65. 堕天使になりたい
ラスが動いて、こっそりとメロウに寄った。
「お前なら、リリムの動きを止められるんじゃないの? どうにかしてよ」
メロウが拗ねた顔でラスを見上げた。
「こんな時ばかり、私を使うのか、アンドラス。自分で止めればいいだろう、悪魔なんだから」
メロウが抱えた膝に顔を埋める。
「出来るなら、やってるよ! 我は今、リリムの従魔だから、主に攻撃できないの! この中でリリムの動きを封じられるの、お前くらいしかいないんだよ。だから頼ってんの。そうじゃなきゃ頼み事なんかしないよ!」
少しだけ顔を上げて、メロウがちらりとラスを横目に見る。
「キスしてくれたら、やってもいい」
「は?」
「アンドラスが私にキスしてくれるんなら、やってもいい」
メロウが同じことを二回言った。
とても重要らしい。
「出来るわけないだろ! 大天使とキスなんかしたら、我が消えちゃうよ!」
「契約して堕天する前提なら、できる」
「……は?」
ラスからさっきより深い「は?」が出た。
「悪魔の契約のキスがしたい。私をアンドラスと同じ悪魔にするキスをしてくれるなら、リリムを止めてもいい」
ラスが固まった。
メロウがラスを、じっと見詰める。
「そうなると、お前、我の子分になるけど。子分の悪魔になるんだけど。子分でも良いワケ?」
ラスが子分と三回言った。とても重要らしい。
「子分になったら、近くにいられるし、何回でもキスできる。もっとエロい色々もたくさんできるから、いい」
メロウの顔に笑みが上った。
とても良い笑顔だ。
ラスがプルプルと小刻みに震えている。
「大天使って地位を捨てて悪魔になってまで、お前は我とエロい色々がしたいわけ?」
「したい。百年前から言ってる」
メロウが言い切った。潔すぎて、いっそ清々しい。
「そもそも、十年前にアンドラスが手酷く私を拒否ったりしなければ、レアンにもリリムにも手を出さなかった。レアンをアンドラスの身代わり人形にしようと思ったのは、アンドラスが他の天使に手を出したからだ」
メロウの目が嫉妬の色に染まりまくった。
「お前がしつこくて、嫌だったから、諦めさせるためだよ! そもそも、ちまい天使を間引いて悪魔化するのは我の仕事だよ! 悪魔に誘惑されるような使えない天使は悪魔になってもすぐ人間に殺されるんだよ! 魔界だって人手不足なの!」
「神界だって、天使の数は多くない」
「じゃぁ、お前が堕天使になっちゃ、ダメじゃん」
どうやら魔界も神界も人手不足で大変らしい。
「どのみち私はアメリア様幽閉の罪で存在を消される。だったら悪魔になって、アンドラスと一緒にいたい」
「我は嫌だ。お前と一緒なんて、絶対に嫌だ」
「じゃぁ、私は手を出さない。あと二人しか残っていないけど、いいのか?」
メロウが指さした先を、ラスが凝視する。
カロンも一緒に視線を向けた。
いつの間にか、フェリムとカデルが拘束されている。
「カデル、何で⁉ さっきまで前にいたのに、いつの間に」
カロンの前に、火魔法の壁が二重になっている。
カデルが、より強い結界を敷いてくれたようだ。
「あの『神実』は鈍いから、私たちの話に気を取られて、仲間が結界で守って遮ってくれたことも、拘束されたのにも、気が付いていなかったみたいだが」
「カロン、何やってんの? お前が一番、頑張らなきゃいけないって、わかってる?」
ラスが本気で怒っている。
何も言い返せなかった。
火魔法の結界の中に、レアンが入ってきた。
「どうにも分が悪いよ。流石に私とカロンだけじゃ、太刀打ちできない。カロンが、いつまでも矢を射かけない理由があるなら、今のうちに聞いておこうか」
光魔法で火魔法の結界を強化しながら、レアンが問い掛けた。
レアンの声も焦燥と怒りを孕んで聞こえた。
「今のリリムは魔王だから、俺の神力を含んだ矢で射かけて死なないのか、急に不安になって。もし、間違ってリリムの核を壊したりしたら、リリムが死んじゃうから」
確か、魔族にも天使と同じように核があったはずだ。
それを壊したら、きっとリリムは死んでしまう。
(リリムは死なないキャラだって、夢野先生は話していたけど。この世界でそれが絶対のルールじゃない。俺が殺しちゃう可能性もあるんだ)
物語の展開が、これだけ変わっている。
死にキャラじゃないリリムを間違って殺したら、この世界からも物語の中からも、リリムが消える。
「そういう不安は、もっと早くに話すべきだよ。近くにはカデルやルカが、いただろう。私たちはカロンが矢を射かけると信じてリリムを拘束していたんだ」
「そう、だよね。ごめん」
全く持ってレアンの言う通りだ。
少しの迷いや言葉の足りなさが、この世界では命の長さに直結する。
自分の愚かな行為に今更、怖くなった。
「軟膏がどうとか、言っていたね。虫食いというのを殺せる薬が、あるのかい?」
「うん。アメリア様の使者に貰ったんだ。皆には塗ったけど、レアンには塗ってなかったね」
会う前にレアンがメロウになって冥界に降りていたから、塗れなかった。
カロンは小瓶を取り出して、指に軟膏をとった。
「今のうちに、塗っとく。手と、あと、瞼にも」
素直に軟膏を塗られたレアンが、感心した顔をした。
「実感するほどに魔力が昂るね。かなりのレアアイテムだ。これを塗ると、虫が死ぬのかい?」
「弱って死ぬか、リリムの体から出てくると思う。出てきたら、俺とリリムの魔力で殺すのが理想なんだけど。本当はリリムにも、この軟膏を塗りたいんだ」
さっきはリリムに虫食いが巣食った驚きで、自分が退治すると言い切ったが。
よくよく思い出せば、原作者に二人で退治しろと言われた気がする。
「なるほどね。だったら、私に作戦があるよ。それには……」
レアンが後ろを振り向いた。
目が合ったラスがビクリと肩を震わせる。
「このままでは私でも、愛するリリムと心中覚悟でないと倒せないと思うのだが。ラスは私に、リリムを殺されても平気かな? 私はリリム相手なら、命くらい差し出しても構わないよ」
レアンが笑顔で怖い話を振った。
「殺されるのは、ちょっと……。従魔契約しているから、リリムが死んだら、我も死んじゃうからね」
ラスがレアンから目を逸らした。
「だったら、自分が成すべき役割を果たそうか、ラス。ラスはリリムの従魔で、『魔実』を造り与えた悪魔なのだからね」
ラスが、ぐぬぬと言葉を詰まらせた。
目の前の火魔法の結界に、何かが当たった衝撃があった。
闇の塊がいくつもぶつかって、結界に罅が入った。
「そろそろ出てきてくれないだろうか。僕も退屈になってきた。拘束した皆を殺すような真似はしたくない。カロンとレアンは特別なのだから、僕を倒せるはずだ。早くラスボスを倒してくれないと、うっかり先に世界を消滅させてしまう」
リリムの声がいつものトーンで怖い話をした。
「リリムは何を言っているのだろうね。世界が消滅したら、須らく皆が死ぬのに」
レアンが不思議そうに呟いた。
こういう時のレアンのテンションもよくわからなくて、怖い。
「あぁ! もう! わかったよ! キスしてやるから! 契約してやるから! その前に大天使の力で魔王を止めてよ!」
ラスが半ばやけになって、叫んだ。
メロウが明るい顔を上げた。
「本当に? 悪魔だからって嘘とか言わない?」
「悪魔は契約は、きっちりしてるんだよ。その部分の信用失ったら、悪魔は仕事になんないの。神託みたいに緩くないの。堕天するつもりなら、覚えておきなよ」
諦めたラスが、ぐったりと話した。
「とりあえず今は、天使の力じゃないと魔王の力を止めらんないから。まだ天使でいてよ」
「私とカロンが証人になろう。口約束でも証人があれば、悪魔の契約は正式と認められるんだろう」
「何で光魔術師のレアンが、そんなこと知ってんの? 悪魔に知り合いでも、いんの?」
ラスがレアンに懐疑的な目を向ける。
レアンなら、知り合いの悪魔の一匹や二匹、いそうだと思う。
「まさか。教会に所縁はあっても悪魔とは縁遠いよ。勤勉なだけだよ」
レアンの言葉と笑顔が胡散臭い。
ラスがどうでも良さそうに、ぐったりした。
「あっそう。もう、何でもいいよ。メロウ、さっさとリリムを止めてよ。その先は、レアンに作戦があるんでしょ」
「勿論だよ。カロン、耳を貸して」
言われた通り、カロンはレアンに耳を向けた。
こしょこしょと作戦を伝えられる。
「ラスが……、アンドラスが私の名前を呼んでくれた!」
歓喜の万歳をしながら、メロウが土枷と結界を、いとも簡単に壊した。
レアンから伝えられた作戦とメロウの動きが衝撃過ぎて、唖然とする。
「名前なら何回か呼んでるよ。そんなに喜ぶの?」
ラスがメロウの歓喜振りに、びくびくしている。
「今のこの瞬間に呼ばれるのは特別だ。リリムを殺せばいいんだっけ? 止めればいいんだっけ?」
「止めるんだよ! リリムが死んだら我も死ぬから!」
「生け捕りにして、ガッチガチに拘束しよう」
メロウが至極真面目な顔で、火魔法の結界の向こう側に飛んで行った。
「私たちも行くよ、カロン。作戦は理解できたね」
「う、うん……」
レアンが、カロンの腕を引いた。
「いいかい。失敗したら今度こそ、リリムは私がもらうよ。どんな手段を使っても奪うからね」
耳元で囁かれた声が本気すぎて、脅しどころではない恐怖を感じた。
「本気で頑張る。絶対に失敗しない。リリムも渡さない」
気持ちを新たにして、カロンはレアンと共に結界の向こうに跳んだ。




