番外編② ~ ダークヒロインなお姉さん ~
あべこべ世界にもいると思うんです。
影のあるダークヒロインって。
監視カメラの映像を見ながら、私は自らを慰める。映像の中、彼もベッドの中で自らを慰めている。彼がその時を迎える瞬間、私も合わせる。今、この瞬間、私たちはつながっている。
「雪緒・・・愛している・・・」
私はミスを犯した。
調査対象にこれほど入れ込むのはいけないことだ。私は調査員失格だろう。
なぜこうなってしまったのだろうか?
何時からこうなってしまったのだろうか?
私は火照った体で映像を見ながら思い返す。
多分、最初から間違っていたのだ。
*****
私の名前は桑田 愛。誰かを調べることが私の仕事だ。調べる時は第一印象に引きずられぬよう気を付ける。第一印象は、その人を客観的に把握する目を曇らせる。だが、初めて彼を見たとき、私は強い印象を持ってしまう。この人は私の知る他の人と何かが違う。
<あの、〇×ニュースの近藤といいます。少しだけよろしいですか?受験生の方ですか?> <はい>
<すごくお若いですけど、高校生ですか?> <はい>
<この難関試験に男性の受験生って珍しいですよね?私、この会場で初めて見た男性ですよ。どうして、受けようと思われたんですか?> <気象関係の仕事に興味があったので>
強い違和感とともに彼の映像を見つめる私に、吉村所長はいつもどおり指示する。
「依頼主は、気象予報士試験の自己採点結果を希望されてます。もし、彼の自己採点結果を事前に知ることができ、かつその結果に基づく合否予想が当たっていた場合は、報酬は跳ね上がりますので、頑張ってください。連絡はいつも通り、1日に一度、緊急時は私の携帯にお願いします。着手金はこちらです」
私は当面の活動資金を手に入れ、近くのネットカフェに場所を移す。まずはネットに流れる情報から調査を開始する。
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やはり彼の情報はネットに流れていた。私は早くも彼の氏名と通う高校を把握する。在籍する高校はここからさほど離れていない。今はまだ午前中。今日中に彼を直接見ることができるかもしれない。
私はネットカフェを出る。目的地は高校に近い駅。首都圏の高校生の大半は電車通学だ。調査開始初日から校門近くで張り込んで通報されるリスクを負うことはできない。ゆっくりと駅で彼を待つのが安全だ。この駅の乗客数は比較的多く、駅内にコーヒーショップがある。平日の午前中に窓際の席を取り、食事をとりつつ彼が通り過ぎるのを待つ。清算済みなのですぐに店を出ることができる。調査にこれほど適した場所はない。
予想は当たる。彼は背の高い女性と二人で現れる。あの女性もインタビュー動画に出ていた。私はすぐに店を出て、二人の後を付ける。
彼の自宅は高校の最寄り駅から電車で15分、そこから徒歩で10分ほどの閑静な住宅街にあった。彼の帰宅を見届けた私は、そのまま付き添っていた背の高い女子高生の後をつけ、彼女の自宅も把握する。彼女はおそらく幼馴染なのだろう。その後は、彼の自宅周辺で、彼の家を直接、監視できる場所を探し出し、近くの不動産屋に赴く。月12万円のワンルームマンション。私は所長に電話し、契約手続きをお願いする。
調査は予定通り進んでいる。
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彼の家を出入りする者は3人。おそらく母親と姉、そして彼。平日の普段の3人の行動を完全に把握する。
次の週、私は配達員を装い彼の自宅前に軽ワゴン車を停める。周囲に私を注目する者はいない。彼の自宅の呼び鈴を押し、留守を確認。その後、鍵を開け彼の自宅に侵入する。家に入るとすぐに2階の彼の部屋に行き隠しカメラとマイクを設置する。そして、机の引き出しで見つけた彼の気象予報士試験の自己採点結果をデジタルカメラに収め、彼の自宅を出る。
翌日、雑誌記者に扮した私は、彼の学校の女子生徒を相手にインタビューを行い、巧みに男性の話を聞きだす。この年代の女子が知る男性は限られる。男性について聞きだすと、高確率で彼の事を自ら語り始める。彼のことを中学時代から知るという女生徒から話を聞けたことは大きい。
調査は順調だ。
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私は顧客が必要な情報をほぼすべて把握し、報告書を作成する。
だけど私自身は納得していない。
彼は9か月ほど前、倒れて入院している。その際の記憶障害により人格もほぼ変わったようだ。以前は女性の視線に強い嫌悪感を持っていた。しかし今ではほとんど気にしなくなっている。人はそれほど簡単に変われるものなのか?
夜。私は待機しているワンルームで、コンビニ弁当を食べながらカメラの映像で監視する。彼は部屋で勉強をしている。やがて彼は、勉強を中断したと思うと、壁の写真を眺める。しばらく眺めた後、独り言をつぶやく。
『みんな元気かな?彼もあちらでうまくやっているといいけど』
一瞬、彼の独り言の意味が理解できず、お弁当を食べる箸が止まる。
どういう意味だろう。母親と姉はリビングにいるはず。なぜ彼はそんなことを言うのだろうか?
続けて彼はつぶやく。
『もう、入れ替わるのは嫌だな』
悲しそうな表情で一人たたずむ彼。何をそんなに悲しんでいるのだろうか?記憶障害が関係しているのだろうか?私は彼の表情に心を動かされる。貴方は何をそんなに悲しんでいるの?
今思えば、この瞬間から私は彼に魅せられていた。
彼の不思議な独り言は、それ以降もたびたび私の心を揺さぶる。私は彼を守りたいと望む。その為には、彼の秘密を知らなければならない。
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彼は無事気象予報士試験に合格し、私は満額の報酬を受け取る。追加依頼として気象情報会社のリクルート活動も支援する。一定の収入を受けた私は、次の依頼を断り個人的に彼を調べ続ける。私には使命がある。彼を悲しませるものから解放してあげたい。
私は何とか彼の秘密を知ろうと懸命に調べる。今思えば、それは調査といえるものではなかった。だけど私には他に方法がなかった。
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お天気キャスターとしてデビューした日、彼は恋人の鹿取 瞳を家に誘う。
先週の休み、彼は姉に連れられジュエリーショップに行っていた。デビューを記念に、母、姉、そして鹿取 瞳の3人分のプレゼントを買ったようだ。私は強い嫉妬心に駆られる。私は彼の帰宅時、質の悪い女から彼を守ってきた。それでも、私には何もくれることはないだろう。私のことを知らないのだから。
彼の部屋で、二人はベッドの上で抱き合う。だが最後まで行くことはない。私は安心する。
その日の夜。興奮した彼は、ベッドの中、一人、自分を慰める。
私も画面の彼に合わせて、自分を慰める。彼の母も、姉も、恋人も、この瞬間を共有することはかなわないはず。これは私だけが持つ彼との特別なつながりだ。私はこのつながりを意識することで、彼と私が特別であることを確認する。
私は分かっていた。これはいけないことだ。
私は深みにはまり、抜け出せなくなっていた。
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調査を続ける中、私は彼の日記を見つけ、その内容をデジタルカメラに保存する。
そこに信じられない記載を見つける。彼は自分が本来の篠塚雪緒ではないと考え、いつか再び自分がいなくなると考えている。彼はそれを望んでいない。それでも彼は自分がいなくなった時のために日記をつけている。それは悲しい行為だ。
私は彼の独り言を思い出す。まるで彼が別の世界か来たような言葉。もし本当なら、入院前後での人格の変貌も説明がつく。初めて彼の映像を見た時の私が感じた違和感も。しかし、それはあまりに非科学的だ。私はさらに深みに落ちていく。もはや客観的事実ですら、私には危ういものに見えてくる。私はすでに正常な状態ではないのかもしれない。それでもかまわない。彼を救うことができるのなら。
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恐れていたことが起きる。
彼の姉があの日記を見てしまった。必至で彼女に嘆願したがダメだった。こんなに悲しいことはなかった。日記という形で記載すれば、いつか家族に知られるリスクはあったのだ。こんなことになるならば私が処分しておくべきだった。
彼女の姉がどのような行動に出るか予測ができなかった私は、監視を姉に絞る。彼女は彼の善き姉であるべきだ。図書館、病院と移動した挙句、一人、何かを考えていた彼の姉は、最終的に私が望んだ結論にたどり着く。彼の姉は、彼の前であの日記を処分することで、彼に悲しい行為をやめさせる。
私にできなかったことを、彼の姉が成し遂げる。
翌日、彼女は私を呼び出し告げる。
「来年、雪緒は成人を迎える。彼には自宅か病院で精子を採取し国に提供する義務が生じる。監視カメラは外しなさい。君は嫌がるだろうね。何に使っていたかなんて、容易に想像できる。でも、今後は彼のプライベートを犯すのは許さない。それさえ約束すれば、他は何一つ制限しない。ただし、守れないようなら、君と君の事務所を違法調査により告発する」
私に選択肢はなかった。私は、私と彼だけの“つながり”を取り上げられ、調査は終了する。私は彼を救ってあげることができなかった。落ち込む私に、彼の姉が告げる。
「桑田さん、雪緒と直接会って話をなさい。彼はとてもよく気が付く。君が彼のために努力してきたことがあるならば、彼はきっとそれに応えてくれるはず」
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私は彼と話す機会を作る。
彼は私に依頼する。次に彼がいなくなった時、私が持つ日記の写しを別の彼に渡してほしいと。だが、彼が本当に望んでいるのはそんなことではないことを、私は知っている。
私は彼に約束をする。
次にそれが起こりそうなとき、私が彼を救い出すことを。
それは私だけができる約束。取り上げられた彼との特別なつながりを補えるもの。今はまだ、私に何ができるかはわからない。だけど私はあきらめない。
私は新たな自分の存在理由を見つける。




