## 心の距離(続き) ### 第九章 枕元の秘密②
長い沈黙が流れた。
柚希は身を引くと同時にヨシオの手首を掴んだ。
「どうしていつもそうなの?」
少女の指が筋張った手のひらを探る。
ヨシオの手の甲に残る古い傷跡を撫でながら、「これ」と囁く。
「何だ?」
「私が小さい頃、ケガした時に治療してくれた時につけた傷だよ」
ヨシオは思い出した。
十三年前、庭での事故で柚希が怪我をした時、消毒液を垂らした際の反射で彼女の爪が引っかいた傷跡だった。
「覚えていたのか」
「全部覚えてる」
柚希はヨシオの手を自分の胸元に引き寄せた。
「この手で何度励まされたことか……」
二人の体温が一つになるような瞬間。しかしヨシオは柚希の手を握り返さなかった。
「今夜だけ......」柚希の声が震えた。
「今夜だけ私のものになって」
その言葉と共にヨシオの襟元に彼女の額が押し当てられた。
微かに濡れた感触。
涙がヨシオのシャツに滲みていく。
「泣いているのか?」
「怖いの」柚希は素直に答えた。
「こんな気持ち初めて……でも誰にも言えない」
ヨシオは黙って柚希の背中に手を回した。
触れるか触れないかの距離感で…まるで壊れやすい宝物を扱うように。
「俺は……」
言葉が喉に絡む。
「ずっと遠ざけてきた。自分勝手に君たちを」
「知ってる」
柚希の声は穏やかになった。
「でも今日は違った。……」
「あれは……」ヨシオは唇を噛んだ。
「ただの意地だ」
「それでも」
柚希は顔を上げ、潤んだ目で見つめた。
「ありがとう」
二人の間に時間が止まったように思えた。
窓の外では救急車のサイレンが通り過ぎる。
その音に現実を引き戻されながらも、互いを求め合う本能は抑えられなかった。
「叔父さん……」柚希の唇が近づく。
その瞬間、携帯電話のアラームが鳴り響いた。
凛太郎が設定していた朝食の準備時間。
「時間切れね」柚希は苦笑し、体を離した。
「約束破ったわね」
「約束?」ヨシオは混乱した。
「叔父さんの優しさが偽りじゃないって証明させたかったの」
柚希はベッドから降り、窓際に立った。
凛太郎のクロックムッシュを食べたら帰ってね」
朝日が昇り始めていた。
柚希のシルエットが逆光に溶けるように浮かび上がる。
「柚希……」
ヨシオは立ち上がりかけたが、少女は振り返らずに手を振った。
「またね」
その微笑みには諦めと希望が混ざっていた。
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廊下に出ると凛太郎が待っていた。
「約束通り朝食作ったよ」
「ああ……」ヨシオはぼんやりと頷いた。
「柚姉ちゃん大丈夫だった?」
少年の鋭い視線にヨシオは言葉に詰まった。
「何もなかったよ」
それは嘘だった。
二人の間には決して埋められない溝がありながらも、確かに何かが始まった感覚があった。




