第24話 次の用事は何ですか
翌朝、咲ちゃんは俺より早く起きていた。
食事室へ行くと、もう卵焼きを半分食べていた。
「お兄ちゃん、遅い」
スマホを見ると、約束の時刻の3分前だった。
俺は前にも同じことを言われた気がして、少し笑った。
「今日は間に合ってます」
「でも、私の方が先」
それは間違っていなかった。
俺は椅子に座り、温かいご飯を受け取った。
亮介さんは、今日の行き先を咲ちゃんと確認した。
水族館へ行き、昼ご飯を食べる。そのあとは天気を見て決める。
船は風が強ければやめることにしていた。
「全部行けんかったら、また来たらええか」
亮介さんが言った。
咲ちゃんは味噌汁を飲んでから、うなずいた。
約束が増えたことを、俺はノートに書かなかった。
*
水族館では、咲ちゃんが同じ水槽の前に長くいた。
大きな魚が小さな魚を食べないか、気になるらしかった。
俺にはわからないので、説明の札を一緒に読んだ。
「お兄ちゃんも、知らんことあるんや」
「いっぱいあるで」
久瀬が隣から言った。
「その点は、共通しています」
俺は笑いをこらえた。
咲ちゃんに何と聞かれ、久瀬も知らないそうだと答えた。
「死神も?」
小さな声だったので、俺もうなずくだけにした。
咲ちゃんは少し考え、魚を見た。
「魚は知ってるかな」
それも、わからなかった。
昼には、亮介さんと咲ちゃんが店を選んだ。
真帆さんが話していた昔の食堂ではなく、駅前で見つけた店だった。
咲ちゃんはカレー、亮介さんは魚の定食、俺はうどんを頼んだ。
卵を追加するか聞かれ、少し考えてから、お願いしますと答えた。
旅の途中で思い出す人は、真帆さんだけではなかった。
*
午後は風が強くなり、船に乗る予定をやめた。
咲ちゃんは少し拗ねたが、港の店で絵葉書を選んでいるうちに、亮介さんへ見せに来た。
「こっちと、こっち、どっちが海っぽい?」
「どっちも海の写真やな」
「そういうことじゃなくて」
俺は余計な助言をしないで、別の棚を見た。
結局、咲ちゃんは2枚とも買った。お小遣いの残りを、自分で数えていた。
宿へ戻る道で、亮介さんが俺に言った。
「昨日、久しぶりに2人で先の話をしました」
咲ちゃんは少し前で、道の模様を踏みながら歩いていた。
「夏休みに何するか、とか。ずっと、明日の用意をするだけで終わってたので」
俺はうなずいた。
真帆さんがいなくなったことは変わらない。仕事も学校も、帰れば待っている。
旅行で全部立て直せるわけでもない。
「この3日があって、よかったです」
亮介さんは言った。
俺は少し照れくさくなって、道の先を見た。
「俺も、来られてよかったです」
それは、頼まれた仕事の報告ではなかった。
*
最終日の朝、もう1度浜へ行った。
咲ちゃんは靴を脱がずに、波から離れた砂の上を歩いた。
昨日より風が弱く、沖を小さな船が進んでいた。
「今なら乗れるんちゃう?」
咲ちゃんが言った。
亮介さんが帰りの時刻を確認した。
「今日は電車の時間があるから。また今度にしよう」
咲ちゃんは少しだけ口を尖らせた。
そのあと、海の向こうを見た。
「今度は、夏に来たい」
亮介さんが隣へ立った。
「暑いやろな。泳ぐなら、泳げる場所も調べないとな」
その言い方は、必ず連れてくると勢いで約束するものではなかった。
来るとしたら何が要るかを、考え始める声だった。
「お父さん、水着ある?」
「たぶん、もうサイズが」
「買わなあかんやん」
咲ちゃんが笑った。
俺は少し後ろから、2人にスマホを向けた。
シャッターを押す前に、咲ちゃんが振り返った。
「今の、撮ってた?」
「まだ。撮っていい?」
咲ちゃんはうなずき、亮介さんの手を引いた。
母親の写真を再現するためではなく、今の自分たちを残すために、並び直していた。
俺は膝を少し曲げ、水平線が傾かないよう画面を合わせた。
頼まれたとおり、足まで入れた。
振り返ると、久瀬がいた。
真帆さんの姿はなかった。波の音に、声が混ざることもなかった。
俺はスマホをしまい、2人のところへ歩いた。
*
帰りの電車で、亮介さんと費用を確認した。
予約分と現地で使った分を合わせて、3人の旅の支出は10万7180円になった。
俺が負担するのは、ためていた7万5924円。亮介さんが残りの3万1256円を負担する。
先に払った分と立て替えた分を合わせ、差額を精算した。
「本当に、ありがとうございました」
亮介さんが、静かに言った。
「こちらこそ。予約も、咲ちゃんの用意も、してもらって」
お金を出した人だけが旅を作ったわけではなかった。
亮介さんが仕事の予定を変え、行き先を調べ、咲ちゃんの着替えを用意した。
咲ちゃんが行きたいと言った。
俺も行くと決めた。
残高を確認すると、助手の報酬としてためた分は、なくなっていた。
胸が少しだけ痛んだ。惜しくないふりは、しなかった。
隣では咲ちゃんが眠っていて、かばんから絵葉書の角が出ていた。
俺はパソコンを買っても、きっと喜んだと思う。
そのことと、今回の使い道を後悔していないことは、両方あってよかった。
*
帰り着いた駅で、咲ちゃんが俺へ手を振った。
「写真、送ってな」
「お父さんに送ります。変な顔のも、全部送っていい?」
「先に見せて」
確認は厳しかった。
亮介さんと連絡の方法を確かめ、改札の外で別れた。
2人はスーパーへ寄って帰るという。
明日の朝に食べるパンが、家にないらしかった。
俺は自分のリュックを背負い直した。
久瀬が隣に並んだ。
「パソコンは、また後ですか」
「そうですね。あいつには、もう少し頑張ってもらいます」
「長く働いていらっしゃるのですね」
「俺より勤務時間長いです」
駅前の風が、コートの裾を揺らした。
半年ほど前、俺はこの隣の人に、勝手に身体から連れ出された。
あのときは、行き先を選ぶ余裕もなかった。
今は自分の足で、帰る道を選んでいた。
「久瀬さん」
呼ぶと、いつもと同じ顔がこちらを向いた。
「次の用事は、何ですか」
久瀬は本を開きかけて、手を止めた。
「まず、ご都合を伺ってもよろしいですか」
俺はカレンダーを開いた。
明日は授業がある。夜は定食屋のバイト。その次の日には、提出する課題があった。
「水曜の、講義のあとなら」
久瀬がうなずいた。
俺は空いている欄を押した。
『死神の助手』
時給666円。
割のいい仕事ではない。
それでも、予定は自分で入れた。
完
最後まで読んで頂きありがとうございました。初めての長編、無事完結までいけて良かったです。




