↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
36/80

35. 夜の庭

 翼が再び『アカバネ』世界に飛んだのは、それから間もない日の朝だった。

 あと15分で、一限目の授業が始まる。

 次の信号を逃したら遅刻だ。


 駅から大学までの間には、歩道橋がある。

 その階段を一段飛ばしで駆け降りている最中、また例の感覚が襲ってきた。

 『アカバネ』世界から、自分の部屋に戻ってきたときのあの感覚だ。

 まず右の肩から鞄の重みが消え、次に足下にあったはずの階段が消えていた。


「うっ」


 身構えたが間に合わなかった。

 勢い余って翼は、足を滑らせ派手に転んだ。

 しかし背中に感じたのは、冷たいコンクリートの衝撃ではない。

 夜露に濡れた草だ。

 いま翼が見上げているのは夜空だ。

 澄み切った空気。

 空には、翼の暮らす世界とは違う星座が浮かんでいる。

 間違いない。ここは『アカバネ』世界だ。


 少々もがいて、翼はようやく身を起こした。

 着ている服は、あの帝国軍の制服に代わっていた。

 この世界での翼のイメージが、更新されたということなのだろう。


 星と月の他に光はない。

 しばらくの間翼は手探りで、草むらの中を這いまわる。

 まったく今回も、身ひとつで放り出されたわけだ。心の準備も何もあったものじゃない。


 すると揺らめく明かりがひとつ、こちらにやってくるのが見えた。

 翼は思わず身をすくめる。

 が、それで隠れられるわけはない。


「中野様でしたか」


 ランプを手にやってきたのは、国本女史だった。

 国本女史に手を引かれるようにして、室内に入ってから気がついた。

 翼が背中から着地をしたのは、屋敷の庭だったらしい。


「この魔法縛は、蝋月様と北川さんの合作です。本当は室内にお越しいただくつもりで、準備をしていたのですが。わずかに誤差が出てしまいましたね」


 国本女史は、書斎の魔法陣を見せてくれた。

 半畳ほどの紙に描かれたそれは、立派な悪魔でも呼び出せそうな本格的な代物だ。


「すっごい細かい……僕のために、わざわざ書いたんですか?」

「だって、また女子寮に落ちてこられても困りますもの。翼さんの魔力のタイプを記憶させて、それに反応するように作ってあるそうです」


 今夜の国本女史は、メイド服姿ではない。

 くるぶしまで丈がある、深い緑のドレスをきていた。

 長い髪もまとめず肩にかけている。

 それだけでだいぶ印象が違った。

 思っていたより、彼女は若いのかもしれない、と翼は思った。


「こんな夜更けに庭に出て、何をしていたんですか?」

 

 翼は尋ねた。

 翼が落ちてきた音を聞きつけ、屋敷の中から来たにしては国本女史の到着は迅速すぎる。

 最初から外に出ていたとしか思えない。

 まさか、あんな時間に庭掃除をしていたわけでもないだろうが。


「定時の見回りです」

「見回り?なんでまた?」

「はい、昨晩のことです。ちょうどこの書斎に、賊が入りこみまして」

「賊って?えっ、まさか。それって泥棒のことですか!?」


 翼は慌てて室内を見渡す。

 そして残った痕跡に気付いた。

 庭に面した窓が割られ、紙で応急処置的に塞がれている。


「お恥ずかしい話ですが、朝になるまで誰も異常に気づかなかったんです。まんまと逃げられてしまいました」


 この閑散とした街にも泥棒が出るのか、と翼は驚いた。

 しかもお化け屋敷のような、この家を選んで入るなんて。

 金目のものなんて、あるわけないのに。

 

 聞けば、やはり被害は軽微なものだったらしい。


「この部屋で価値のあるものは、蝋月様の組み立てた”ぱそこん”だけです。あれが無事でよかった。魔導の知識のない人間には、ただの鏡にしか見えないものですからね。結局、盗られたのは小物がひとつ……それも蝋月様の手作りの品ですが、悪用されないことを祈りましょう」


 どうせなら、屋敷にある不用品を全部持っていってくれれば良かったのにと、国本女史は冗談ともつかないことを言う。


「国本さんに、怪我がなくて良かった」


 体は子どもの蝋月は、仕方がない。

 しかしこの屋敷には、屈強な元帝国軍兵士が滞在中の筈である。

 泥棒に逃げられ、女性に夜警を任せて、あいつは何をやってるんだ?

 翼が義憤に駆られていると、当の本人が書斎に顔を出した。


「……」


 無言のまま翼の顔を一瞥すると、北川はまたサッと部屋を出て行ってしまった。



                  ***



 国本女史が、お茶を入れて来てくれた。


「国本さんが僕と別れてから……この屋敷の庭から僕が消えて、何日経ちましたか?」

「3日前のことになりますね」

「あ、そうだ。ツバサさんは今どこに?」


 WEB日記を使った通信は、不調のままだ。


「お嬢様が、中野様の世界から戻られて半日経ちます。いまは学園におられますよ」

「良かった」


 ツバサが無事にこの『アカバネ』世界に降り立つことができたのか。翼はずっと心配していた。


「お嬢様も、中野様のことを大変気にしておいででした。早くご到着を、知らせてあげてください」


 国本女史が、保管していた翼の携帯端末をもってきてくれた。

 翼は蝋月手製の端末を使って、ツバサに到着報告のメールを送った。

 しばらく待ったが、ツバサからの返信はない。

 いまは真夜中だ。きっともう眠ってしまったんだろう。

 やはり、ふたつの世界を流れる時間の違いが気にかかる。


 翼は日記のページを、端末で確認した。

 更新した日記を読んだら、そのたびごとにコメントを書き込んで欲しい。

 ツバサにはあらかじめ、そうお願いしていた。

 翼の最新の日記には「読みました」とただ一言、ツバサからのコメントが付いていた。

 そのメッセージが書かれた時刻は、今から7時間前。

 翼の記憶でも、その日記を書いたのは7時間前のことだった。


「うーん……」


 翼の記憶では、最後に日記を確認したのは30分前。コメントは書かれていなかったはずだ。

 ふたつの世界は、やはりもつれている。

 法則性さえ見えてこない。

 そしてふたつの世界を繋いでいるのは、翼自身だというのなら、もつれの原因は自分の力不足。

 そういうことになるのだろう。


「国本さん、お願いがあるんですが。僕に魔法を教えてください」


 そう翼は切り出した。


「僕一人が困るだけならいい。でもみんなに、迷惑をかけてしまっている。僕はこのまま自分が持っている力を知らないままでいい訳がない。やっとそのことに気付いたんです」


 国本女史はかつて中野司に、そしていまは山井蝋月に仕えている人だ。

 きっと、魔法の知識に明るいに違いない。

 翼の推測は、当たっていたようだ。


「ひとに迷惑をかけたくないから……そんな消極的な理由では、続きませんよ。魔術というものは、なかなか厄介なものなのです」

「極めたい!とか、大それたことはいいません。最低限でいい。ツバサや蝋月先生のいうように、僕に力があるのだとしたら……その力がどんなものなのか、知りたいんです」

「己の力を知る。それが極めるということですよ」


 それを聞いてシュンとしてしまった翼に、国本女史が優しく言った。


「まずは、小さな目標をひとつ立てましょう。何でも良いのです。かっこいい技を使ってみたい!とか、空を飛んでみたい!とか。中野様が魔法の力を使って実現してみたいことを、思い描いてみてください」

「やってみます。国本さん、ご指導よろしくお願いします」

 

 頭を下げようとする翼を、国本女史が押しとどめた。


「偉そうなことを言って、申し訳ありません。わたしはただのメイドです。先生などはとても務まりません。けれど、全力でお手伝いをさせていただきます」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。