嘘と真実の間で
バルコニーの手すりにもたれ、ヨシオは携帯電話を持ったまま動かなかった。
短い沈黙が続いた後、ヨシオは意を決したように部屋に戻った。
表情は何食わぬ様子を装っているが、手に持ったままのスマートフォンが微かに震えている。
液晶画面には確かに「柚希」の名前が表示されているが、受話器を耳に当てることはできない。
姪の柚希に助けを求める資格など自分にはないとわかっているからだ
「ヨシオさん?」
室内から真実の声が聞こえた。扉が少し開き、心配そうな顔が覗いている。
「大丈夫ですか?」
「あぁ……」
ヨシオは咄嗟に演技を始めた。「ちょうどよかった。柚希がな……」
一瞬だけ目を閉じて決意を固める。
真実を悲しませたくない。それだけが今の行動原理だった。
「姪っ子の柚希が週末に来るなら泊めてあげるって言ってくれたんだ」
真実は目を輝かせた。
「本当ですか?!」
「ああ」
「しばらく泊めてくれるって」
部屋に戻ると真実は両手を合わせて喜んだ。
「よかったじゃないですか!」
彼女の笑顔は眩しいほどだった。
「柚希ちゃんってどんな子なんですか?」
その質問にヨシオは苦笑いを浮かべる。
「生意気な姪っ子さ。でも根は優しいんだ」
話を逸らしながらもヨシオの胸は罪悪感で重くなった。
こんな嘘をついてまで人に優しくされたいのか—自問する声が頭の中で響く。
「これで一安心ですね」
真実は明るく言った。「仕事が見つかるまで……という期限付きでもちゃんと住む場所があるのは大きいですよ」
ヨシオは嘘を重ねるために精一杯平静を装う。
「ただしあまり長い期間は無理だと言ってる。仕事が見つかるまでっていう約束だそうだ」
「素敵な方ですね!」
真実の喜びようは本物だった。まるで自分ごとのように拳を握りしめている。
「まあね」
ヨシオは苦笑した。
「きっとヨシオさんの良いところをよく知ってらっしゃるんですよ」
真実は柔らかな笑顔を見せた。その純粋さにヨシオの良心が疼く。
「とにかくこれで少しは安定するよ」
ヨシオは椅子から立ち上がる。
「今日は帰るよ。色々と用意することもあるし」
「わかりました」
真実は寂しげに頷いた。「でも何かあったらすぐに連絡してくださいね?」
「ああ、勿論だ」
ヨシオは約束して真実の家を後にした。
マンションの階段を下りながら内心の罪悪感が波のように押し寄せてくる。
河原に戻る道すがら、ヨシオは頭の中で何度も明日からの段取りを考えた。
週末までには何か策を考えなければ—柚希への電話など全くしていないのだから。
「馬鹿げてる……」
独り言が夕暮れの空に溶けていく。
しかしその一方で真実の明るい笑顔を思い出せば胸が暖かくなるのも事実だった。
どうやら自分は人からの好意に飢えていたらしい。
橋の下の小屋に戻ると昨日までとは打って変わって気分が晴れていた。
無論それは幻想に過ぎないとわかっていても。
「騙してるんだぞ俺は……」
夜空を見上げながら自問する。星空は雲に覆われ見えない。
まるで未来が見えない自分のようだと思いながら毛布に潜り込んだ。
いやそれ以上に—人生の再スタートラインに立てるかもしれない。




