」


 夢の世界から来た美少女から手を取られて、そんなことを言われたのだ。

 この時の翼はただただ、舞い上がっていたのだ。


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